9話 逢魔刻 (後編)
一方リベラは、5冊目の絵本を手に天井を見上げていた。
「ふたりとも遅いなあ……ネーヴェも、ずっとポシェットの中だと疲れちゃうよね」
ネーヴェはポシェットから顔を出すと、頭部を撫でるリベラの指を受け入れる。
「ふふっ、ネーヴェはいつもふわふわだね」
徐々にフロア内の子供が入れ替わっていくのを感じながら、テーブルに突っ伏す。
一面の暗闇に映し出されるは、閉め切ったカーテンを背に読書をしていた記憶。テーブルに高く積み上がった絵本は、しばしば音を立てるドアから彼女を護っていた。
『なつかしいな……お母さんと会えない時は、こんな風にひとりで絵本を読んでたっけ。誰も話してくれなかったけど、絵本があったから、ひとりぼっちを乗り越えられたと思ってた』
過去の自身と重ねるように、リベラは絵本を握る力を強める。
『……でも、本当は違ったんだ。誰かと一緒にお話ししたり、遊んだり。本当のひとりぼっちを知らなかったから、平気だったんだ。サフィラス、ロア、いつ帰ってくるの? さびしいよ……っ、ダメ、泣いちゃ……!』
ポシェットがモゾモゾと動く感覚に、リベラは顔を上げる。
「──リベラちゃん!」
「ロア!」
涙が溢れそうになった刹那、ロアが息を切らしながら駆けつけてきた。咄嗟に裾で目元を押さえると、前髪を整え笑顔で出迎える。
「おかえりなさい! 見て、今日だけでこんなに読めたよ!」
「はあ、はあっ……ただいま。長い時間待たせちゃってごめんなさいね。それにしても、結構早いペースね。この調子なら、あと数日通ったら読み終えちゃいそうだわ」
「えへへ、次の国に行く前に最後まで読みたくって。 ……あれ? サフィラスは?」
出入り口を窺うリベラに、ロアは眉尻を下げて話す。
「ええ、実は――」
サフィラスはアラカ図書館の一室、“私室”と呼ばれる部屋で、冠を乗せる屈強な男と対峙していた。
緩やかにうねる群青の髪を首の位置に束ねる彼は、2mはあろう背にスティア国の紋章が刻まれた濃藍色のマントを羽織っており、風貌からその地位を見せつけている。
緑帽隊は男に敬礼すると、退室の言葉を放つ。
「では、失礼いたします」
「ああ。ご苦労だった」
隊列を乱さず立ち去る彼らを、男は猛獣のような紅梅色の瞳で見送る。しかしドアが閉まった途端、一転して不審な動きを取り始めた。
「ぁ、えっと……へへ」
先程の威光は何処へやら、自身の白いシャツを弄りながら、男はもごもごと言葉を詰まらせる。一方でサフィラスは口を噤んだまま、仮面越しに静観する。
『やはり仕掛けてきたか……眼前の人格の落差が激しい彼は、装いや先の言動から推察するに、この国の王なのだろう。問題は、私を孤立させたその理由だ。件の手紙についてか、或いは昨日の市場の件か――』
推測に勤しんでいると、やがて男は片手を首にあてながら、ぎこちない笑みを浮かべた。
「い、一緒にいた人、先に帰らせちゃってごめんね。お、俺が気になってたのは、キミだけだったから」
「……?」
「と、ところで、キミは俺のこと知ってる?」
顔を赤らめる男に、サフィラスは首を横に振る。すると男は、しょんぼりと肩を落とした。
「し、知らないか。 ……そ、そっか、国外から来た人なんだっけ。む、息子がデータを見せてくれないから、全然キミのことが分からな――あ、言っちゃだめだった! な、何でもないよ」
『息子……ホテルにわざわざ手紙を送り付けてきた王子のことだろうか。村長からの手紙を読んでいないとしたら、王子が奪取した可能性がある。 ……疑問点は数多くあれど、今詳細を訊ねるのは得策ではない。私がこの場でとるべき行動は、彼の反応を窺い知るに――』
サフィラスが軽く頷くと、男は歓喜の声をあげた。
「あ、やっぱりそうなんだね! えへへ、キミみたいな美しい人が来てくれて、と、とっても嬉しいよ! で、出来れば声も聞きたいんだけど……」
裏返る声にサフィラスが首を横に振ると、男は再び子供のように項垂れた。
「ざ、残念――あ、いや! その……無理強いしてごめんね。で、でも、もし俺に出来ることがあるなら何でも教えてね! ぜ、全力で叶えてみせるから!」
『さて、どうするか……腰に剣は無く、術を紡げば旅路が潰える。よって最適解は、彼の要望を呑むことだ。 ……果たして、如何なる無理難題を押し付けられるかな』
周囲に見張りは居ないものの、男の図上には正体不明の小型機が設置されており、じっとサフィラスを見つめている。男からも同様に見下ろされ、数分かと紛うような刹那が経つと、再びぎこちない声が聞こえ始めた。
「そ、それで……実はキミをここに呼んだのは、り、理由があるんだ。今度行われる“白百合の舞踏会”のパートナーとして、お、俺と踊ってほしいんだ」
『……パートナー? 確かに、映像では二人一組で踊っていたけれど……しかし前提として、名や身分を隠す条件があった筈だ。まさか、主催者の特権でも行使するつもりなのか? そもそも、一国の主が妃を差し置いて良いのだろうか』
「あ……も、もしかして、既婚者だったり?」
「それはキミの方ではないのか」と、口をついて出そうになった言葉を堪える。代わりに首を横に振ると、男は表情を綻ばせる。
「や、やった! じ、じゃあ――」
『……彼と王子がそれぞれ別の思惑をもっている可能性が高く、同時に対処が難しい以上、此処は覚悟を決める他ない。全ては平穏無事な旅の為……二人には悪いけれど、術の実験も兼ねて独断で行動させてもらおう』
サフィラスが小さく頷くと、男は大きくガッツポーズをとる。
「〜〜っ! あ、ありがとう、俺を選んでくれて!」
そしてサフィラスの手を両手で包むと、満面の笑みを浮かべた。
「えっと――じ、自己紹介がまだだったね! お、俺の名前はゲルディナ・ヴィゼ=ウルイヤ16世。こ、こう見えて、この国の王様なんだ!」




