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ぼくらの森  作者: ivi
第三章 ―旅立ち―
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104話 子守唄

 コルクの蓋を開けたセロの手が、小刻みに震える。瓶の中の液体も共鳴するように揺らめいている。


 彼は手をギュッと握りしめた。


 薬を飲めば、ディノとはしばらくの間お別れすることになる。もう一つの薬を飲めば、彼女が死ぬことはないとわかっている……わかってはいるのだが、臆病な自分が液体を飲むのを拒んでいた。


 セロが踏み切れないでいると、大人しく見守っていたディノが、そっと首を伸ばした。小瓶の匂いを嗅いだドラゴンは、セロの手を鼻先で小突き始めた。


 「駄目だ、ディノ。君が飲んではいけないんだ」


 ……嘘だ。


 乗り手とドラゴン、どちらが飲んでも構わない。一方が飲めば、薬は双方に効果を発揮する。


 だが、セロはどうしても、ディノにだけは飲ませたくなかった。


 小箱に同封されていた紙には、他の文章とは異なる筆体で注意喚起がなされていた。


 どのような事情があろうとも、ドラゴンとの血の繋がりを解除する者は、相応の代償を受けると。


 この薬は本来、事故や病によってドラゴン乗りとしての道を降りなければならなくなった乗り手と、そのドラゴンの繫がりを断つために生み出された。


 だが、一部の愚かな人間たちが、自己中心的な理由で眠り薬を使うようになった。彼らの言い分はどれも軽率なものだった。


 理不尽な枷に縛られるドラゴンを、人間から守るため。母なるドラゴンの願いによって、新たな眠り薬が生み出された。


 乗り手だけに代償を与える効果が付随された、新しい眠り薬。


 それが今、セロが持っているものだ。


 セロには、ディノとの血の繋がりを断つ特別な理由はない。母なるドラゴンからすれば、彼も身勝手な理由でドラゴンとの繋がりから逃れる愚か者の一人……代償を受けなければならない。


 だが、飲むのが怖いからと言って、何の罪もないディノに飲ませることはできない。


 そんなのは、ただの甘えだ。


 セロは決意に満ちた表情でディノを見上げた。


 彼の気持ちを読み取ったディノは、これから始まる長い眠りに向けて身支度を整えた。翼で身を包んで、ゆったりと寝藁に伏せた彼女は、穏やかな瞳でセロを見つめている。


 「……おやすみ、ディノ」


 小瓶の中身を一気に飲み干すと、たった一口で空っぽになった。


 味のしない液体が、喉を通っていく。


 コルクを瓶口に詰めた瞬間、セロの心臓が激しく鼓動し始めた。まるで、誰かに叩き潰されるみたいに。


 目の前の景色が、握り潰されたように歪む。息を吸おうとしても、肺に空気が入るたびに激痛が走った。


 心臓が鼓動するたびに痛みは増し、呼吸する毎に意識が遠のいていく。胸を引き裂かれるような痛みに、声を上げることすらできない。


 セロは寝藁の上に膝をついた。


 ――誰か、僕の心臓を止めてくれっ!


 指先が食い込むほどの力で胸を押さえても、心臓は暴れ続ける。上手く呼吸ができない……肺が潰れそうだ!


 そうだ……ディノ……ディノは、大丈夫か?


 セロは鋭い痛みに身を震わせながら、無理矢理に顔を上げた。項垂れるドラゴンの輪郭が、ぼんやりと霞む視界に浮かび上がる。


 少しでも気を抜けば、倒れ込んでしまいそうだ。


 だが、もし、このまま意識を失ってしまったら……ディノも自分も死んでしまうのではないか。


 そんな死への恐怖が、セロの体をより一層激しく震わせた。


 微塵も収まる気配のない痛みと、底知れぬ眠気に苦しんでいたそのとき。どこかから、懐かしい唄声が聞こえてきた。


 「母……さん……?」


 幼い頃の記憶が、名前を呼ばれた子どもみたいに駆け寄ってくる。


 淡い月明かりに照らされた屋根裏部屋で、幼いセロを抱いた女性が子守唄を歌っている。


 優しい唄声に合わせて、背中をトントンとさすられる感覚……。セロは瞳を閉じたまま、子守唄に耳をすませた。彼の意識をかろうじて現実に引き止めているのは、母親の唄声だけだ。


 雨のつぶやき

 灯るろうそく

 おねむの坊やは

 暖炉のそばで

 さあ眠りましょう

 よい子はおやすみ

 水と火が集ううちに


 風のささやき

 遠い雷

 おびえる坊やに

 唄を歌って

 さあ眠りましょう

 よい子はおやすみ

 風と雲が遊ぶうちに


 白の輝き

 黒い暗闇

 幼い坊やを

 腕に抱いて

 さあ眠りましょう

 よい子はおやすみ

 闇と光が巡るうちに


 月のゆりかご

 まわる星空

 眠れる坊やは

 夢の世界へ

 さあ眠りましょう

 よい子はおやすみ

 天と地が守るうちに 


 あれほど苦しかった胸の痛みが嘘のように、すうっと引いていく。


 母の子守唄が遠のくとともに、セロは薄れていた意識を少しずつ取り戻していった。

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