第68話 似たもの同士
セロが黙ってヴェルーカを見つめていると、馬はケリーに背を向けた。
「おお?どうしたんだ、ヴェルーカ」
馬は耳をぴんと立てて、一直線にセロのもとへやって来る。
セロはヴェルーカに手を差し伸べてみた。
薄桃色の柔らかい鼻が指先に触れる。温かい鼻息を手のひらに感じていると、ヴェルーカは鼻を押し付けるようにして甘えてきた。
手のひらにすり寄るヴェルーカに、愛しさに似た感情を感じる。
気がつくと、セロは馬に話しかけていた。
「落ち着いたか?」
言葉の意味を理解したかどうかはわからない。
ヴェルーカは手から離れると、大きな瞳で彼を見つめた。
セロの頭に、ある言葉が浮かぶ。
『馬は人の気持ちがわかるんだよ。』
ずっと前、誰かから聞いた。
馬には人の心を見る目がある……それなら、人はどうだろう。言葉を話せない馬の声を聞く耳を、持っているだろうか。
セロはヴェルーカの細長い瞳を見据え、馬の立場に立って記憶を遡った。
数週間前。
ヴェルーカは遠征でエダナを失い、唯一の味方であるケリーが復帰するまで、孤独な日々を過ごした。
そして、今日。
振り下ろされる鞭に怯え、罵倒され、笑われ、傷ついた。
しかし、それでもなお、ヴェルーカは人のそばにいようとしている。寄り添おうとしてくれる。
身も心も傷だらけになった健気な馬の姿に、セロの胸は締め付けられるように痛んだ。
「ああ……そうか」
セロは呟いた。
「君は、僕と似ているんだ……」
まだ、学舎に来て間もない頃。
兄が生前暮らしていた部屋で、セロは心を閉ざしていた。知らない人たちに取り囲まれる恐怖や、誰一人として味方のいない孤独。それを嫌というほど味わったセロは、目の前にいる牛柄の馬に、かつての自分と似たものを感じた。
「ヴェルーカ、もう大丈夫だからな」
セロが優しく声をかけると、ヴェルーカはゆっくりと瞬きをして、小さな一歩を踏み出した。
セロの視界はたちまち白黒の模様で塞がれ、耳もとでは馬の鼻息が至近距離で聞こえている。耳を噛まれるのではないかと少し体を反らしたが、背中が木の幹にあたって思うように動けない。
「なんか、二人とも仲良くなれそうだな」
ケリーは嬉しそうに笑った。
「そうだといいが」
「絶対になれるぜ。ヴェルーカは、ちゃんとわかってる。この人なら大丈夫だって。だってさっき、セロは体を張って、ヴェルーカを助けたんだからさ」
「あれは、その……」
言いよどむセロに、ケリーは首をふった。
「オレは何もできなかったけど、ありがとな。ヴェルーカも、セロにありがとうって言いたいんだよ」
「お礼を言われるようなことはしていないよ。僕がしたことは、ただの暴力だ。たとえ、それで解決できたとしても、ヴェルーカを助けたことにはならないだろう」
ケリーはきょとんとしていたが、すぐにプッと吹き出した。
「やっぱり、おまえは固いなあ!ああいうやつらは怖い目に遭わないと、わからないんだよ。だいたい、セロは殴ったりしてないし、先に手を出したのはあっちなんだからさ。最初からあいつらの負けは決まってたって!」
納得できない様子のセロを見て、ケリーは苦笑した。頑固なセロに敵う者は、恐らく誰もいないだろう。
「とにかく!セロはヴェルーカのことを守りたいって思ったから、ガツンと言ってくれたんだよな?そうじゃなきゃ、おまえが知らないやつ相手に喧嘩なんてできないだろ」
ケリーはきっぱり言ってのけると、歯を見せて笑った。
そうか……難しく考える必要はなかったんだ。
ヴェルーカを守りたいと思ったから、騎士たちに歯向かった。
ただ、それだけのことだ。
セロが微笑むと、ケリーは満足そうに頷いた。
「さてと、そろそろヴェルーカの汗を流してやらないとな。ああ、手入れ道具はエダナのを持って来るよ。洗い場も空いてるだろうし、行こうぜ?」
ケリーが立ち上がると同時に、ヴェルーカも洗い場の方向へ頭を向けた。手入れされることがわかったのだろうか。
昼間はまだ夏の暑さが残っているが、夕方になると急に肌寒くなる。汗を水で流すなら早めに取りかからないと、乾かなくなってしまう。
夕空を見上げて、セロはまた過去に思いを馳せる。
四年前、クウェイもこんな気持ちだったのだろうか。
セロは誰かを守りたいと思ったときに湧き上がる気持ちの強さを、初めて知った気がした。
真っ赤に熟した太陽が、二人と一頭の影を長く伸ばしている。焼け付くような夕日に見守られながら、彼らは厩舎裏をあとにした。




