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ぼくらの森  作者: ivi
第二章 ―目覚め―
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第57話 英雄の面影

 我に返ったセロは、自身の無礼な態度に眉をしかめた。


 「……失礼、致しました」


 セロは頭を深く下げて謝罪したが、次に顔を上げた瞬間、目の前に佇む老人を見て驚いた。


 「学長……?」


 セロが声をかけると、学長はふっと短く息を吐き出した。セロを凝視していた学長は、そのまま力なく椅子に腰掛ける。


 学長はいかなる時も気高い鷲のような気迫をたたえ、決して弱さを見せない。しかし今、セロの目に映るのは羽をもがれた鳥同然の、老いた一人の男だった。


 「あの、大丈夫ですか」


 机の向こう側で心配そうにしているセロをぼんやりと見上げながら、学長は寝言のように呟いた。


 「……ジアン君」


 「は……い?」


 学長は力なく首を振る。

 机に肘をつき、シワの刻まれた額を組んだ手に預けた。


 「いや……まさかな。そんなことが……」


 学長はブツブツと独り言を呟いていたが、しばらくするとセロの青い瞳を見据えた。その姿はもう、老いを微塵も感じさせない。いつもの学長に戻っていた。


 「信じてもらえないかも知れんが……。ジアン君は、君と同じことを言っていたよ。あの日、彼はホートモンド君と一緒にやって来て『このままではいけない。』『魔界軍に立ち向かうべきだ。』と一生懸命、私に訴えた。しかし、私は彼らを信じることができなかった。魔界軍と戦って血を流すのは、私自身ではなく学生たちだと言うのに……哀れなものだ」


 きっと、兄さんたちが学舎を変える決意をした日の話だろう。


 学長の中で閉じ込めていたジアンの記憶が、セロの言葉をきっかけに蘇ろうとしている。


 学長はそっと瞼を閉じた。


 「私はずっと、ジアン君の提案を拒み続けていた。だが、彼はどれほど否定されようと、決して諦めなかった。やがて話が膠着状態になったとき、お兄さんは君と同じ瞳をして言ったのだよ」


 眼鏡の奥で開かれた学長の瞳に、セロが映る。


 髪の長さや顔立ち、雰囲気や性格が違っていても。セロには、たしかに兄の面影があった。


 「兄は、何と申しておりましたか?」


 学長は微かに笑って、ジアンの言葉を伝えた。


 『僕は家族を守りたい。僕はいつか、この気持ちが世界を守ることに繋がるって、信じています。』


 セロの姿がゆらりと歪み、かつてのジアンが学長の視界に蘇る。


 どれほど時が流れても、彼らが兄弟であることに変わりはない。たとえ、二人の距離が天と地ほど離れていても、血の繋がりを絶つことはできないのだ。


 「君のお兄さんは家族を守りたいと、そう言っていた。そして、ジアン君はその言葉通り、立派に魔界軍と戦った。残念なことに、現在は遠征の結果に尾鰭が付いてしまって、誰も英雄の功績に触れなくなってしまったがね……私も、その一人だ」


 学長は大きく頷いた。


 瞳は決意に燃え、強い意志に満ちている。


 「よし、わかった……一週間だ」


 「え?」


 セロは思わず聞き返した。


 「一週間あれば、旅の準備は整うかね?」


 言葉の意味を理解して、セロはしっかりと頷いた。


 「はい!」


 「よろしい。それと、君は馬は嫌いかね?」


 「いえ、嫌いではありませんが……」


 学長は椅子から立ち上がって、窓へ歩み寄る。外に広がる空は、いつの間にか夕日に染まっていた。淡い青空をほんのりと残しながら、オレンジ色の雲がゆっくりと流れていく。


 「ドラゴンに乗って旅させることはできないが、馬を出すことはできる。先日、騎士団から遠征後に乗り手のいない馬が増え、通常作業の維持が困難であるとの報告を受けた。君が馬を一頭でも引き受けてくれれば、彼らの助けになるだろう。長い旅路は人の足で歩くよりも、馬の足に頼る方がいいと思うが……どうだね?」


 「お気遣いいただき、ありがとうございます。ご提案はとても嬉しいのですが、私には乗馬経験がなく、馬を連れて行くことは――」


 「そうではない。君にはまだ、わからないだろうが、君が馬を連れて行くのではなく、馬が君を連れて行くのだ」


 セロの言葉を遮って、学長は背中越しに続ける。


 「それに、何も練習なしに馬に乗って行けと言っているのではない。君には一週間で馬に乗れるよう、指導できる者を付ける。

 心配は無用、君の旅に関して他言させることはしない。だが、ドラゴン乗りが騎士の訓練場で騎乗するのは、どう足掻いても目立ってしまうだろう。それだけは、君と担当の騎士で対処して貰うしかないのだが……構わんかね?」


 すべて見透かされている。


 セロが馬を選ばない一番の理由は、乗ることができないからだ。


 しかし、できる限り他者との関わりを避け、面倒事を起こしたくないという別の理由もあった。


 学長は見事に、セロの本音を察したのだ。


 「……はい」


 セロは学長の言葉に甘えることにした。馬がいれば、旅が快適になることは間違いない。


 「君の後輩はどうするのだね?」


 タークのことだ。セロが旅に出る以上、タークもディノ同様、学舎に残して行くことになる。


 もし、旅の許可が降りたら。セロにはタークのことを任せたいと考えている人物がいた。


 「私がいない間、タークのことは信頼できるドラゴン乗りにお願いしたいと思っています。タークには事情を説明した上で、すべてを話します」


 「すべてとは、何だね?」


 「私が、ジアン・オルティスの弟であることです」


 「……まさか!まだ、話していなかったと言うのか!」


 学長は驚きを顕にしている。


 セロがタークに隠してきたことは、決して褒められるものばかりではない。


 「タークにとって、今の私は嘘で塗り固められた存在です。彼は私の正体も、名前も知りません。……本当に、可愛そうなことをしました」


 学長はしばらく沈黙してから口を開いた。


 「……わかった。では、後輩のことは君に任せよう」


 「承知いたしました」


 「また後日、君を呼ぶ。担当の騎士が決まった日から一週間。これで良いかね?」


 「はい」


 セロの返事を最後に、学長室は沈黙に包まれた。もう、ここにいる必要はない。


 セロは静かに頭を下げると、学長室をあとにした。

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