34話 ヒールに紅をさす (前編)
すると突然ダンスホールが暗転し、二階の無人のバルコニーにスポットライトが当たる。その直後、ざわめきは一瞬にして静まりかえった。呼吸すらも憚られる空気の中、ロアはバルコニーに目を向けたまま声をひそめる。
「……いよいよ始まるみたい。気を引き締めていきましょ」
リベラは頷くと、胸元に下がった笛を握る。やがて人々の視線の先に現れたのは、蝶ネクタイを着けたタキシード姿の男性だった。整えた青色の髪は色褪せたようにボヤけ、額や目尻には皺が刻まれているが、背筋は誰よりもスッと伸びている。彼が一礼してマイクをつけると、しわがれながらも深みのある声が、暖まったダンスホールにゆったりと響く。
「草花が心地よい皐月の息吹を一身に浴び、伸び伸びと日光浴を楽しむ季節となりました。また今宵は、月も柔らかな笑みをたたえておられる日でもございます。いずれもきっと、お集りいただいた皆様の思し召しのおかげでしょう。……はてさて。此度は珍しいお客様もいらっしゃるようですが、“白百合の舞踏会”はお楽しみ頂けているでしょうか?」
すると男性は、ロアとリベラを瞳に捉える。しかしその他の招待客たちが拍手をもって肯定すると、穏やかな笑みを浮かべて視線を逸らした。
「ええ、ええ。それはなによりでございます。さて、わたくしからのご挨拶は程々に。――我らが国王陛下のお目見えです。皆様、心からの拍手をもってお迎えくだされ!」
腕を振るう演奏家たちの奏でる音と共に、紅色の緞帳がゆっくりと上がる。そしてスポットライトを浴びながら、大きさの異なる二つの影が現れた。
やがて判明する姿に、リベラは堪らずロアの袖を引く。
「ねえ、あれってサフィラスだよね?」
「え、ええ……。それにしても、真っ白なドレスとかド直球なとこ攻めたわね。あれじゃまるで――」
「うん、花嫁さんみたい……!」
首にはレースのチョーカーを着け。肩から上半身にかけて、程よく透けるショールを纏い。白銀の髪はサイドから後頭部にかけて編み込まれ、その間に散りばめられた桜色の粒が星のように煌めいている。彼は髪と瞳を晒す一方で耳の先端は髪で隠しており、素性を知らない招待客たちの反応は疑問と嫉妬に二分される。
「とても美しい方……陛下を射止めたのも納得がいきます。それにしても、どちらのご出身なのかしら? あのような髪と瞳の色は、生まれてこのかたお見かけしたことございませんわ」
「あ〜あ……玉の輿に乗って豪遊する計画が台無しよ。また来年招待されるのを待つしかないわね」
人々の――特に女性から脚光を浴びたのは国王ではなく、彼の背後に控えるサフィラスであった。お節介にも巨大な端末が2台起動した結果、会場の招待客全員に全貌を把握される。その事実を知ってか知らずか、彼が伏し目がちに佇む傍ら、国王は普段よりも大きな声で権威を轟かせる。
「――皆、遠路遥々ご苦労であった。今年も粛々と初められたのも、皆の戮力協心があってのことだ。さて……瞭然たる結果だが、理解及ばぬ者への牽制を籠めて喧伝しよう。此度の“ノアの方舟”に相応しい者は、彼女――遥か昔に世界から姿を消したとされる“魂晶師”の末裔である」
耳馴染みのない単語に、ダンスホールに立つ幾人かが首を傾げる。だが国王は両手を招待客の方へ向けると、独擅場を維持する。
「希少性と危険性をもつ諸刃の剣ともなれば、晒すことは躊躇われた。しかし誰の守護下にいるかを世に告げ知らさねば、此度こそ真の損失が生じると――」
国王が熱弁を振るう、その間近。舞台裏には、仮面を着けたミラキュリアとデュゼリアが息を潜めていた。国王と同じく濃紺のドレス姿の二人は、車輪が僅かに覗く靴を履いており、靴紐を固く結ぶと意気込みを露わにする。
「行くよ、デュゼ。準備オーケー?」
「うん。いつでも行けるよ、ミラ姉さま」
「よ〜し……それじゃあ、鬼ごっこスタート!!」
ダンスホールから見て左側から、二人は髪をなびかせ登場する。その様はまさしく青天の霹靂であり、招待客は一様に戸惑いの声を上げる。
「何だ何だ、トラブルか!?」
「ちょっと、何ですのあの子たちは!? ここはお子さまのスケートリンクじゃなくってよ!?」
「だが緑帽対は出てこないぞ? 陛下も平然としていらっしゃることだ、もしかすると今年から即興劇でも始められたのかもしれない!」
