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1400色の世界

作者: aqri
掲載日:2021/09/04

 苛々した足取りで足早に街の中を歩いていく。すれ違う人、ぶつかりそうになる子供、歩きスマホをしてこちらに気づいていない奴。こいつにはわざと肩をぶつけ大きく舌打ちをして睨んだ。相手が何かリアクションする前にさっさとその場を後にした。


なんていうかさあ、センスがないよね。


 懸命に考えた企画は課長の一言であっさり却下されあとはうだうだと聞きたくもないご高説だ。俺だったらこうするよ、もうちょっとさあ、あーだこーだ。

 うるさい、お前の趣味嗜好なんて聞いてない。会社として必要だと思った企画なんだからお前がどう思うかなんてどうだっていいんだよ。なんであんなのが上司なんだ、無能な上司のもとにいる部下程可哀そうな存在はないと思う。そのくせ部下が上げた企画を自分の好きなように手直しをしてもっと上に提出しているのだから質が悪い。それを経営陣や人事部に言ったところで証拠がないからどうせ何もしない。最悪だ。


俺はこう思うよ。


知るか、どうでもいい。センスの欠片もない奴の言う事なんて便所で流し忘れた汚物と同じだ。


 ずんずん歩いて行き、適当にメシでも食うか胸糞悪いままなのも嫌だ、と行った事のない道へと進む。いわゆる裏路地というやつだろう、こういうところは飲み屋などが多いが個人経営の飯屋くらいあるはずだ。

 てきとうにふらふら歩いていると、ふととあるビルが目に入る。複合ビルだろう、1階ごとに入っている会社などが違うようだが、地下にギャラリーと書かれている。何のギャラリーかもわからない、検索をしても情報が何も出てこない。地下と言うのがまた入りにくいし何もわからないのでスルーしようとしたが。


センスがないよね。


……ああそうですか、センスがないなら感性を磨いてみましょうかね。上司からのありがたいご指摘もありましたしこれも社会勉強ですよ、とわけのわからない子供じみた考えが浮かんだ。気が付いたら地下に向かって足を運んでいた。

 地下にはすぐについて、小さな立て看板に「ギャラリー 私たちの見える世界」と書かれている。開催者の名前も何もない。変な所だな、と思いつつ扉を開けて部屋に入れば、会議室ほどの小さな部屋に絵がいくつか飾られているだけというシンプルな場所だった。受付もないし無人だ、ただ絵が飾られているだけ。

無料か、勝手に入って好きに見ていけということだろう。その方がこちらもありがたい。

絵は十数枚、大きいものから小さいものまで様々だ。


 一枚目、きれいな風景画だがおかしなことにそこら中に穴のようなものが開いているかのように、黒い円形のものがいくつも書き込まれている。丁度古い絵が虫食いになったような。せっかく絵も上手く、紅葉シーズンだったのだろう真っ赤な山々が美しいのにもったいない。そういう芸術家気取りの奴かと思い、絵の下にあるプレートを見ると。


「五十川すみれ 常に視界に穴があく」


 名前はともかく、視界に穴が開く? 意味が分からない。穴が開いて見えたらこんな感じだと言うことだろうか。そういうセンスの人? と思い次の絵を見る。

 二枚目、スクランブル交差点のような絵だ。ビル、街路樹、人。信号機も車もはっきり書かれているが、人の顔だけが……なんというのだろう、一度クレヨンで書いてその上から消しゴムをかけたかのような。まったく消えていない、むしろクレヨンがおかしな伸び方をしてぐちゃぐちゃに混ざっているような感じ。そう、ちょっと汚いモザイクのようになっている。

 見ればビルの巨大モニターに映っているアイドルの顔もそんな感じだ。首から下は普通に書かれているし、犬もちゃんとまともに書いてある。人の顔だけ、ぐちゃぐちゃ。プレートを見る。


「橋本洋輔 顔だけ見えない」


 顔だけ。なんで顔だけ? こういうのも芸術性があるというのであろうか。どうなんだろう……。普段なら意味わからん、で終わっているかもしれないがちょっと真剣に考えてみようと思った。犬の顔は認識しているのに人間の顔だけ見えないのか。輪郭もわからないくらい、ピンボケとは違って本当にぐちゃぐちゃだ。

だめだ、何でそういう風になったのか全然思いつかない。次に行こう。

 次、三枚目……、いや、五枚目まで同じ人だ。三枚目は自分の手足だろうが、手が異様に小さいのに足が無茶苦茶でかい。幼稚園児が粘土で人間を作って失敗したかのような。四枚目、風呂か?バスタブがプールみたいにでかいが、奥行きが無茶苦茶あるだけで横幅普通。でもシャワーヘッドはすぐ近くにある。シャワーがかかっている壁を突き破ってバスタブが配置されていることになってしまう妙な絵だ。五枚目はどこかの一室、自分の部屋だろうか。しかしその部屋は妙に波打っている、水面に映った風景に石を投げて波立たせたかのような、そんな感じだ。

 そこまで見て気づいた。この3枚の絵、もしかしてアリス症候群の人の絵ではないだろうか。見ている物が極度に大きく見えたり小さく見えたり、伸び縮みをしたり歪んでいたり。そんな奇病が確かあった。

そういえばギャラリーのタイトルが私たちの見える世界、だった。だとしたら、ここにある不思議な絵はすべて何らかの視覚異常がある人達が描いた絵なのでは?


