夏きたる。そして出会う。
遅筆であります。
ゆっくりと言葉を咀嚼して書きたいところ。
更新は遅く、まるでノベルゲーのような、
そんな小説を目指して書きますゆえ、
どうぞよしなに。
蝉が鳴く。酷暑の街を超えて、電車を乗り継いで向かう。トンネルを抜けて目が痛くなるくらいの日差しの先に広がる田園風景。ーーー鮎川村。ここが祖父母が、かつて母が住んでいた田舎と言うわけだ。
突然鳴った電話。祖母からの着信を受けた母は耳を傾けて、電話口からの言葉に目を丸くする。やがて母は嗚咽混じりに声を振るわせる。全てが終わるとこちらに向き直し、一呼吸を置いてから一言呟いた。
「お父さんが…いや、お爺ちゃんが亡くなったみたい…」
その日のうちに母は支度を済ませて葬式へと向かい、1週間もせずに帰宅する。そして何やら父と話をしているようだ。どうせ俺には何も関係がないだろう。そう思っていたのは少しばかりドライだろうか。しかし、これは俺の人生を変えてしまう出来事で、半ば否応なしの急展開と言うに相応しいことだった。
「じゃあ、俺は先にトラック走らせて鮎川に向かうから、日和の面倒は頼んだぞ心太郎。お母さんと一緒にゆっくり来ればいいからな。…そうだな、夕方までにきてくれたらそれでいいか」
「了解、…日和歩けるか?」
「…うん、おんぶしてくれたら歩ける」
「それは歩くって言わないんだけどな…」
「お父さんも事故には気をつけてね。特に畦道とかの泥濘には」
「おうよ、歴15年の運転捌きでどうにでもしてやらぁ。じゃ、俺は先に行くわ」
父は家財道具を自前のトラックに乗せてすぐに走らせていった。本当は家族で一緒に行きたかったのであろうが、先に荷下ろしをして仕事に向かわねばならず、こちらとしては少しばかり気の毒だが、それが1番手っ取り早いのだそうだ。
「私が連絡してるから、有志の人が手伝ってくれるそうよ。着いたらお父さんはいないけど、そのまますぐに生活できるからね。さぁ、向かいましょうか」
そうして今に至る。夏真っ盛りには少し早いながらも気温は30℃を超えていて、Tシャツがぴっちりと肌に張り付く。その上、妹である日和を背中に乗せるとよりその暑さを助長させる。電車内では当初クーラーも効いて涼しかったが、鮎川行きの電車に乗り継いでからは年季の入った扇風機が迎えてくれただけだった…。
○
「次は終点鮎川村〜、お出口は左側です」
都会の茹だるような暑さを乗り越えて山麓を抜け、のどかな田園風景にポツリと佇む終点の駅。改札はなく、少し先に電車の格納場所がひっそりとあるくらいだ。
今は夕刻には少しばかり早い15時を過ぎたころ。チチチチッと鳴く蝉の声が近くの林から聞こえてきて、気だるくなりそうだったが、意外にもここら辺は川が近いこともあり汗ばむ身体をひやりと撫でる。
終点であるが降りるのは家族の3人だけ。車掌さんも50を超えたくらいの方だろうか、降りる俺たちを焼けた肌にくっきりと皺が出るくらいの笑顔で見送ってくれた。
手荷物はキャリーバッグに日和を右手に繋いでいる。さっきまではしゃいでいたかと思っていたが、トンネルの暗さにすぐに寝ついてしまったのか、今は眠気まなこをグシグシと擦ってトボトボ歩いている。母と言えば懐かしそうな雰囲気を感じ、それでいて悲しそうな表情を浮かべる。祖父が死んだのだ仕方のないこと。実際自分でも何度か会った人だ、しかしながら居なくなったという実感は全くない。
「少し早いけど…お家に向かいましょうか。そこのバス停から新しい家は30分あれば着くからね」
母が指差した先にはトタンの屋根に打ちつけただけの木で出来たバス停。3人でそこに向かって、ギシギシと鳴る椅子に日和を腰掛けさせて時刻表を流し見る。今の時刻は15時15分ほど。朝5時から9時まで1時間に1本ずつ。そこから昼の12時に1本。そして15時から19時まで1時間に1本という、中々に限界集落の様相を見せてくれる。
「次のバスが来るまではそこら辺を歩いてきても良いわよ。心太郎にとっては中学上がる前だからあまり覚えてはないでしょうけど。日和は私が見てるから暇つぶししてらっしゃい」
「うみゅ…にぃ…いてら」
「そうだなぁ…」
と言いながらも周りには田んぼ、畑、田んぼ。近くの川は水が透き通っていて、今入れば汗がごっそり流せそうで気持ちがいいだろう。そして、道沿いに家屋が点在していて、築何十年も経ってるであろう瓦屋根の家だったり木造住宅をお目にできる。ぶらりと歩くには少しばかり距離としては遠いかもしれないが、時刻表を見る限りだと先ほどバスは出て行ったみたいで1時間弱かかりそうだ。
