第61話 隠し事
「それで、まずは何から取りかかりましょうか。……オルティスさん?」
橋の上に着くと、ケリーは肩で息をしながら、わざとらしく言った。その名を口にする前に、キョロキョロと周囲を気にしていたところを見ると、彼はオルティスの名が示す意味を理解しているようだ。
「ケリー、違うんだ。これは――」
オルティスと呼ばれたことに動揺してしまい、慌てて開いた口からは言い訳じみた言葉しか出てこない。
ケリーは松葉杖で足元をガンッと突き、セロの弁解を遮った。
「何が違うんだよっ!まさか、おまえがこんな大事なことを隠してたなんてな!……どうして、今まで黙ってた?」
俯くセロに、ケリーはさらに問いかける。
「オレが信用できなかったのか?」
「違う……!」
「じゃあ、なんでもっと早く教えてくれなかったんだよ!……セロが英雄の弟だってこと!」
ケリーは厳しく問い詰める。
セロは声を出すどころか、目を合わせることすらできなかった。
お互いに口を閉ざし、対峙する。
訓練場から聞こえてくる音はいつもと同じなのに。ここだけ、無音の空間に切り離されてしまったみたいだ。
永遠に続くのではないかと感じる長い沈黙のあと。先に口を開いたのはケリーだった。
「オレ、本当にビックリしたんだからな。急に学長に呼び出されたと思ったら『オルティス君のことで話がある』なんて言い出すんだぜ?オルティスなんて言われても、英雄さんとオレに何の関係があるんですかって聞いたら、今度は学長が驚いてさ。『まさか、君も知らないのか』なんて言うもんだから……」
ケリーは肩をすくめると、呆れて嘲笑するかのようにふっと短く息を漏らす。彼が発した言葉は、酷く呆気ないものだった。
「……セロのことは、学長から全部聞いた」
やはり……学長は黙っていなかったか。
セロは静かに瞳を閉じた。底知れぬ後悔が込み上げ、胸に大きな異物がつかえたような苦しさを感じる。
「オレがお願いしたんだ。どういうことか全っ然わからないから、セロのこと全部教えて下さいって。ディノのこととか、ややこしくて理解できてない話もあるけど。なんか……おまえも色々と大変だったんだなってことは、バカなオレでもわかった。自分のこと以外に兄ちゃんのこととか、クウェイさんのこととか……。とにかく、何もかも全部、ずっと一人で抱えてきたんだってな」
言いたいことは沢山あるはずなのに、その意志を引き止める力が、セロの唇を固く閉ざしている。無理やり口を開こうとしても、肝心な言葉が喉に引っかかって出てこない。
もどかしさに歯を食いしばるセロの口からは、苦しげな吐息が漏れるだけだ。
「でも、やっぱり……そういう大事なことは、セロから直接聞きたかったぜ」
寂しそうなケリーの声と同時に、セロの頭の中で、かつての自分を見下ろす目が次々と瞼を開けた。
嫌悪、嫉妬、好奇……これらの視線はすべて、十四歳のセロが何よりも恐れていたものだ。
身も心も突き刺さす眼に怯える弱い自分が、心の底で叫んでいる……助けを求めている。
今にも溢れ出しそうな負の感情に押されるようにして、セロはようやく言葉を発した。
「僕は……怖かったんだ。四年前、僕の名前を知った人たちはみんな離れていった。だから……ケリーが僕に声をかけてくれたときも、正直に話すことができなかった。ジアン・オルティスの弟だと明かしてしまったら、君の友達ではいられなくなるかも知れない。そう思うと……言えなかった」
セロが口をつぐむと、ケリーはつまらなそうな顔をした。
「……ふーん」
それだけ呟くと、ケリーは松葉杖を頼りにしながら、セロの前へひょこひょこと歩み寄って来る。そして、彼はセロの額に指をさすと、自分の言葉に合わせて小突き始めた。
「あのなあ……この際、ハッキリ言わせてもらうけど。オレがそんな小っさいことで、友達をやめるわけないだろうが!それに、オレの知ってるセロは、こんなクヨクヨしたやつじゃない!オレの大親友のセロはなあ、そりゃあもうバッカみたいに真面目で、無駄に堅苦しくて、めちゃくちゃ頑固なやつさ!でも、誰に何を言われても動じない強さを持ってて、いざという時にものすっごく頼れる、かっこいい男なんだよ!」
気がつくと、セロはケリーの気迫に押されて橋の中央まで後退していた。胸の内をすべて吐き終えたケリーは大きく息をつき、手をブラブラと振った。力任せに小突いたせいで、指を痛めてしまったのだろう。
「……それからさ、オルティスって名前を隠すってことは、おまえの大切な兄ちゃんのことも隠すことになるんじゃないのか?オレ、あんまり詳しくないけど。ジアン・オルティスって、いなくなるまでは空の英雄って呼ばれてて、この国を守ってくれてたんだろ?なあ……セロ、落ち着いてよく考えてみろよ。おまえは本当に、自分の兄ちゃんがここにいたことも、活躍してたことも、何もかも全部なかったことにしたいのか?」
ケリーの鋭い指摘に、セロは目が覚める気分だった。彼の反応を見て図星だと確信したケリーは、いつもの調子で話を続けた。
「たしかに、その名前は遠征のことを思い出すから嫌だって言う人もいるかも知れないけど、過去のことなんて案外、誰も気にしてないとオレは思うぜ?だから、これからはもっと普通に名乗ってみればいいんじゃないか?僕の名前はセロ・オルティスです、ってさ」
ケリーらしい提案に、セロは泣きそうな顔で微笑んだ。今の今まで、彼とはもう友達には戻れないのではないかと不安に思っていたのだ。
「そうだな……そうしてみるよ」
「うん、その方が絶対いいと思うぜ」
ケリーは立ち疲れたのか、橋の欄干に腰掛けてドラゴンの訓練場をのんびりと見渡した。暖かな午後の日差しに目を細め、穏やかな表情を浮かべるケリーを見ていると、遠征で大怪我をしたことが嘘のように思える。
「それにしても……オレの周りにはどうして、すごい人ばっかり集まるんだろうな。クウェイさんも、オレたちが来る前はホートモンドさんと同じ班だったみたいだし、今度はセロがオルティスさんの弟だって言うんだぜ?なんか……すごく変な感じがする」
セロは隣に腰掛けて、ケリーが見ている景色を一緒に眺めた。ここから見ると、人間よりずっと大きいはずのドラゴンが幼竜みたいに小さく見える。
「ケリー……ありがとう」
セロの口をついて出た言葉に、ケリーはおかしそうに笑った。
「親友にありがとうも、ごめんもあるか。それに本物の絆っていうのはな、手綱とは違って絶対に切れないんだぜ?」




