第69話 特訓
「それじゃあ、始めようぜ!」
騎士の訓練場に来てから、二日目の午後を迎えた。
不安と緊張を押し隠しながら、セロはヴェルーカの背にまたがる。ゆっくりと鞍に腰を下ろすと、ディノよりもずっと低い視界に違和感を覚えた。
「鐙の長さは大丈夫か?」
ケリーが鞍を固定する腹帯を締めると、ヴェルーカは軽く耳を伏せた。胸が圧迫されて苦しいのだろう。
「ああ、大丈夫だ」
「よし!じゃあ、このまま左回りで歩いてみてくれ。二人とも、まずは体をほぐさないとな」
ケリーは馬から離れて、進行方向を指差した。
セロがヴェルーカの腹を蹴ったそのとき。
馬はその場で跳ね上がり、高く振り上げた後ろ足で宙を蹴った。衝撃を耐えきれなかったセロは、馬場へ放り出される。
ヴェルーカの頭を飛び越え、柔らかい砂の上に落ちた。気がつくと、視界に広がる青空にヴェルーカの薄桃色の鼻が浮かんでいた。
仰向けに倒れるセロと、そんな彼を覗き込むようにしているヴェルーカ。両者は一言も発することなく見つめ合っている。
「お、おい!大丈夫かっ?」
ケリーが慌ててやって来る。
セロの心臓は激しく打ち、頭は状況を理解できていないようだ。
セロはケリーの手を借りて立ち上がった。
「一体、どうしたんだ?」
「物を見たのかな。馬って臆病だからさ、風で木が揺れてるのを見て、ビックリすることがあるんだよ」
ヴェルーカはケリーの背後で大人しくしている。こんなに小さな馬が、あれほどの力を秘めているとは思っていなかった。
「見事な背負い投げだったな。……って、そんなことよりケガは?頭とか打ってないか?」
「大丈夫だ」
ケリーはホッと息をつくと、迷うことなく手綱を差し出した。
落馬のショックがそうさせたのだろう。セロは無意識のうちに眉をしかめていた。
「怖いかも知れないけどさ。落馬したときほど、しっかり乗っておいたほうがいいんだ。オレもはじめて落馬したとき、クウェイさんからそう教わったんだぜ」
ケリーに促されて、セロは再びヴェルーカにまたがった。ため息の一つくらい、つきたいところだが。今は弱音を吐いている場合ではないだろう。
「まあ、さっきのはヴェルーカからの挨拶だと思ってさ。落馬はいい勉強になるし、悪いことじゃない!記念すべき初落馬の日は、馬に乗っていれば誰でも迎えるんだ。さあっ、気持ちを切り替えて!もう一度頑張ろうぜ!」
セロは深呼吸をして、もう一度、前進の合図を送った。
ヴェルーカは、ゆっくりと歩き始めた。
――そして今に至るのだが。
「……ケリー、これで何回目だ?」
「三回目だぜ。オレらの紋章の完成だな」
ケリーは馬場に描いた絵に、指で線を描き足した。
砂の上に起き上がったセロが見ると、ケリーの足元には学舎の紋章が描かれていた。どうやら、彼はセロが落馬するたびに一本ずつ線を描いて、回数を記録していたらしい。
さっきの言葉は、三回目の落馬でセロたちと同じ三年生の紋章が完成したという意味だろう。
「うーん……そうだな。オレができるアドバイスとしては、ヴェルーカが暴れたとき、体をもっと起こせたらいいかな。バランスを前に持っていかれたら、落ちるしかないからさ」
ケリーからの助言を受けて、セロはひらりとヴェルーカに跳び乗る。何度も落ちているおかげで、馬への跳び乗りだけは難なくできるようになった。
ヴェルーカは鐙を履く暇を与えずに、スタスタと歩き始める。馬の動きについていきながら、セロは次の暴走に備えた。
「なあ、セロ。ちょっと無茶なこと言ってもいいか?」
「ああ……どうぞ」
セロがよそ見することなく答えると、ケリーは踏み台に座ったまま大げさに伸びをした。
「もっと、楽しみながら乗ろうぜ!乗り手が緊張してると、ヴェルーカも怖がるからさ!」
「本当に無茶なことを……。僕に余裕がないことは、ケリーが一番わかっているだろう?」
二人が話している間も、ヴェルーカは丸い柵に沿って大人しく歩いている。
セロにとって、今のヴェルーカはビックリ箱のようなものだ。いつ、どこで、何がきっかけで暴れるかわからない。暴れ方だって、毎回違う。突然、制御が効かなくなるヴェルーカに恐怖すら感じていた。
セロが警戒していた、そのときだった。
ヴェルーカは激しく頭を振り、手綱をグイッと引っ張った。セロは慌てて体勢を後ろに引き戻したが、馬の暴走を止めることはできなかった。
敵から逃げるウサギのように、何度も何度も飛び跳ねる。
宙に浮いた体が鞍の上に安定することはなく、セロは馬から振り落とされてしまった。
馬体の側面から滑るように落ちたおかげで、今度は運よく着地できた。
だが、荒波のようにうねる馬の背から、急に平坦な馬場に放り出されると、自分の体が遠くに行ってしまった感じがした。