「もし時間までに来なかったらほったらかしにするけど、とりあえずこの道をまっすぐ行けばバス停はあるから、戻れなさそうなら電話ちょうだいね」
「ん…分かった。ちょっとだけ歩いてくるよ」
携帯電話と財布をポケットに入れて心太郎は歩き出す。一応綺麗には塗装されてはいる道だが、道幅はやはり狭く、大型車がすれ違おうとするならば、田んぼに降りる道だったりに車を入れてやり過ごす他なさそうだ。こんな所を父は通ってきたのかと改めて感心する。
「それにしても本当に田舎って感じだな。…でも、道沿いに家はあったり、生活雑貨のお店があったりと意外にも不便はなさそうだけど」
心太郎が歩みを進めるとそれなりに道幅が大きくなったり、川には網に入ったスイカが冷やされていたり、人がいるのだと実感は出来る。しかし、周りを見ても無人のようで、子供の声だったりは聞こえてこない。
今は7月に入ってすぐのこと。流石にまだ学校の時間だろうし、子供がいないのは分かるが、大人も見かけないのは少しばかり不気味な気分だ。
それにしても汗は止まらない。ここらで飲み物の1つでも飲まないと喉がカラカラである。
「と…自動販売機か。何か買って飲もうかな」
ちょうどタイミングよく「チョリオ」の自販機が見えてきて、ポケットから財布を取り出す。高校生らしく万札などはなく、千円札が数枚と小銭がジャラっと音を立てる。目の前に立つと上から下まで100円と中々にリーズナブル。
「ここは『スカッとレモンソーダ』にしてみるか」
100円を入れ、ボタンが点灯する。腕を伸ばしボタンに触れようとした。が、届く前にガコンと音が鳴る。下から聞こえたように思えるが…。暑さで朦朧としてるのか、それさえも考えられずに取り出し口に手を入れ…る前に白い何かが目の前を通った。それに呆気に取られたかと思うとーーーーーー。
『大当たり〜!もう一本選んでね!』
あぁ…当たったのか、運が良いなぁ。そうしみじみとしていると、またもやガコンと何かが鳴った。…押してないよな?そしてまたもや白い何かがスッと目の前を通ったが、さすがに手を出してペチリと叩いた。
「いたっ」
「いやいや…誰さ」
「ん…これ美味しい。当たったのは希空のおかげ」
全体を見た。白いワンピース。華奢な身体付き。そして差し出される黒い飲料。俺はそれを受け取るが、まるで意味がわからない。理解が追いつかない。少女…いや、年は近いか?こっちが飲料を受け取ったかと思えばフタを回して炭酸の音が響く。
「今日はこれが当たると思ってた。そして希空のお気に入り。でも、今はお金なかったから貴方は救世主。そして2人で飲めてWin-Winな状態、おーけー?」
「おーけー…な訳あるか!…まぁ、当たったから飲むけどさ。いや、元は俺のお金じゃねぇか」
「グイッと一発。そして広がるシュワっと感。ほれ一気、一気」
これ、俺の妄想の存在か何かか?でも…こんなの買うわけないしな。『超ガラナスカッシュ』明らかに色物だろ…。しかし、喉は渇いている。水分を渇望している。飲むしかない。カシュっとフタを開けてググッと飲み込んでいく。そして俺は…気道に流れ込むそれに悶絶してしまった
「ガフッ!!!!」
「わお、クリティカルヒットお疲れ様」
そして腰を曲げて咳き込む俺にさすりさすりと撫でてくる。正直のれんに腕押しな、そんな気休めな介抱。
「希空が煽りすぎた。ごめんね心太郎」
「ゴホッ…ゴホッーーーーーー…えっ、俺まだ自己紹介してない」
「あ、これは内緒だった。忘れろ〜忘れろ〜」
謎に指をこちらに向けてパタパタと動かす彼女。何か念を送っているのだろうか?しかし、ようやくこの飲料を堪能できるまでには回復できた。
「君は一体…誰なんだ?いや、ここの住人か」
「そう。私は百目鬼希空。希空ちゃんって呼んでほしいな」
「…初対面でいきなり名前呼びは俺にはハードル高いって言うか…」
「む…ならば、私は心太郎…いやところてんって呼ぶからね」
「な、なんで中学の時のあだ名を知ってるんだよ!」
伊波心太郎。心太の部分を取って『ところてん』と呼ばれた中学の頃。しかし、この少女と同じ学校に通っていたことは思い出せない。…だってこんな可憐そうな女の子とは無縁の学生生活だったからな。
「ふふふ…トップシークレットなのだよ。とりあえず鮎川村にようこそ心太郎。ここは何もないけど何でもできる夢のような場所。つまりここもネズミーランド」
「いやいや、ネズミーランドに失礼だろ…」
「引っ越してきたのは村人全員知ってる。ここは噂がすぐに回るからね。引越し祝いとしてほら飲もう、ここにベンチもあるからね」
そう言って腰掛ける希空という少女。この村に来て30分も経たずに見知らぬ女の子と一緒に座って、このよく分からない飲料を一緒に飲む。