騒然と憶測が飛び交う中、ミラキュリアは火花を散らし、電光石火の蛇行を披露する。
「アハハッ! なにこのローラーシューズ、すっごい快適なんですけど! 今日からお城の移動はこれにしようかな〜!」
「ミラ姉さま、気をつけて。転んだりしたら、せっかくの綺麗なお顔に傷がついちゃう」
二階からは疾走感のあるヴァイオリンの音が、さながら開戦の合図のように響き渡る。サフィラスは身体ごと彼女たちに向けると、軽く身構える。
『まさか二人同時に、しかもこのタイミングで攻めてくるとはね。メネレテの目を掻い潜ってきたのか、あるいは速さで離されたのか……』
すると国王はサフィラスに歩み寄り、口角を上げ手を差し伸べる。
「大丈夫。ぼくに身を委ねて」
「! ……分かりました、あなたを信じます」
国王はサフィラスの手をとると、まるで踊るように華麗に二人の攻撃を避けていく。デュゼリアの手がサフィラスの顔に近付けば、彼の上体を仰け反らせ、その先にミラキュリアが待ち構えていれば、彼をリフトし回避する。
するとミラキュリアは、気に入らないと言わんばかりに頬を膨らませ抗議する。
「〜っ、ああもう! 届かない高さまで持ち上げるなんてズルいんですけど! っていうか、あんたも大人しく仮面取られなさいよ!」
「ミラ姉さま、落ち着いて。こういうときは、頭を使うの」
デュゼリアが国王の足もとに滑り込むと、避けようとした彼は体勢を崩す。
「やるじゃん! デュゼが作ってくれたチャンス、あたしが活かしてあげる!」
瞬時に理解したミラキュリアは、国王に引かれるように前のめりになるサフィラスの顔に手を伸ばす。
「アハハッ! これであたしたちの勝ちね!」
「……いいや、キミ達の負けだ」
「えっ――?」
そう終わりを告げるサフィラスと国王の手には、それぞれ一枚ずつ仮面があった。
「な、なんで? どうしてアンタたちが、わたしたちの仮面を持って……」
勝敗を分けたのは、決定的に異なるリーチの差だった。だが彼女らは、状況が飲み込めず呆然と立ち尽くす。しかし間もなく我に返り、ミラキュリアは咄嗟に腕で顔を隠すと捨て台詞を吐く。
「この――っ、覚えてなさいよ! 今日の借りは必ず、100万倍にして返してやるんだからー!」
「うん……わたしもミラ姉さまと一旦退くけど、負けを認めた訳じゃないから」
そして行きの何倍も大きな機械音を立て、二人の少女は撤退した。その後、ダンスホールからはぽつぽつと感嘆の声が聞こえ始める。
「まさかあの二人が、ミラキュリア王女とデュゼリア王女だったとは……! 道理で所作のひとつひとつに気品があるはずだ」
「すごいな、まるで映画を観た後のような感覚に包まれたよ。こんなサプライズをしてくれるだなんて、陛下も粋なことをされる」
「ええ。あれほど息が合ったダンス、たとえ夫婦であろうとそう簡単に出来ませんわ。きっと、陰ながら血の滲むような努力をなさっていたに違いありません!」
「国王陛下と、そのお相手が見られて良かった」。やがて招待客たちは拍手を湧き起こし、舞台上の彼らに称賛を贈る。ところが国王はダンスホールには目もくれず、サフィラスを腕に抱えたまま、彼の身を案ずる。
「はあっ、はあ……どうしてあの子たちがここに? 今までずっと大人しくしてくれてたのに――って! だ、大丈夫? さっきので、怪我してない?」
「……ええ。陛下のおかげです」
「よ、よかった!」
子供のような、屈託のない笑顔を見せる国王。サフィラスは彼の首に腕をまわすと、蠱惑的な声で囁く。
「……ふふっ、陛下。今国民の方々は、あなたの勇姿と秘めたるあどけなさに見惚れております。ですが――その先の姿は、わたしがひとり占めしたいのです。いけませんか?」
「――っ!! う、うん! 分かった!」
耳の先まで真っ赤にして頷く国王に、招待客たちの顔もみるみるうちに赤面する。その傍らで、サフィラスはロアとリベラの視線を感じながら、自己嫌悪に苛まれる。
『ああ……これ以上彼らに醜態を晒すくらいなら、いっそ術でこの場を壊滅させてしまいたい。被害を最低限に留めるためとはいえ、このような形で身を砕くことになるとは想定外だった』
唯一の救いは、先程自身にかけた術により、招待客たちにはサフィラス自身の姿は見えていないこと。作戦は始まったばかりだという事実に目眩を覚えながら、彼はダンスホールに小さく手を振った。




