41話 まほらばは哀傷に眠りて (中編)
救護室の様子を、終始監視している者がいた。人ひとりが独占するには広すぎる部屋の中、彼女は水の注がれたボトルをデスクに置く。そして眼前に広がる端末の数々を見渡すと、椅子に寄りかかり伸びをする。
「よしよし。何故か一時期端末に不具合が生じてしまったが、どうにか持ち直したぞ。エリン、手伝ってくれてありがとな」
《ハイ。オ力ニナレテ幸イデス》
「それにしても……多少のトラブルはあったが、やはりボクが考えた策は流石だな。どのチームも、順調に良い結末へ向かっている。だが――」
エーテスは計9台の端末のうち、電源はついているが黒いままの画面に目を据える。
「ネクフィスの位置情報を完全にロストした。このボクの監視網を逃れるだなんて……。いくら端末の設置箇所を把握しているとはいえ、ありえない」
国中に散らされた監視の目は、ひとつにつき50m四方を視野範囲としている。それは公共の建物にも設けられ、猫一匹たりとも掻い潜ることを許さない。
「チッ、ネクフィスも運が良いヤツだよ。なんてったって、さっきのエラーさえなければ雲隠れは絶対に不可能、だった……って」
スナック菓子に伸びた手を止め、覚えた違和感を掘り下げる。いつから“容認できるエラー”は放置していた? だが前回のメンテナンスは確か、エリンに代理出席をさせた日に――。
『あ――ヤバい、やってない』
その日は酷く気分が荒み、自身を守るために必死だった。しかしそれも、ヤツの計画のうちだとしたら。
「エリン!」
《ハイ》
「ただちに7日前から現在までのログを解析しろ! 手当たり次第バグを修正する!」
《承知致シマシタ。……23件ノファイルヲアップロード完了。現在実行中ノアプリケーションヲ全テ終了シ、メモリー領域ヲ解放シマス。パフォーマンスノ向上ヲ確認――全テハ、マスターノ……エーテス王子ノ威信ノ為ニ》
舞踏会帰りの国民に背を向け、眼前の端末を総動員させる。時刻は亥の刻。エーテスは瞬きすら惜しみ、大量発生した害虫駆除にあたった。
エーテス王子が孤軍奮闘する裏。そして、立場の異なる者同士の結束力が、次第に強まり始めた頃。来城時のローブに着替えたサフィラスは、国王とともにテーブルを挟み、ワインを酌み交わしていた。
彼らの狭間に置かれているのは、手付かずのチェイサー、そして底をついたボトルが3本と少しのアペタイザー。中庭が見下ろせる部屋は仄暗く、バーのような雰囲気を醸し出している。壁や床、椅子は木の温もりを感じさせる具合に仕上げられていたが、意に反してサフィラスの胸中は穏やかでなかった。
『……予想以上に口を割らない。体格が富んでいるせいか、大半を飲ませてなお酩酊する様子を見せない。エーテス曰く、「ただ足止めをしているだけで良い」とのことだけれど――』
サフィラスがグラスを傾けると、部屋着姿の国王は、赤く火照った顔で最後のひと口を摘む。そうして口もとをナフキンで拭うと、気分が良さそうに語り始める。
「ふぅ……美味しかった。それにしても、あんなに動いたのは久し振りだったよ。う、上手くリードできるか不安だったけど、きみを満足させられて良かった」
「ええ。あの場で仮面を剥がされていたら、全て台無しになっていましたから」
国王はサフィラスの仮面をひと目見ると、所在ない指で頬を掻く。
「……その仮面、ぼくだけのときも外してくれないの?」
「……ごめんなさい」
「どうして?」
「これは――私にとって、大切な“守り札”だからです」
「守り札?」
サフィラスは小さく頷く。
「陛下が心を閉ざしているのと同様に、私もこの仮面で自身を守っているのです」
「……そっか。ごめんね、きみの境遇を考えれば当然だったのに無理を言っちゃって」
国王はチェイサーを一気に飲み干すと、気まずい空気を壊すように笑顔で話し始める。