「…最初は咳き込んで分からなかったが、意外にパンチも効いて美味しいなこれ」
「そうだろう、そうだろう崇め奉ればいいのだぞ〜?」
「はいはい、チョリオ様さいこー」
初めて会った人とまるで掛け合いのように会話が紡がれる。こんなに異性気にすることなく話せるのは家族以来だ。だけど気になる…なぜ俺のことを知っているのかと。いや、無粋なことだ。今は喉を潤したい。
○
百目鬼希空との邂逅からペットボトル飲料を飲み干す。その刹那の時間ですらも、蝉は鳴き、生暖かい風が通り抜けて、Tシャツをじんわりと汗ばませる。それでも喉を通る刺激と見覚えのない場所に幾分かの郷愁を馳せる。
全て飲み干し、自販機横にあるゴミ箱へペットボトルを入れ、乾いた音が鳴る。少女…希空の方も飲み終わったようで、
「よっ…と」
華奢な身体をベンチから跳ね上げてスタスタとゴミ箱へとペットボトルを流し入れた。そしてこちらに振り向くとぺこりと一つお辞儀。
「うーん、生き返った。褒めて遣わす」
「はいよ…よく考えたけど、実際出したお金で当たっただけだから俺は損してないのか」
「そゆこと。新たな開拓と人助け。一石二鳥で徳も上がったね」
「…そういうことにしとくよーーーーー」
そんな軽口を言うと聞き慣れた音。これはどこに行っても聞こえる音。田舎だろうが、都会だろうが。日常耳にする音。それが2人の横を通り抜けたかと思うと、そこには見たことのある顔。
「あ…バス。もうそんな時間だったのか…」
携帯を取り出しチラリと見ると時間は16時と少しすぎた頃。そして着信が一件。ご丁寧に留守番電話が入っていたのだった。今更聞いても仕方のないことだが、とりあえず聞いてみる。
『ーーーーーーあ、心太郎?もうバス来ちゃったから私たちは先に行ってるわね。家の近くにバス停…名前は百目鬼バス停ってあるからそこを目指していらっしゃい。…あと、連絡はしっかり入れなさい』
これは…あとで一言言われそうだ。しかし、行ってしまったものは仕方ない。このまま真っ直ぐ家を目指すことにしよう…。
身体は少し冷えた。少しばかり刺激的な飲料を身体に入れて、また歩き出す気力を得る。携帯電話をポケットに直して歩き出せば、先ほどの少女は後ろをついて歩いてくる。
「…どうした?まだ喉が渇いてるのか。と言っても俺もしがない高校生なんだ。小遣いはあまり使いたく…」
「希空の家。さっきチラッと聞こえた。百目鬼バス停。そこは私の家だから」
「なるほど…行く先は一緒ってことね」
「だから付いていくのも問題なし。むしろ付いてくるのは心太郎の方」
そう言うと、自分の2歩ほど前に躍り出て、真っ直ぐと歩いていく。まるで白い妖精に導かれて連れて行かれる児童の…それは1分も経たずにあっさりと横に並んだ。
「どうせ真っ直ぐ行くんだろ?だったら横でも問題なしだな」
「むぅ…心太郎のくせに」
少しだけむくれる彼女は、やがて仕方ないと言う表情で無理に抜かそうとすることはしなかった。そんな暑い日差しを跳ね返す小綺麗な塗装された道を2人で歩いていくのだった。
途中の会話は無く、それでも疑問は浮かぶ。…なぜ俺の名前を知っているのだろうか。もしかしたら昔ここで会ったことがある?それは…難しいことだ。何せ子供の頃に来たことがある程度。祖父の顔もまともに思い出せないくらいには古き記憶。幼少期とは背丈も声も身体つきも面影あれど、全く違うと言ってもいいだろう。そんな沈黙に耐えかねたのかは分からないが、彼女から一言ポツリとこぼれる。
「本当に心太郎は変わってないね」
その一言は風と共に耳を通り抜ける。真夏が近づく田舎の道で、心太郎の歩みはやがて止まるに至った。
「…やっぱり昔会ったことありそうだな。でも、小学生低学年の頃だと思うぞ?悪いとは思うけど、俺は全く覚えてないんだ」
「そうだと思った。だけど私は覚えている。それだけが心の安寧なんだよ…?」
「心の安寧って…大げさ」
「…昔はあんなに遊んだのにね。それとーーーーーー」
言い淀む希空。あんな悲しそうな顔は生まれて初めてみたかもしれない。憂いを帯びた顔は儚く、田舎の寂しさを体現していたかのように感じた。しかし、それも束の間。希空はこちらに笑って見せ、髪をかき上げた。
「だったら作ろう。夏の思い出。あの頃に負けないくらいにたくさんね!」
その一言は風に乗って消えていく。それでも耳に、心に届いた。退屈になるかもしれないそんな田舎暮らし。それを瓦解させるには十分すぎる笑顔がそこにあった。
ーーーーーーここは鮎川村、それは煌めく太陽に郷愁を覚えた。そんな青春の物語。