9・結婚してください
ペロとカリンさんも出ていきメアリーさんと2人部屋に残ったわしはどうしたらいいものかと悩んだ。
とりあえずテーブルの食器を流しに持って行こう。
洗わないといけないのだから不自然ではない。
何か話かけてくれたら楽なんだが下をむいているので、期待できない。「空いた皿、運びます。」
わしはひと声かけて立ちあがった。
一瞬だけ顔をあげたが、頷くように再び下をむいてしまった。
片手で持てる量は限られているので流しとテーブルを往復していると「私も・・手伝います。」と声をかけられた。
「ありがとう。」と言うと少し笑顔が見れた。
一通り食器を運び終えると台拭きで机を拭いていく。
後ろで見られているので少し緊張するが、何かを言ってくる気配はない。
ペロの座っていた席は特に念入りに拭いておく。染みが残っていたら何を言われるか分からない。
机を拭き終えたら、次は食器を洗う番だ。
おそるおそる蛇口をひねるが、やはり水は出なかった。
「はぁ~、やっぱり出ない・・。」思わず声に出てしまった。
「蛇口をひねる時に水が出るイメージをするんです。」
「えっ?」急にスラスラと文章を読んでいるかのように
メアリーさんが語りだした。
「最初は水の勢いを考えなくていい。ひねると水が出るというイメージを持ってください。」
ひねると水が出る。凄く当たり前だ。当たり前だからこそ、わしは何も考えずに蛇口に触れていた気がしないでもない。
「水が出る。水が出る。蛇口をひねると水が出る。」
わしは念仏を唱えるように、言葉にしながら蛇口をひねった。
気持ちとは裏腹に変わらず水は出なかった・・・。
「フフ・・。」微かにメアリーさんが声を出して笑った気がした。
「言葉にしなくてもいいんです。蛇口をひねる時に水が出るイメージをします。そのイメージをひねる手に意識をさせてください。こんな風に・・。」
わしの手の上にメアリーさんが手をのせてきた。
温かい手のぬくもりにドキッとしてしまった。
わしの手を導いて、蛇口に手をかけひねると水が勢いよく流れ出した。
「おお!!ちゃんと水がでた・・。」
日本では当たり前だった光景が、今のわしにとっては
希望と言っても過言ではない程の喜びの光景だった。
「後はひねる必要はありません。このまま水の勢いを強めたり、弱めたり、イメージをしてみてください。」
言われた通りにイメージをすると、水の勢いが強くなった。蛇口を限界までひねった勢いだ。もったいないと思い、弱まれと思うと勢いが弱くなっていった。
「おお!!すごいな。こんなに簡単に勢いが変化するんだ!?」わしは思わず声を大きく言ってしまった。
「後は感覚です。慣れればお湯を出すことも可能です。
冷たい水や、ぬるめのお湯などを出すことも可能です。
ちなみに蛇口に触れた本人が離れた場合、水は勝手に止まります。そこまで強力な魔力ではないので仕方ないことなのです。」
「すごいなぁ。わしの知っているどの水道よりも、優れているよ。お湯は出せるけども温度調節も調整する必要があったんだ。わしにとっては驚きだよ。教えてくれてありがとう!」
頬が少し赤くなったメアリーさんは「お役に立ててよかったです。」とにっこり笑ってくれた。
わしの手の上に添えられた小さな手の
おかげでこの子の顔がとても近くにあった。
なぜなのだろう・・?
