第20話 狼と蛇
セロは沈黙する少女を見つめていたが、ふと彼女の背後に忍び寄る人影に気がついた。影は足音を忍ばせて、ゆっくりとこちらに近付いて来る。
敵か、味方か。
少女を視界に入れたまま、セロは影の動きにも注意を向けていた。
もし、味方なら少女に悟られないよう、こちらに意識を向けさせなければならない。聞きたいことは山ほどあるのだから、少女の気を引くこと自体は簡単だろう……答えることはないだろうが。
反対に敵、つまり魔界軍だったら……今度こそ命はない。
少女の背後に迫る人影が、白い歯を見せてニヤリと笑った。背筋を伝って心臓をも貫くような、冷酷な笑み。嫌な予感がしたセロは、反射的に少女へ手を伸ばしていた。
「後ろだっ!」
切羽詰まったセロの声に、少女ははっと背後をふり返った。だが、遅かった。彼女は足を蹴り払われて、壁から投げ出されてしまったのだ。
なぜ、不死身の少女に手を差し伸べたのか……よくわからない。だが、咄嗟に伸ばした手が届くことはなく、少女は遥か下の地面へ落ちていった。
――ドスッ
壁の下で鈍い音が響き、辺りは再び静寂に包まれる。物音を聞きつけた学生たちが、松明を持って集まって来た。
……一体、誰が?
闇に目を凝らすと、隣に佇む青年が見えた。
「……ルディア」
名前を呼ばれた影が首を動かす。身を刺されるような鋭い視線を感じたセロは、彼がこちらを見ているのだと察した。
続々と壁の下に集う松明の灯りが、紫色の髪の青年をぼんやりと闇に浮かび上がらせる。
「なぜ、ここにいる?」
セロの問いに、ルディアはふんっと鼻で笑う。彼は髪と同じ色の瞳をすっと細めた。
「その質問、そっくりそのままお返しするぜ、オルティス。でも、まあ……せっかく聞いてくれたんだから答えてやるよ。おまえが随分と急いだ様子で、階段を上がっていくのが見えたんでね。気になって、ついて来ただけだが?」
ルディアは嫌にのんびりとした口調で答えると、不敵に笑った。しかし、セロが口を開こうとすると、彼は蛇のように尖った目で牽制した。
「そうしたら、どうだ。おまえは不死身の少女とお喋りを楽しみ、剣の稽古までしてもらっていたなんてな?それで……どうなんだオルティスさん。おまえの方こそなぜ、ここにいるんだ?」
セロは黙ってルディアを見つめた。
セロではなくオルティスと呼ぶこと。そして、わざと相手を苛つかせるような話し方をするのは、いつものルディアの癖だ。いや、癖というより術と言った方が正しいかも知れない。
ここにいる理由……か。ルディアに必要以上のことを話すのは、やめておいた方がいいだろう。これまでにも、ルディアのお陰で散々な目に遭ったことが何度もあるからだ。
オルティスと呼ばれること自体、セロは不快だった。ルディアは人前ではセロと呼ぶが、二人きりになった途端にオルティスと呼び始める。
その行動にどんな意味が込められているのかは知らないが、目的が何であろうと、知人のいる場所では絶対にその名で呼ばれたくなかった。
ルディアの口が滑って、タークやケリー、エダナにその名を聞かれてしまうのではないかと思うと、セロは気が気でなかった。彼らには……いや、もう他の誰にも、知られる訳にはいかない。
ルディアは信用できない。
「魔界軍の狙いを聞いていたんだ。でも、答えを得ることはできなかった。残念ながら、君が言うほど会話は楽しくなかったし、不死身の少女にお茶を入れてやる余裕すらなかったよ」
嫌味ったらしく答えるセロに、ルディアは何も返さない。彼は黙って腕を組んでいるが、口元だけはかすかに歪んでいる。馬鹿にして笑っているのか、馬鹿にされて不愉快なのか……どちらにせよ、ルディアの心の内を知りたいとは思わなかった。
大人しくなったルディアから目をそらして、セロは再び訓練場を覗き込んだ。壁の下ではたくさんの松明が輪になってひしめき合い、その中心には不死身の少女が仰向けに倒れていた。
瓦礫の上に放り出された体は、指先一つ動かない。広げた腕の下ではためく黒いマントが、不気味な翼のように見えた。
「不死身の少女を捕らえれば、魔界軍の情報を聞き出すこともできただろうに……」
死んだように動かない少女を見たまま呟くと、ルディアが声を上げて笑い出した。
「何がおかしい?」
「オルティス、おまえだって不死身の少女を殺そうとしていたじゃないか。俺があいつを蹴り落とさなくても、いずれはおまえが殺していたさ。それに……」
笑いを噛み殺して、ルディアはセロを見下した。どれほど口で嘲笑っていても、彼の目はちっとも笑っていない。
「おまえは大切なことを一つ忘れている……やつは死なないってことをな。あのガキは、大草原遠征から年も取らず、ずっと少女のままなんだぜ?森で出会ったが最期。どんな攻撃も通用せず、死んだと思っても生き返る。だから不死身の少女と呼ばれ、恐れられるようになったのさ。こんな有名な話、オルティスが知らないはずないよなあ?」
セロに反論する隙を与えず、ルディアは続けた。
「不死身の少女を捕えるチャンスなら、いくらでもあるんだ。……そう、いくらでもな。まあ、あのぼんくら共がしっかりしていればの話だがな?」
ルディアが顎で示す先には、少女の周りに集う野次馬たちの姿があった。
「ルディア、おまえは――」
「おっと!無駄話はそこまでにしておけよ。……不死身の少女のお目覚めだ」
ルディアが演技がましく言い放つと同時に、二人の足元から悲鳴が沸き起こった。
松明の光が慌ただしく動き回り、学生たちが蜘蛛の子を散らすように逃げ惑っている……何が起きているんだ。




