第103話 眠り薬
月明かりが差し込むホールで、セロは壁にかかる絵を眺めていた。
いつもより遠い席に座って、ぼんやりと額縁の英雄を見つめている。その瞳は深い悲しみに沈んでいた。
セロは、大切な相棒に別れを告げたばかりだった。
ホールに来る前、セロは真っ暗になったディノの竜房にいた。ここがこんなにも暗いのは、竜舎が消灯されたからではない。
ディノの房は四方の壁に黒い布が打ち付けられて、外からは中の様子が見えないようになっていた。光が入ってくるのは、ぽっかりと開いた天井だけだ。
これではまるで、ディノが隔離されているみたいだ。セロは金槌を振るい続けた腕をさすりながら、やっとひと息ついた。
寝藁に体を埋めたディノは、黙ってセロのことを見つめている。今夜の夕食が豪華だったからか、ドラゴンのご機嫌な感情が彼の心に伝わってくる。
いつもは首都から届く干し肉を与えているのだが。今夜の晩餐は、飛翔訓練の帰りに仕留めた野ウサギだった。
ディノはいつもと違う房の様子に、警戒する素振りを見せることはない。きっと、これから何が起こるか理解しているのだろう。
ディノの青い瞳に見守られながら、セロはズボンのポケットから、小さな古い袋を取り出した。これはケリーと学長室で再会した時に、学長から受け取ったものだ。
袋の紐を解くと、中から手のひらサイズの木箱が出てきた。
箱の金具を外して蓋を開けると、薄紫の小瓶と透明な小瓶が二つ横たわっていた。
同封されていた紙は、すでに読んだ。
小瓶の液体を飲めば、乗り手とドラゴンの繋がりを一時的に断つことができる。だが、その期間は長くはない。ディノの体力にもよるが、きっと一年ももたないだろう。
恐らく……冬を越えられるか否か。
薬の効果が出ている間、ドラゴンは仮死状態で眠り続ける。彼らの体力は、眠っている間も刻一刻と削られていく。
ドラゴンが力尽きる前に、乗り手がもう一つの薬を飲まなければ、ドラゴンは目覚めることなく、永遠の眠りにつくことになる。
冬眠に失敗した動物たちが、春を迎えることなく土に還るように。
落ち葉の下から覗く小動物の髑髏が脳裏に浮かんで、セロは固く目をつぶった。白い頭蓋骨が彼を見上げ、空っぽの眼孔には真っ黒な闇が渦巻いている……嫌な想像をしてしまった。
セロの死への恐怖が、ディノにも伝わってしまったようだ。目の前のドラゴンは、心配そうに首を傾げている。
ディノを安心させるために、セロは作り笑いを浮かべた。それと同時に『大丈夫、大丈夫。』と自分に言い聞かせる。
だが、本当は……笑っていられる状況じゃないんだ。
この薬が及ぼす影響は、決して生温いものではない。使い方を誤れば、ドラゴンの命を奪う凶器にもなる。
これから飲むのは、そんな危険な薬だ。
人とドラゴンの命の繋がりを絶つ、毒薬だ。
一週間かけて覚悟を決めたはずなのに。
いざ、そのときになると決意が揺らぎそうになる。
心に生じた迷いをふり払うように。セロは薄紫の小瓶を取り出すと、コルクに手をかけた。




