第106話 告白
月明かりに照らされたホールに足音が響く。待ち合わせの相手がやって来たようだ。
「セロさん、遅くなってすみません」
セロはまぶたを開けて、頬杖をついていた腕を下ろした。
訓練場以外の場所に呼び出されたことがないからか、タークはいつになく不安そうな顔をしている。
彼はセロの正面にやって来ると、テーブルの前でおずおずと姿勢を正した。
「あの……それで、用って何ですか?」
「……今日の野外訓練はどうだった?」
「えっ?」
予想外の質問に、タークは驚きの声を漏らした。てっきりお説教を受けると思っていたのだ。
タークは大慌てで感想を考えた。
「あ、えっと、すごく楽しかったです!はじめて、チャアと心が繋がった感じがして……セロさんが帰るって言ったとき、もっと飛んでいたいなって思いました!出発したときは怖くて、早く帰りたいって思ってたんですけど、飛んでいるうちに楽しくなったんです。とても不思議な感じでした!」
ゆっくりと言葉を紡ぐタークに、セロは何度も相槌を打った。
「今日の感覚はしっかり覚えておくんだ。タークが飛ぶことを楽しいと思えるようになったのは、チャチャと繋がることができた証なんだ」
ぱっと顔を輝かせるタークに、セロはそっと頷いた。
「おめでとう、ターク。また一歩前進したな。これからも、その調子で頑張ってほしい」
「えへへっ!」
タークは照れ笑いをして、恥ずかしそうに顔をそらす。
そのとき、彼の視界にあの絵が入ったのだろう。
タークは柱にかけられた絵に近づくと、額縁の英雄を見上げた。
「英雄さんも訓練が上手にできたときは、こんな気持ちだったのかな?」
タークの独り言に、英雄は答えない。
しばらく絵を眺めたあとで、タークは不思議そうにセロをふり返った。
「あれ……?もしかして、セロさんの用ってこれだけですか?」
頷くことも、首をふることもしないセロを見て、タークはほっと安堵の息をついた。
「なあんだ!ぼく、怒られるのかなって勘違いしてました。でも、訓練のふり返りなら、部屋でもよかったんじゃないですか?」
ごもっともな意見に、セロは素直に頷いた。
「そうだな。でも、今日は後輩の成長を、英雄の二人にも見てもらいたかったんだ」
「そうだったんですか!でも、なんだか、そういうのはセロさんらしくない気がしますね」
セロは机上に腕を置いて、タークをじっと見つめた。絵に見入る少年の横顔は、出会ったときよりも、ほんのり勇ましくなっていた。
今なら……すべてを話せるかも知れない。
しかし、いざ真実を打ち明けるとなると、何を話せばいいのか、わからなくなってしまう。兄のことやディノのこと、そして自分自身のこと。
隠し事が多すぎて、セロは嘘の塊のような存在だ。
セロは迷った末に、昔話をすることにした。
「……ジアン・オルティスは、森で遊ぶのが好きだった」
突然の呟きに、タークは体ごと向き直った。
「彼は毎日、家の裏に広がる森に出掛けては、動植物の声を聞いて遊んでいた。大自然に包まれながら、日が暮れるまで森で過ごしていたんだ。帰るのが遅くなって父親に怒られても、彼は森に行くことを止めなかった。そんな彼がなぜ、故郷を離れてドラゴン乗りの道に進もうと思ったのか……僕には、わからない」
「ジアンさんが森で遊んでいたなんて、知らなかったです!……でも、言われてみると、たしかに不思議ですね?そんなに森が好きなら、騎士団に入った方が楽しいはずなのに。空は飛べないけれど、森を馬に乗って走り回るのは、騎士さんにしかできないことですよね!」
タークは両手をぎゅっと握りしめた。
「ジアン・オルティスさん……!忘れないように、名前を覚えておかないと!それにしても、セロさんは本当に物知りですよね!英雄さんについての面白いお話って、他にもありますか?」
恐らく、その名前は嫌でも忘れられなくなるだろう。
セロは話を進めた。
面白い話ではないかも知れないが。
「第一回大草原遠征で、彼のドラゴンは乗り手を失った。だが、彼に血の繋がった姉弟がいたおかげで、ドラゴンは命を繋ぎ止められたんだ。彼の弟に受け継がれたドラゴンは、今もこの学舎で生き続けている」
「ええっ!本当ですか!」
しーんと静まり返った広間に、タークの甲高い声がこだました。
「ぼく、弟さんとドラゴンに会いたいです!セロさんは知っているんですか?」
セロが黙って頷くと、タークはテーブルにバンっと勢いよく手をついた。いつもなら注意するところだが、今日のセロはたしなめることもしない。
「お願いします!絶対に迷惑はかけないので、弟さんの名前を教えて下さい!もし駄目なら、ドラゴンの名前だけでもっ!」
「……わかった」
タークをまっすぐに見据えて、セロはドラゴンの名を伝えた。
聞き間違えることがないよう、ゆっくりと丁寧に。
「ディノ」
「えっ?」
「ドラゴンの名前は、ディノだ」
タークの目が大きく見開かれる。
ディノ――その聞き慣れた名前が、乗り手のものでないことは嫌でもわかっただろう。
雲の切れ間から覗く青白い月が、セロの姿を闇に浮かび上がらせる。
緊張に張り詰めた空間で、二人は黙って向き合っていた。
長い時間が流れたあと、先に沈黙を破ったのはセロだった。
「僕の名前は、セロ・オルティス……空の英雄の弟だ」
半年前に名乗ることができなかった名前を、セロはようやく告げられたのだ。