「えっと……舞踏会は毎年評判が良いんだけどね。今年の舞踏会は、い、今までで一番好評だったよ。だから、その――ありがとう、これも全部、きみのおかげだよ!」
「こちらこそ、陛下のおかげで忘れられない思い出になりました。そこで一つお願いしたいことがあるのですが、聞いていただけますか?」
「い、良いよ! 何でも言って!」
「ふふ、ありがとうございます。では私を、“研究所”まで連れて行ってくれませんか?」
すると国王は、一転して表情を強張らせる。
「……研究所? それって市街から離れたところにある、丸っこくて白いやつ?」
「ええ、そうです。理由は分かりませんが、無性に惹かれてしまいまして。……いけませんか?」
「うーん……。だめじゃないけど、面白くないと思うよ?」
「構いません。……それとも、夜間の遊歩はお嫌いですか?」
「き、嫌いじゃないよ! た、たしかにこんな機会、次はいつあるか分からないけど……」
返答を躊躇した国王は腕を組み、頭を悩ます。そして首を傾げ、独り言ち――やがて決心したように、彼は大きく頷く。
「……よ、よし、行こう! ついてきて、プライベート車までひとっ飛びで行ける昇降機があるんだ!」
かくして二人は人目を忍び、しかして護衛もつけず、研究所に到着する。未だ市街は舞踏会の興奮覚めやらぬまま、軽快な音楽を奏で続けていた。サフィラスは密かに仮面を付け替えると、先んじて門の前に立つ。
「此処が、この国の機密情報が眠るという研究所なのですね」
「そ、そうだよ。この辺りを含めて、本当は王族しか入っちゃいけない区画なんだ」
「ふふ、なんだか私も今だけ王族になれたようで嬉しいです。ですが何故、これほどまでの特別待遇を私だけにしてくださるのですか?」
「……それは」
神妙な面持ちのサフィラスに、にこやかだった国王の表情は急に曇る。しかし、すぐに照れたような笑みを浮かべて頭を掻く。
「えっとね、まだ内緒!」
「ということは、いつか教えてくださるのですか?」
「えへへっ、もっと仲良くなれたときにね。こ、これでも話す内容には気をつけてるんだ」
「……」
心酔しているような素振りを見せながらも、いざこちらが踏み込もうとすると、一歩引き下がる。のらりくらりと間合いを取る国王に、サフィラスは静かに苛立つ。
『……ここまで、役割としては概ね順調だ。けれど、機密情報の収穫は皆無に等しい』
聞きだせたのは、趣味が晩酌で、休日はお忍びで市街を散策をしているという程度。
『違う、私はそんなくだらないことを知りたい訳ではない! 残された時間はあと僅か。撤退するよりも早く、誰も知らぬ彼の核心に触れるには――』
視線を向けていると、国王が不安そうな表情を見せる。
「ど、どうしたの? ぼくの顔に、何かついてる?」
「いいえ、どうかお気になさらず。……それにしても、まだ夜間は少し冷えますね」
「う、うん。待ってて、今開けるから……って、あれ?」
「どうかなさいましたか?」
「い、いや! 何でもないよ、大丈夫!」
国王は不自然に端末から目を逸らすと、門に手のひらをかざす。そして、舞踏会のときのようなよそ行きの声で解錠を求める。
「えっと、パスワードは――“余はスティアの国王、ゲルディナなり。この声紋と認証コード、4373462Kをもって解錠せよ”」
すると門は粛々と、舞台カーテンのように左右に分かれて捲れ上がった。
「ふう……良かった。ま、間違ってたらどうしようかと焦っちゃった。えっと――中は結構入り組んでるから、はぐれないように気をつけてね」
「承知しました」
いそいそと立ち入る彼に続く前に、サフィラスは門の傍らに取り付けられた画面を確認する。そこには日付とともに、認証コードが3つ記録されていた。
『メネレテの入室後に、何者かが入った記録が残っている。彼の反応だけでは突き止められないけれど……』
右手首に巻いた端末は、暗転したままローブの下に潜んでいる。サフィラスはその存在に触れると、門の内側へと足を踏み入れた。




