その瞳は、面影を残して… ヴィヌム&ポエッタ編(未来)
「歌もずいぶん上手になりましたね、ポエッタ。先程のお客様方も非常に喜んでおられましたよ。」
最後の客が帰宅し、店仕舞いの支度をしながら、ヴィヌムはポエッタを褒めた。
「本当ですか!?ありがとうございますっ!!」
ポエッタは、初めて自分で作った歌を披露する機会をもらい、それを審美眼を持つヴィヌムに認めてもらったことを飛び跳ねて喜び、目を輝かせた。
店の掃除が済んで、ヴィヌムがカウンターの座席をそっと引く。
この行動が、2人の談話の始まりの合図になっていた。
「ヴィヌムさん!母の話を聞かせてください!」
ポエッタは、いつものようにヴィヌムに話をねだる。
ヴィヌムもそんなポエッタの可愛らしいわがままに、自分がいることで彼の心の奥底にある家族を失った悲しみや家族からの愛に飢える心を癒せるならばと、献身的に育てていた。
「かまいませんよ、さぁ遠慮なさらずお掛けください。」
オレンジジュースの入ったグラスをポエッタに差し出し、幸せそうな笑みを浮かべた事を確認して、ヴィヌムは優しく語り始めた。
私とアウラは、幼なじみでした。
アウラは旅芸人一座の娘、私は曽祖父の代から続くこのバーの跡取りとして生まれました。
幼い頃の私達が出会った場所は、父の代だった頃のこのバーです。
アウラの所属する旅芸人一座がこの国に滞在している間、夜のパフォーマンスの場としてここに訪れたのがきっかけでした。
父の手伝いをしていた時、私はアウラの芸に目を奪われました。
同じ年頃の子供が、魔法のような素晴らしい芸を見せるだなんて…と。
パフォーマンスを終えて、大人たちが酒を嗜み宴会を始めると、退屈になった彼女は私に興味を示しました。
同じ年頃の子供が周りにいなかった彼女は、私にすぐに心を開いてくれました。
その社交的な性格も相まって、幼い頃から大人びた仕草を躾けられてきた私も、彼女の前だと年相応になれる気がして居心地が良いと感じたのをよく覚えています。
その日から彼女がこの国を去るまで、私達は毎日談笑を楽しみ、一期一会の出会いには慣れているはずなのに、最後の日には涙ながらに別れを告げるほど、私の心に強く残る人物になっていたのです。
数年後に同じ旅の一座がふらりとやってきて再会を喜び、この別れからは、泣くことを恥じらうようになった事と、私もアウラも別れに慣れてしまって、寂しさを表に出す事はしませんでした。
しかし密かに再会を期待し、またその数年後、待っていることを意識しなくなった頃に、彼女は私を喜ばせるのです。
そして、私に代替わりの話が出た頃、彼女は私にこう問いかけました。
「一緒に旅に出ない?ヴィヌム。」
それは、生まれながらに道が定められていた私にとって考えもしなかった未来、自分にも可能性があったのだという衝撃をもたらす、とても魅力的な問いかけでした。
「私は、王宮にも酒を納めているこの店を継がなければなりません。」
しかし私は臆病で、いつものようにそう微笑むことしか方法を知りませんでした。
「本当?ヴィヌムはずっと、旅に興味があるように見えるけど。」
いつも戯けているように見えて、なんて鋭い人なんだろう。
自分でさえ見抜けていなかった私の心、隠し通せていると思っていた動揺を見透かすだなんて。私は、ますます彼女に興味と恐怖を抱くようになりました。
「どうでしょうか?私は、この店を、この店の生き方を、心から愛していますから。私が継がないことで潰してしまうには惜しいと思っています。」
こうして私は、長年の本音で、芽生えかけた内なる本音を包み、羽ばたくチャンスを失ったのです。
「しかし、今となれば後悔はしておりませんよ、ポエッタ。
この国でアウラの帰る場所としてのみではなく、貴方の帰る場所にもなれたのですから。
そして、彼女が過ちを犯さず今でもここに通い続けていたとしたら、貴方は生まれていなかったわけですからね。
人生とは、常々皮肉なものです。」
ヴィヌムは遠くを見るような目をしてから、ポエッタに向き直り、複雑な感情が混ざった瞳を覆い隠すように微笑を浮かべた。
「ふふ、すみません。話がそれてしまいましたね。」
アウラは一座を離れ、旅芸人として一人旅を始めました。
そしてこの国に帰ってくる度に私の店を訪れ、私達の友情は途切れる事なく繋がっていました。
再会の旅にアウラの芸の腕は上達していて、壮大な旅の話も、まるで自分が共に見てきたかのように感じるほどまざまざと情景が思い浮かぶ話し方をするものですから、子供の頃に戻ったように無邪気に楽しくなる反面、バーの店主としては羨ましくなるものもありましたね。
私の普段の生活はというと、バーを切り盛りする傍ら、王宮に酒を献上し、時に情報屋として曽祖父の代から積み重なった情報を売る事や、バーでの会話の中から情報を探る生活を送っていたので、純粋な友人、気の置けない相手といったらアウラくらいでした。
ちなみに、イクェスやウェル様とお会いしたのもこの頃ですよ。
王宮に酒を献上した際に出会った、小さな幼なじみ達、まるでずっと隣にいる事が叶った場合の私達のように感じて、成長を見守ってまいりました。
