54話 朧げなる朝に (後編)
サフィラスは仮面を外すと、テーブルの手前で立ち止まる。
「では、彼女の治療から始めよう。ナグレイン、こちらに牽引してもらえるかい」
「ああ。……頼む」
ナグレインは頷くと、王妃の車椅子を引く。しかし王妃は不安げな表情を浮かべており、戸惑い気味に訊ねる。
「けほっ。その……本当に平気なの?」
「……心中お察しします。しかし、どうか彼を信じていただきたい」
「――分かった。あなたがそう言うなら」
決意を胸に、王妃はサフィラスと相対する。一方でサフィラスは片膝をつくと、彼女の顔や髪、そして手を順に凝視していく。
「……少し捲っても?」
「え、ええ」
袖をまくり、王妃の腕を露わにする。左腕は枝と化しているが、右腕は白い肌のままだった。すると今度は、スカートの裾をたくし上げようとする。
「きゃっ――」
しかし王妃は顔を赤らめ、ミラキュリアがサフィラスの手を阻む。
「ちょ、ちょっとストーップ! あんたどこまで見るつもりなワケー!?」
「キミは医者の診察に逐一恥じるのかい?」
「そ、そんなことはないけど〜、みんながいる前でやるのはデリカシーなくなーい?」
「彼女の生命と一時のプライバシー。今優先されるべきはどちらだい?」
「……ごめん」
ミラキュリアは手を引くと、大人しく席に戻る。だが彼女以外も同意見だったのか、国王までもが気まずそうに目を逸らしていた。サフィラスは暫し思案に手を止めるも、王妃のスカートを膝の位置まで持ち上げる。
『やはり、両脚が既に枝と化している。空咳といい、進行度からして比較的重症だ。けれど――』
スカートをもとに戻し、背を向ける彼らに声をかける。
「概ね把握したよ。この程度であれば、薬で回復するだろう」
そう言ってサフィラスが懐から取り出したのは、澄んだ黄金色の液体で満ちた、一本の小瓶だった。王妃は受け取ると、栓をつまんで注視する。
「これは?」
「病を治すための特効薬だ。毒見役に回しても構わないけれど、一瓶が適量である以上、万全の効果は保証しかねるよ」
「っ……」
「無論、強制はしない。ただし、そうなればキミの余命は保って半年だろうね」
「!」
淡々と放たれた死の宣告に、王妃は小さく手を震わせる。命運を決めるには、あまりに唐突で、猶予もない。しかし憂慮に腕を組むナグレインに、彼女は静かに栓を抜く。
『……飲まずに死ぬなら、飲んで死のう』
そうして王妃は、目をつむりながら一気に飲み干した。一か八かの賭けに、眉間にシワを寄せ、不安を耐え忍ぶ。だが、間もなく彼女は首をかしげる。
『……? 不思議。冷たいはずなのに、温かい。……それに、どこか懐かしい』
そのえも言われぬ安心感に、次第に強張っていた表情も和らいでいく。――身体を駆け巡る、心地よい温もり。もはや周囲の沈黙など気にも留めず、王妃は緩やかに意識を手放そうとしていた。
「あ! ――み、見て! シュラピュテの腕が……!」
「これはこれは……にわかには信じられませんね」
しかし。微睡む王妃の耳に、喜びと驚きの声が届く。すると彼女は、恐る恐るまぶたを開いた。
「!? そんな、まさか――」
想定外の現実に、ナグレイン共々目を丸くする。王妃の視界に映ったのは、人の肌を取り戻した四肢だった。呆然としていると、サフィラスに行動を促される。
「さあ、動かしてごらん」
彼女は混乱しながらも、ゆっくりと指を曲げる。
「――動いた」
次いで腕を伸ばし、手すりを掴んで立ち上がる。多少のふらつきはあるものの、自身の脚のみで得た自由に涙が溢れる。
「ああ、本当に治るなんて……!」
それはまさしく、彼女が夢にまで見た奇跡だった。一同に微笑みかけると、国王が王妃を真正面から抱きしめる。
「シュラピュテ!」
「きゃっ! げ、ゲルディナ?」
「良かった……! 本当に、良かった……!」
たくましい身体から発せられる、消え入りそうな声。王妃はふっと笑みをこぼすと、彼の背中を優しく撫でた。
その後。一同は全員着席し、奇妙な空気感の中向き合っていた。次の話題を切り出すのを妨げる、喜ばしさと気まずさ。だが落ち着いた国王は、照れながらもサフィラスに頭を下げる。
「その――あ、ありがとう! きみは、ぼくたちみんなの命の恩人だよ!」
「……私は彼の取引に応じただけだ。では、次の交渉に移らせてもらうよ」
「えっと、エーテスのわがままを聞いてくれたお礼だよね。その、お詫びも兼ねてぼくからも渡したいんだけど、どんなものがいいかな? やっぱりお金? あ、それよりも薬品とか、便利な機械とかのほうがいいかな。だったら最近できたばかりのものが――」
そう国王が早口でまくし立てていると、エーテスがつっけんどんに横槍を入れる。
「おい、何勝手に話を進めようとしてるんだ」
「え? でももう終わったんでしょ?」
「タヌキオヤジ。ボクの依頼内容を聞いてないのに、何でそう思ったんだ?」
「そ、それは……」
国王は目を逸らすと、指を擦って押し黙る。そのもどかしさに、エーテスは呆れたようにため息をついた。
「……まあいい。今から洗いざらい吐いてもらうさ。ここにいる全員が協力者だ、逃げられると思うなよ」
真剣な面持ちの彼女がテーブルの上に置いたのは、ひとつのガラスケース。国王が顔を上げると、エーテスは吐き捨てんばかりに畳みかける。
「何でボクの母は死んだ?」
「……シュラピュテと同じ病気にかかって。他の王妃も、同じ亡くなり方をしたよ」
「罹患に思い当たる節はあるのか?」
「……が、……せいで」
「何だって?」
「〜〜っ、やっぱり全部は話せない。……ごめんね」
うつむく国王に、エーテスは拳をテーブルに叩きつける。
「今更隠すモンなんかあるか! ハッキリ言え!」
「っ……分かった。少し長くなるけど、聞いてくれる?」
エーテスの気迫に観念した国王は、何十年とひた隠しにしてきた真実を語り始める。
――ルベール国と研究技術の提携を開始してから、幾らかの月日が経った頃。かの国王は、ゲルディナにとある申し入れをした。
《我は汝に、使命を与える。果たせば更なる信賞を、頓挫で統治の必罰を。――他言無用を反故すれば、汝の妻子は朝露となろう》
「"白壺草の栽培方法を見つけて、霊薬をたくさん生み出す"。怪我や病気に苦しむ人が減るならって、最初はぼくも積極的に手を上げたんだ。でも……ふたを開けてみたら、倫理を無視した実験ばかりが書いてあって。と、当然、ぼくは抵抗しようとした。……けど、上手くいかなかった」




