25話 トラフィック・ナイト (前編)
ホテルに戻りドアを開けると、甘く芳ばしい匂いが二人を出迎えた。既にお茶会の準備は万端のようで、リビングのテーブルには皿が5枚と、中央にシートの敷かれた籠が置かれている。そこには何故かクッキーが一枚だけ取り残されており、ネーヴェが胸ポケットから顔を出していた。
サフィラスは仮面を外すと、キッチンに立つリベラとロアに声を掛ける。
「リベラ、ロア。戻ったよ」
するとロアは振り返り、ミトンを着けたままサフィラスたちのもとに駆け寄る。
「二人とも、おかえりなさい。思ったより早かったわね――って」
サフィラスの後ろに視線を向けたまま、ロアは驚き絶句する。そんな事情はつゆ知らず、後からやってきたリベラも二人のもとにやって来る。
「おかえりなさい! あのね、今ちょうどクッキーができたとこ、ろ――」
リベラも一瞬目を丸くするも、すぐに柔らかな表情を浮かべた。するとメアリーは、おずおずと二人の前に出る。
「えっと……こんにちは。その――せっかくなので、本当の姿でお邪魔しようかと」
二人の視線の先には、緑帽対の衣装を捨てたメネレテの姿があった。
やがてテーブルの上は、籠いっぱいに盛られたクッキーとティーポットで賑わう。しかし空気はどことなくぎこちなく、ただ紅茶を淹れる音だけが控えめに鳴る。だが、そんな状態もつかの間。リベラがそわそわと落ち着かない素振りをみせると、ロアはトングをメネレテに渡す。
「さあ、どんどん食べて頂戴。一袋分使って作ったから、遠慮はいらないわよ」
「……では、お言葉に甘えて」
籠の中にはゼリーが載ったものや、マーブル模様のクッキーが、規則正しく整列している。メネレテはいくつか皿に移すと、そのうちの一枚を口に運び、やがて頬を緩ませる。
「〜とても、とても美味しいです! 街のど真ん中にお店を開けるくらいには!」
「ふふっ、喜んでもらえて良かったわ。ね、リベラちゃん」
「うん!」
一方傍らでは、ネーヴェもテーブルに食べこぼしを作りながら、クッキーをかじっていた。メネレテはその可愛らしい仕草に微笑みつつ、リベラに尋ねる。
「ちなみに、いつからメアリーが私だと気付いていたんですか?」
「えっと……最初に会ったときからだよ。雰囲気は全然違ったけど、なんとなくそうかなって。でもそれを言ったら、またいなくなっちゃいそうで。だからメネレテから話してくれるまで、知らないふりをしようって思ったの」
「そんな……正体を隠せていない上に、気遣いまでさせてしまっていただなんて。暗躍者失格です……」
申し訳なさそうに頷くリベラに、メネレテはがっくりとうなだれる。リベラもつられてまごつくと、ロアがすかさずフォローを入れる。
「あ、アタシは気が付かなかったわよ!」
「いえ、いいんです……かえって傷付きます」
「そ、そうよね。完全に言葉のチョイスミスだわ、ごめんなさいね……それにしても、どうしてその格好で来たの?」
するとメネレテは何かを思い出したかのようにカップを置くと、リベラに身体を向ける。
「はい。実はリベラさんに、折り入ってご相談したいことがありまして」
「わたしに?」
「ええ。ではまず、質問からさせていただきますね。何故リベラさんは、この方たちと一緒に旅をしているのですか? ご両親はいらっしゃらないのですか?」
「……うん、えっとね――」
突然の深掘りに、リベラは事情を掻い摘みながら説明する。母親は他界し、父親も既にいないことを。サフィラスたちと行動を共にするのは、森で襲われた“怖い人”に怯えながらひとり暮らすより、今まで見られなかった景色を見たいからだと。
やがて全てを聞き終えたメネレテは、目もとを拭うと悲嘆を声に滲ませる。