そのうち、イクェスは情報屋家業の方でも常連となり、ウェル様も私の店を贔屓にしてくださり、度々王宮へ酒をお届けにあがるようになりました。
「俺はまだお酒は飲めませんが、母が一番好きだったお酒はあったりしますか?」
ポエッタは、ヴィヌムの店が繁盛している事は普段の手伝いから知っていたが、憧れの人物からの店の評判を聞き、ふと疑問を口にした。
「いい質問ですね。アウラも、パラダイスという名のカクテルの味を特に気に入って、いつもそれを口にしていました。
彼女曰く、故郷のようで安心する味、だそうです。
それを聞いて私も、故郷のない彼女にとって、私の愛するこの店が故郷のように思える大切な場所になっているという事をとても誇らしく思いました。」
その日以来、私は在庫を切らさない方ですが、特にパラダイスに使うオレンジジュースの確認を念入りに行うことを習慣にしてしまったのですから、私も困ったものですね。
パラダイスのカクテル言葉である、夢の途中。
楽園を追い求め旅をするアウラと、己の楽園を磨き続ける日々を送る私。
偶然か必然か、私達の思い出を繋ぐ味。
「俺もお酒が飲めるようになったら、そのカクテルを飲ませてください!」
ポエッタの満面の笑みは、アウラにとてもよく似ていた。
「もちろんです。貴方もきっと気に入るはずですよ。
ただ、アウラのように忠告しても飲み続け、毎度のように潰れるのだけは勘弁してくださいね…」
潰れた時のアウラの様子を思い出し、苦笑しながらポエッタを茶化すと、ポエッタは目を見開いて驚いた、
「ええーっ!母が、そんな事を…!」
突然私の前に姿を現さなくなってしまったアウラ。
いつしか、彼女の友愛は嘘だったのではないかと疑う事や、他人に心を許し近づきすぎてしまった己への恨みに苦しめられながらも、彼女を信じようと決意する事を繰り返した。
そしてまた、心の底が常に麻痺していると感じるほど、彼女に私の感情を砕かれて、彼女の思い出のかけらが私を豊かにもする。
本当におかしくなってしまいそうでした。
もう誰かを懐に入れるなど考えた事はありませんでしたが、貴女の忘れ形見が現れて、どこまで私の心を掻き乱すのだと、同時に、なぜ再び私の心に刺激と安らぎを与えたのだと、悔しいですが、つくづく貴女にはかなわないと思いました。
夢の実現のため、ポエッタが日々目まぐるしく成長する度、貴女もきっとこの子の成長を隣で見守っていたかっただろうにと、貴女の無念を思います。
ポエッタはきっと、世界中で活躍する吟遊詩人になるでしょう。
ポエッタが旅立つそれまでは、貴女の友人として、身寄りをなくしたポエッタを迎え入れた者として、無事旅に送り出すまでの間、旅に出してからも彼がいつでも帰って来ることのできる居場所として、保護者の責任を果たそうと思います。
旅に出す不安は、ないといえば嘘になりますが、貴女によく似たポエッタの心を手折ることは私にはできませんし、一つの場所に留めておくには、彼の才能はあまりに惜しいです。
ただ今はまだ、旅に出すまでの間は、知識や様々な経験、各国出身の旅人のお客様達など、私が彼に与えられるもの、彼が望むものは全て与えて、旅先で彼が困った時や危険な目にあってしまった際に助けてもらえる人脈の可能性を自ら築かせることに、私の全力を尽くします。
彼が成長する中で貴女からの愛の記憶を忘れてしまったり、両親の愛に縋りたくなった夜は、私が側で彼の心に貴女の愛を蘇らせ、寂しさを慰めて、私や、ポエッタの人柄や才能を認め愛する者たちからの愛で満たしましょう。
ですので、安心してください。アウラ。
「さて、ポエッタ、次は貴方から見たアウラの話を聞かせてはいただけませんか?」
ヴィヌムの話に満足した様子なものの、楽しくてすっかり目が冴えているポエッタに、今度はヴィヌムがそうねだって悪戯っぽく微笑んだ。
「はい!もちろんですっ!」
どんな話をしようかな、と考えていることを全て口に出しながら、はしゃぐポエッタは、やはりまだ少し幼い。
店の手伝いをしてもらう数日や、今こうして談笑を楽しむ時間、子供に夜更かしをさせてしまう私は、やはり保護者向きではないでしょうね。
しかし、育てようとしなくても、案外子供の成長は早いものかも知れませんね。私達や、城の王子と騎士が、いつのまにか大人になっていたように。
あの助け出された少年が、未来を切り開こうと、自分の意思で世界の行く末に抗い、もがくように。
ポエッタ、今はまだ少し幼くあれ、しかし、羽を失ってしまわぬよう自由に、眩いほどの可能性に満ちたまま、優しい貴方が私の元を巣立つことを躊躇わないように。
「素敵な思い出がたくさんあって迷いましたが、とっておきの話を決めましたよ!ヴィヌムさん!」
心の底からわくわくしているのが、弾んだ声からもその瞳からもよくわかる。
だから、ほらまたつられて私まで気分が高揚してしまうのだから、本当に可笑しくて困ったものです。
「それは楽しみですね。どのようなお話ですか?」
二人の幸せな夜は、まだ明けない。