第16話 増援
「大丈夫か、ターク」
見上げると、セロが手を差し出していた。タークはその手を握り、力を借りて立ち上がった。
「もう駄目かと思いましたよ、セロさん」
「本当にすまなかった」
セロは申し訳なさそうに謝ったが、ふと右腕の痛みに顔をしかめた。
「痛い……な」
汚れた袖をめくると、セロの腕には二つの手形がくっきりと刻まれていた。タークが引き止めたときについたものだ。
痣をさすりながら、セロは力なくため息をついた。
「うわあっ、ごめんなさい、ごめんなさいっ!わざとじゃないんです!あのときは、必死で……!」
セロは首を横に振った。
「あのとき、タークが止めてくれていなかったら、今頃どうなっていたか……。ありがとう、おかげで助かったよ」
――グワアアアアアーッ!
大地を揺るがす咆哮にふり返ると、巨大なブラッドウルフの動きが鈍くなっていた。しかし、同時に戦う学生たちにも疲労の色が見え始めている。どちらが先に力尽きてもおかしくない。
セロは破壊された門の上に視線を移した。
『おまえは……まだ、そこで高みの見物をしているんだな?』
「……行ってください」
セロは驚いて、タークを見つめた。
「ごめんなさい。暗すぎて、ぼくには不死身の少女が見えないんです。だから、引き止めてしまって……。ぼくはセロさんほど、夜目が効かないんです」
タークは顔を上げて、セロと目を合わせた。彼の茶色く透き通った瞳に、強い意志が宿っている。
「不死身の少女を見つけたのは、ぼくたちだけ。少女に不意打ちを仕掛けるなら、今しかないですよね!」
――ドンッドンッ!
また、衝撃音が響く。
『ブラッドウルフの増援だ!』と身構えるタークに、セロは微笑んだ。
「……どうやら、増援に来てくれたのは騎士団のようだな」
セロが指さす先では、太い木のかんぬきで閉ざされた扉が、ガタガタと揺れていた。ドラゴン乗りと騎士の訓練場を繋ぐ扉から、怒鳴り声が聞こえてくる。
早く開けないと、学舎の扉がまた一つ壊されることになるだろう。
「ターク、頼みがある。あの扉を開けられるか?」
「はい!」
タークの返事は頼もしい。
セロは橋を見つめた。
さっき、我を失っていたときに思いついた方法を、頭の中で再確認する。階段から跳び移れば……壁の上へ行けそうだな。
「行くぞ、ターク!」
セロに続いて、タークも走り出す。倒れた松明や横たわるブラッドウルフの亡骸を、いくつも跳び越えた。
階段が目の前に迫ったとき、セロはタークの背中をそっと押した。互いにふり返ることなく、セロは階段を駆け上がり、タークは扉へ辿り着いた。
太い木のかんぬきは鉄の留め具にはまり込み、簡単には外れそうにない。今にも破壊されそうな扉に向かって、タークは叫んだ。
「今、開けます!」
かんぬきに手をかけて、横に引っ張る。
タークの声が届いたのか、壁の向こうから聞こえる騒ぎ声は小さくなり、扉の揺れがぴたりと止まった。
「誰かいるのかっ!」
すぐそばで、男の声が聞こえる。扉に体を押し付けていたタークは、ふと隙間から見える人影に気が付いた。
「あの、騎士団の方ですか!」
タークは声を張り上げて、人影にたずねた。扉の向こう側で小さなざわめきが起こる。
「ああ、そうだ!そっちが大変なことになっていると聞いて来た!一体、何があったんだ!」
息を止めて板を引っ張るタークには、質問に答える余裕はなかった。
力任せにかんぬきを引く腕が痛い。
こんなに硬いなんて……!いつも門の開閉をしている人たちは、どうやって外しているんだろう。
限界を感じたタークは、かんぬきから手を離した。息が上がり、膝についた手は小刻みに震えている。
「おい、どうした?なぜ答えない!」
少し怒気を含んだ男の声。しびれを切らした騎士たちが、不満そうな声を漏らしている。
「かんぬきが……かんぬきが、外れません!」
タークは扉をじっと睨みつけた。
騎士たちが力任せに押し開けようとしたため、扉はこちら側に歪んでいる。そのせいで、太いかんぬきも、くの字に曲がっていた。これでは、いくら引っ張っても動かないはずだ。
もしかして……!
ひらめいたタークは、鉄の留め具を見つめた。留め具はL字になっていて、上からもかんぬきをはめ込めるみたいだ。
再び板に手をかけて、今度は力いっぱい持ち上げてみる。かんぬきが少しずつ外れそうになっていることに気が付かず、タークは渾身の力で押上げ続けた。
扉の向こうで、男が指示を出す声が聞こえた。
「おい、扉を壊せるものはないか!何でもいい!斧でも何でも持って――」
「うああっ!」
突然、かんぬきが外れ、タークはバランスを崩して尻もちをついた。
開いた扉から眩しい光が差し込み、タークは思わず目を細める。
ザッザッと砂を踏みしめる蹄の音……かんぬきを抱えたタークの前で、足音はぴたりと止まった。
「君か?さっきから、ここで苦戦していたのは」
頭上から聞こえる声に顔を上げると、馬に乗った大きな影がタークを見下ろしていた。松明の灯りのせいで、その人の顔は見えない。よろよろと立ち上がりながら、タークは返事をした。
「はい、そうです」
「そうか、ご苦労さん。早速だが、状況を聞かせてもらいたい」
タークは一生懸命に話した。
「大きなブラッドウルフが暴れています。小さいブラッドウルフの群れは、全滅しま――」
――ウオオオオーーーーン!
タークの声を掻き消すように、ブラッドウルフの遠吠えが響く。一瞬にして、騎士たちの間に緊張が走った。
「よし、わかった。あとは我々に任せろ。……行くぞ!」
先頭の馬に続いて、大勢の騎士たちが駆け出した。どの馬も、タークをするりとかわして走り抜けていく。
馬たちが巻き起こす風にもまれて、タークの髪はぐしゃぐしゃになった。
砂を蹴る馬の足音が遠のいて行き、遠くから歓声に似た叫び声が聞こえてくる。
これで、きっと大丈夫だ。
タークの口から、深いため息が漏れる。
手に持っていたかんぬきを捨てて、彼は壁を見上げた。闇に包まれて全貌を見ることはできないが、セロは今、あの壁のどこかにいるはずだ。
しばらくすると、タークは開け放たれた門に背を向けて武器庫へ走った。
闇に沈んだ訓練場に、まだ夜明けは来ない。