昨日会ったばかりのこの子の笑顔を見ていると、
とても心が安らげている気がする。
近くにいるので余計そう感じるのかもしれないが、
なんとも言えないこの胸の衝動を抑えられない。
「こんなことをわしが言うのも失礼かもしれないけれど、ひとつだけ言ってもいいですか?」
「はい?」
「あなたの笑顔は素敵です。わしはあなたに何があったのかは知らないです。ですが笑わず感情を出さずにいるのはもったいない!そう思えるほどあなたの笑顔は素敵だと思います。」
わしは何を言っているんだ・・。
自分でもよく分からない。
この子の笑顔をもっと見ていたいと思った。
余計なお世話だと言われたらそれまでだ。
昨日会った居候の男が何を言ってるんだと蔑まれるかもしれんな・・。
「へ、変な事を言ってすいません。気にしないでください。」気まずくなるのが嫌でわしは先に謝っておいた。
「いえ、ありがとうございます。」
下をむいていた顔をあげて、メアリーさんは笑顔を見せてくれた。
肩にかかる赤い髪をかきあげながら・・・
淡いブルーの瞳から、頬につたう雫を隠さずに笑っている。
「メアリーさん、涙が・・」
幸い、ポケットにハンカチが入っていたのを渡した。
少ししわになっているが、洗ってから使っていないので問題ないだろう。
「あれ!?おかしいですね・・。笑顔を見せるつもりなのに、涙が出ちゃうなんて・・。」
ハンカチで涙を拭いながらも、少し恥ずかしそうに笑顔を見せてくれていた。
そんなメアリーさんを見ていると、また妻との記憶が蘇ってきた。
あの時は・・・初めて映画を2人で見に行った時だな。
わし達は電車で買い物に都会に出てきていた。
映画を見てみたいと言った妻と一緒に見た映画は、
最期は恋人が死を迎える悲しいストーリーの映画だったな。
映画館を出た後も、涙が止まらなかった妻にわしは持っていたハンカチを渡した。
その時に妻が見せた笑顔も今のメアリーさんと同じだ・・。
少し恥ずかしそうに笑いながら涙は止まっていなかった・・。
「ハンカチ・・ありがとうございました。あの・・洗って返しますね。」
そうだ・・あの時の妻もそう言っていたな・・。
わしが返した返事にまた涙を見せていたっけ。
何だった・・?わしも言っていて恥ずかしかった記憶・・。
「うん。持っていてくれて構わないよ・・。その・・どうせ一緒に住むことになるんだ・・。その時まで預けておくよ。」
「・・・・・・!?」
記憶というのは失ってもどうにか思い出せるものなのだな・・。わしは妻の手をとり、どうせならとプロポーズをしてしまった。
恥ずかしい事は先に済ませておこうと考えていたっけ。
ハンカチを持っていた手を上から包むように握って・・
「あなたが好きだ。結婚してほしい・・。」
「えっ!?」
そうそう。妻も全く心の準備をしていなかった時にプロポーズされた!って後になってダメ出ししていたっけ?
その時のわしは都会にきたことで気持ちが舞い上がっていた。自分でもあの時の行動が理解できない。
他に通行人もいる中で、握っていた手を自分の胸の方に引きよせ抱きしめたんだった。
「えっ?えっ?・・・・コージさん?」
その時に言ったセリフが、
「あなたを一生大切にします・・。ずっとそばにいてください・・・。」
そうだった。言った後で、死ぬほど恥ずかしい気持ちになったんだ。なぜあんなタイミングでプロポーズしてしまったんだろう?オッケーされたから良かったのだが、
そうでなければ、帰りの電車でもの凄くみじめな思いをしてしまっていただろうな・・。
ガラガラとドアが開く音で、わしは現実に戻ってきた。
「メアリー!!お客さんが多くて大変なんだ!!
手伝ってほしいってママが呼んでるよ!!」
カリンさんの声だ・・。んん?メアリーさん・・?
わしは無意識にメアリーさんを抱きしめていた・・・。
「あの・・姉さんが呼んでるので・・、離してもらえますか・・?」
わしは慌てて抱きしめていた腕を離した。
「あ・・あの・・急に・・変なことしてすいません!!」
わしは頭を下げ謝った。
なんだかこの世界にきて、頭を下げてばかりいる気がするな・・。
記憶が戻ってくるのが嬉しいが、体まで当時を思い出すかのごとく、動いてしまっている・・・。
「ちょっと・・考えさせてください・・・。」
メアリーさんはそう言って、部屋から出て行った。
わし一体どうしたんだろう・・?
メアリーさんの手に触れた感触が・・
メアリーさんを抱きしめいたぬくもりが・・
メアリーさんを抱きしめた時に鼻をかすめた髪の毛の香りが・・
頭の中がメアリーさんの事で埋め尽くされていくようだ・・・。
妻との記憶を思い出すきっかけにしているとはいえ、
どう考えてもおかしい!
わしの本能がメアリーさんを追いかけている!
どうやらこの年になってわしは恋をしてしまったのかもしれない・・。
冷静に考えれば、若返っているのだから、
肉体的には年がそこまで離れているわけではないだろう・・・。
出会って2日目と考えれば、無茶をしすぎだ・・。
何をしているのだと自分でも思う。
ペロの気持ちを考えると複雑だ。ペロは妻にとてもなついていたし、裏切るような行為に思えるかもしれない。
はぁ・・・。今考えても仕方のないことだな・・・。
とりあえず洗い物を済ましてしまおう・・・。