第62話 牛になった馬
「なあ、セロ。せっかくここまで来てくれたんだし、馬を見て行かないか?自分がどんな馬に乗るのか気になるだろ?」
ケリーを騎士団の訓練場まで送り届けて、帰ろうとしたとき。セロは思わぬ提案を受けた。
「いいのか?学長には、明日から一週間と言われているんだが」
「明日からっていうのは、ドラゴン乗りの学生が手伝いに来る日と合わせただけだから、馬を見るだけなら大丈夫だろ。それに、出発までもう七日しかないんだからさ。何事も早い方がいいって!」
ケリーは一棟の長い建物を指さした。
「あの厩舎に馬がいるんだ。まあ、ドラゴンの竜舎と比べたら、かなり小さいと思うけどな」
松葉杖を持ち直して、ケリーは厩舎に向かってひょこひょこと歩き始める。セロは後ろを歩きながら、騎士の訓練場を見回した。
学舎や宿舎の位置はドラゴン乗りと同じだが、訓練場は何もかもが異なっている。
セロたちが使っている訓練場には柵がないのだが、ここには丸い馬場や、大小様々な四角い馬場がいくつも並んでいる。
厩舎前には馬を繋ぐ柱がずらりと並び、風が吹けばおがの匂いが運ばれてくる。馬特有の臭いも、厩舎に近付くにつれて強さを増していた。
「こっちだぜ」
ケリーの案内でセロがたどり着いたのは、厩舎の入り口から左に曲がった所にある馬房だった。
竜舎と同じく、通路の両側に馬房が並んでいる。竜舎と似た造りの厩舎に、セロは居心地の良さを感じた。
「セロが担当するのは、この子だ」
セロは下半分が木戸、上半分が鉄格子になった扉から中を覗き込んだ。しかし、そこにいる動物を見た瞬間、彼は自分の目を疑った。
そこには一頭の小さな馬……ではなく、牛が四肢を折り畳んで座っていたのだ。
薄桃色の可愛らしい鼻に、白黒の斑毛模様。大きく見開かれた瞳が、扉の外にいる二人の人間を見据えていた。
「……牛?」
「おまえなあ、エダナに怒られても知らないぜ?ヴェルーカは牛じゃなくて、立派な馬だ。いや、違うか。立派じゃなくて、かわいいっていうのが正解だな。……ったく、かわいいレディに失礼だろ。まあ、確かに、ちょっと太ったんだけどさ」
「おいおい……」
セロが馬房前の壁に目を向けると、そこにはヴェルーカと書かれた木の板がぶら下がっていた。
「見覚えがあると思ったら……エダナの馬なんだな」
「ああ、そうだぜ。でも、ヴェルーカがこれまでに乗せてきたのは、エダナだけじゃない。エダナが受け継ぐ前は、レイ・ホートモンドさんが乗ってたんだ!
なあ、驚いたか?オレたち騎士の英雄さんが乗ってた馬に、セロが乗るんだぜ!」
セロは驚いてヴェルーカを二度見した。
地上の英雄と呼ばれていたホートモンドさんが、こんなに小さな馬に乗っていたなんて。
「騎士団にとって大切な馬なのに。本当に、僕が乗ってもいいのか?それに、見ず知らずのドラゴン乗りに連れ歩かれるなんて、ヴェルーカも望んでいないだろう?」
ケリーは深いため息をついて、首を横にふった。
「エダナは今も、ヴェルーカを大切にしてる。だから、オレは名前も知らない誰かじゃなくて、セロに任せたいって思ったんだ。グレイの世話だけでも手一杯なオレが、ヴェルーカを担当させてくれって言っても、みんなに笑われるのが落ちだろ?だから、セロ。おまえに頼みたいんだ」
ケリーの目は真剣そのものだ。彼のまっすぐな瞳を見て、セロは確信した。
さっきから感じていた、違和感の正体がわかったのだ。
ケリーは厩舎に来てからずっと、エダナがそばにいるかのように話している。彼女のことを話すとき、ケリーが過去形で語ることはない。
恐らく、ケリーはまだエダナの死を認めていないのだろう。彼に自覚があるどうかはわからないが、その気持ちは痛いほど理解できる。
クウェイを失った痛みと後悔。
エダナを亡くしたケリーと同じように、セロも残された者の苦しみに蝕まれ続けている。
断る理由は、ない。
「エダナやホートモンドさんが、大切にしてきたヴェルーカと関わることができて光栄だよ。一週間……いや、これからお世話になります」
ケリーは嬉しそうにヴェルーカをふり返った。檻の向こうにいる牛柄の馬は伏せたまま、不思議そうに二人を見つめている。
「よかったな、ヴェルーカ!」
幸せそうなケリーの笑顔を見ていると、セロの心は優しい光が差し込むみたいに温かくなる。
だが、しばらくすると、ケリーの表情は陰ってしまった。
「セロのおかげで、オレが一番心配してたことは解決できた。でも、実はさ……ヴェルーカには、まだまだ問題が山ほど残ってるんだ」
「問題って?」
セロは首を傾げた。
「さっきも言ったけど、ヴェルーカは前よりちょっと太ってるんだ。どうしてか、わかるか?」
「……運動していないから?」
「そう。帰って来てからずっと、外に出たがらないんだ」
「ヴェルーカは、以前からそんな感じだったのか?」
「そんなことなかった。外に連れて行くたびに、はしゃいでたし、道草もしょっちゅう食べてた。散歩するのが大好きだったんだぜ?でも……今は、そうじゃないみたいだ」
ケリーは閂を外して、引き戸を開いた。人ひとりが通れる幅まで開き、彼はそこから房の中へ顔を覗かせる。
「ちょっと前までは、こうやって寝てるときに戸を開けてやると、大喜びで飛び起きたんだ」
ケリーは松葉杖を壁に立てかけて、ゆっくりと馬房へ足を踏み入れた。