「まさか、イルミスの王に剣を向けられる……そんなことがあっただなんて思いませんでした。さぞお辛かったでしょう」
「うん……」
「ならば尚更、単刀直入に申し上げます。私と一緒に、“星の揺り籠”で暮らしませんか?」
「“ほしのゆりかご”?」
「私ともう一人の方が主だって運営している、いわば非公式の孤児院です。国の補助を受けていないため、どうしても物資の不足は目立ちますが、他にはない秘匿性があります」
一転して切り替わった難解な話題に、リベラは気になった単語を復唱する。
「えっと……ひとくせいって?」
「はい。つまり、リベラさんがそこに住んでいると他の人に知られなくなるということです。メリットはそれだけでなく、“星の揺り籠”には年の近い子もいますし、危険に晒されることもありません。多少の行動の制限はありますが、年齢に応じて解除していく仕組みですので、そこまで気にならないかと思います。勿論その他にもご要望があれば、可能な限り配慮も致します。 ……いかがでしょう」
考え込むリベラに、メネレテは静かに返答を待つ。やがてリベラは「うん」とひと度頷くと、ぽつぽつと想いを伝え始める。
「……ありがとう。その場所の良いところも、わたしのことを心配してくれてるってことも。どっちもすごく伝わってきたよ」
「では――!」
「それでもね、わたしはサフィラスと――ロアとネーヴェ、みんなと一緒にいたいの。また怖い目にあったとしても、今を精いっぱい生きたいから。楽しい思い出を、たくさん作りたいから」
「……それも、リベラさんの本当の気持ちですか?」
リベラが首を縦に振ると、メネレテはふっと穏やかな表情を浮かべる。
「そうですか……でしたら、私はもう何も言いません。ですが、その代わり――私も、旅の仲間に加えてもらえませんか?」
「えっ!?」
すると、今まで沈黙を貫いていたサフィラスが口を挟む。
「一体どういう風の吹き回しだい?」
「今日に至るまで、私なりに色々と考えたんです。自分の過去の言動について……とでもいいますか。これまで私は、小さな子たちはすべからく護られるべきだと思っていました。ですが、リベラさんに気付かされたんです。どんなに小さくても、彼らは自分の考えを持っていて、そして――自分で行動を選ぶ権利があると」
一同が静かに耳を傾ける姿勢を見せると、メネレテはいつにも増して真剣な声色で語り切る。
「……あなた方と共に旅をして確かめたいんです。彼らを孤児院に閉じ込めていた私の考えは、間違いだったのだと」
視線を向けられたサフィラスは、リベラとロアに受け流す。
「……だ、そうだけれど。キミ達の意見を教えてもらえるかい?」
すると紅茶を飲んでいたロアは、手を止め不思議そうな顔をする。
「ん? 珍しいわね、サフィラスちゃんが反対しないだなんて。てっきりアタシは「私は容認できない。これ以上事態を複雑化させるのは止めてくれ」とか言うのかと思ってたわ」
「どうせ私が何を述べたところで、結末は変わりはしないだろうからね。そうだろう? リベラ」
「! ――うん! 私、メネレテと一緒にいたい! それでね、メネレテにもたくさん思い出を作ってもらうの!」
「リベラさん……!」
すっかり年相応に笑う彼女に、ロアは微笑みを浮かべて手を差し出す。
「改めてよろしくね、メネレテちゃん」
「はい、こちらこそ!」
ロアと握手するメネレテに、ネーヴェも負けじと彼女の指先に手を載せる。そしてひと通りの挨拶を交わし終えると、メネレテは躊躇いながら、されど曇りのない瞳でサフィラスに臨む。
「それと、サフィラスさんも、その……よろしくお願いします」
「……ああ、よろしく頼むよ」
控えめに頭を下げるメアリーに、サフィラスは目を伏せて応えた。




