第102話 後始末
セロはその場で静かに姿勢を正した。宿舎へ帰る前に、ケリーへ伝えなければならないことがある。
直立不動の姿勢で腕を後ろに回して立つ。
学舎の人間が、敬意を示すときにする敬礼だ。
「ケリー。君にはこの一週間、本当に世話になった」
あっという間に過ぎた一週間の記憶が蘇る。
ケリーは顔を背けて、わざとらしく肩をすくめてみせた。
「よせよ……親友として、当然のことをしたまでなんだからさ」
照れくさそうに頭を掻きながら、ケリーは手をひらひらと振っている。親友の「やめろよ。」の仕草に、セロは素直に従った。
敬礼を止めたあとで、セロは後悔を呟いた。
「もっと早く、君のトラウマに気がついていれば……」
ケリーが腹の傷へ手を伸ばす。
「今朝、君が馬場で苦しそうにしているのを見て、やっと気がついた。本当は辛かったんじゃないのか?」
「いや、別にそんなことないぜ?」
ケリーは満面の笑みで首をふった。
「本当に何ともないから、あんまり心配すんなよ?」
ケリーの振る舞いは、明らかに不自然だ。
少しの沈黙のあと、セロはゆっくりと口を開いた。
「僕が帰ったら、また一緒に訓練をしよう」
瞳の奥底に強い意志を秘めた目。
セロがこの目をしているときは、どんな誤魔化しも効かない。
あーあ、最後の最後に勘付かれるなんてな。
……お手上げだ!
「はは……っ!こんなトラウマくらい、セロが帰って来る前に克服してみせるぜ!」
ケリーは右手を差し出して、屈託のない笑顔を見せた。
「それに、オレはもう一人じゃない。ニックと一緒に、おまえたちの帰りを首を長くして待ってるぜ。なあ、頼むから、オレの首がドラゴンみたいに伸びる前に帰って来てくれよ?」
「わかった」
セロはケリーの手をしっかりと握った。お別れの握手をする二人の影が、誰もいない厩舎の通路に落ちた。
「本当は階段まで見送りたいところだけど。ごめん……ちょっと無理かも知れないな」
ケリーの言葉に隠された意味を察して、セロは寂しそうに微笑んだ。
「それじゃあ……またな」
ケリーは笑顔で見送り続けた。
親友の背中が見えなくなるまでは。
通いなれた風景が、なぜか物悲しく感じる。
セロが厩舎の外に向かっていると、通路の向こうから人が来るのが見えた。逆光で見えにくいが、どうやら二人いるようだ。
邪魔にならないように避けたセロの横を、騎士が通り過ぎて行く。
その瞬間。セロは身の毛がよだつような嫌な予感に襲われて、二人の騎士をふり返った。
顔は確認できなかったが、間違いない。彼らは丸馬場で言い争った騎士たちだ。
「何だよ、まだいたのか?」
セロが騎士たちを見つめていると、背後から声をかけられた。
「そんなにこっちの訓練場が居心地いいのか?おまえ、ドラゴン乗りの友達がいないんだろ?」
感情のない顔で視線を返すセロに、青年騎士は唇を歪めた。
『心の歪みは表情に現れるから、見る人が見ればすぐにわかるんだぞ。』
バドリックから、そんな話を聞いたことがある。
「……余計なお世話だ」
さっさと立ち去ろうとするセロに向かって、青年は意地悪く言葉をかけた
「まあ、そんなに冷たくするなよ。おまえらのために、俺たちが動いてやったってのに」
普段なら無視するところだが。
どうやら、そういう訳にはいかないようだ。
「どういう意味だ?」
厩舎の外に出かかっていた足を止める。
セロの問いに、青年はフッと鼻で笑った。
「おまえみたいな部外者が、俺たちの班をどうこうしようたって無理な話なんだ。そもそも所属が違うんだからさ。それくらいは、わかるだろ?」
セロは無言で頷いた。
「だから、俺たちがこっちの指導者に話して、ニックをケリーの班に移してくれって頼んだんだよ」
青年はさも馬鹿にしたように、セロを見下ろしている。
「おまえ、バカだなあ!全部が自分の思い通りになると思ってんの?そっちではどうだか知らねえけど、騎士には騎士のルールがあるんだ。今回は俺たちが尻拭いしてやったけど、これを限りにヒーローごっこなんて、やめとくんだな。悪者にされる側からすれば、迷惑極まりないぜ?」
「さっきの二人は……」
セロは心配そうに厩舎の奥をふり返った。
「ケリーに、ニックについての話は済んだって言いに行ってるだけだ。喧嘩はしねえよ」
セロが引き起こした、事の始末を黙ってやってのける。そんな面倒見のよい一面を、なぜニックに向けられなかったのか。
もし、彼らが仲間と同じように、ニックに接することができたなら。ニックはこの青年のもとで、一人前の騎士になることもできただろうに……。
「助かったよ。ありがとう、本当に」
「感謝しろよな」
礼を述べられると調子が狂うのか、青年はふいっとそっぽを向いた。
彼はセロと目を合わせず、ぶっきらぼうに訊ねる。
「なあ、一つ聞きたいことがあるんだけど」
「何だ?」
「おまえが言ってた、名乗れない苦しみって何なんだ?」
「ああ……」
セロは簡単に答えた。
洗い場の屋根の向こうで、夜の紺色が夕空を蝕んでいくのが見える。
「その言葉の通りだよ」
「はあ?」
意味がわからない、と言いたげに青年は首を傾げている。しかし、不思議と嫌悪感は感じなかった。冗談に呆れて、軽く受け流す感じに似ている。
「……何だそれ」
理解することを諦めたのか、青年はボソッと呟いた。
沈黙が続く前に、今度はセロが訊ねる。
「名前は?」
「はっ?」
青年は唐突な質問に驚いたのか、少し躊躇いがちに名乗った。
「……シンジ」
「そうか。ありがとう、シンジ」
シンジは肩をすぼめると、そそくさと仲間を追って行ってしまった。セロも背を向けて、夕闇に沈む階段へ向かう。
和解とまではいかなかったが、旅立つ前に話ができてよかった。
セロには、まだ最後の旅支度が残っている。
残り少ない時間に追われて、彼は夕空に伸びる階段を足早に登った。