 そう思うと、次の絵はなんだ、次は、ともっと絵を見たくなってくる。面白半分ではない、からかう意味もない。ただ知りたかったんだ、普通の人と違う風景が見える人たちはどんな世界が見えるのか。

ドアの隙間から見たかのような細長い世界、虫のようなものが蠢く世界、空中に常に光り輝くものが見える世界、常に右半分だけさかさまに見える世界……さかさまに見えるのは凄く大変そうだな……そうやって次々と見ていく中でとうとう最後の絵になった。その絵は他の絵より明らかに大きく1メートル以上はある。


絵の前に立って、目を見開いた。


 そこにかかれていたのは、桜の絵だった。桜並木だろう、奥に向かって桜が延々続いている。ただし、桜は青紫色だった。鮮やかな明るい青紫ではない、毒々しい、重い雰囲気の桜。よく見れば木の色も道路の色も何もかもが違う色。空はオーロラのようなエメラルドグリーンで桜は青紫、木はほぼ透明に近い水色。色を反転したのではない、本当にちぐはぐな色ばかりだが、違和感がないのはかなり細かいところまでグラデーションで描かれていて立体感があることだ。

何よりも、桜の色。こんな深い色なのにまったく重みがなく、神々しささえ感じられる。


プレートには「1400色の世界」とだけ書かれていた。他の人と違い名前はない。


 1400色? 疑問に思い絵に近づいてよく見てみるとようやくわかった。この絵、たぶん想像もできない種類の色が使われている。桜も同じ青紫で塗りつぶしてあるのではなく何十色という青紫が重ね塗りされているのだ。木も、空も、道も、何もかも。写真に撮ったら一色に見えてしまうだろう。

 そうか、この人は色の見え方が普通の人と違うのと、色彩感覚が多すぎる二種類の視覚異常をもっているんだ。だから世界がとても色に満ち溢れている。この人は桜が紫に見えている、それも一色の紫ではなく何十、何百という紫に。日が当たったり風が吹いて枝が揺れれば次々と紫の色が変わるのだろう。

 きっと本人は大変だ、世の中がすごくごちゃごちゃしすぎて眩しすぎる。1400色の世界はきっとうるさいに違いない。ほんの少し目を動かすだけで、グラデーションが波のように動き目に入って来る。今自分が見ているこの絵だって、きっとこの人の描いている本当の色彩の10分の1も認識していないだろう。グラデーションもかなり大雑把に見えているはずだ、そういう色彩能力しかないから。

それがとても悔しい。そして、なんて美しい風景なんだろうと思う。


 気が付いたら涙があふれていた。今まで見てきた穴だらけの絵も、顔だけない絵も、大きさがめちゃくちゃな絵も、どんな絵も写真や動画では絶対撮ることができない。この人たちにしか見えないし、誰にも理解してもらえない。見たって理解しきれない。

 子供が見たら変な絵と笑うだろうし大人が見たらなにこれで終わってしまいそうな絵ばかり。何を考えて絵をかいたのか、なんて深く考察する必要なんてない。彼らは見たままをかいただけなのだから。

 でも、なんてきれいな世界なんだ。不便で誰にも理解されない困った世界なのだろうけど、俺には絶対見えない世界だ。それがとても、ただ、美しかった。


 すべて見終えて階段を上がる。太陽の光が眩しい。けど、きらきら輝いて見えて、とてもきれいだ。見渡せば数多くの飲食店が見える。年季の入った看板、何十年たっているのだろう。ボロボロだ、それだけ時代を過ごしてきたのだろう。真新しいカフェは内装にこだわっているらしく、ごちゃごちゃせずシンプルで白とアイボリーで統一して清潔感がある。

 道路はあちこちヒビが入っていて、何度も修復したような跡もある。よく見れば道路わきには何かの花が咲いている、この排ガスだらけで硬すぎる土しかないこんなところで。

 ひらひらと葉が風に舞ってゆっくり落ちてくる。その落ちるさまがゆっくりで、表と裏に交互にひっくり返りながら太陽に照らされている影響で影になったり明るくなったり、表情を変えながら舞っているように見えた。

 見方を変えるだけでこんなに見える風景が違うんだな、と。妙にすっきりした気持ちだった。今まで見えていたんだ、ただそれを自分で認識していなかった、気にしていなかった。大雑把なものしか見えないよう濃い色のサングラスをかけていたような物だ。

 見るとは脳が認識すること。見えているのに気づかなかったりあえて見えないことにしてしまっているのは自分だ。ちょっと考え方を変えてみるか、ほんの少しでいい。無理しないで、ちょっとだけ。


 別の日、先日没をくらった企画を手直ししてプロジェクト前の発表会で発表した。内容は思い切り手直しした。確かに、課長のいう事はどうでもいいがつまらない内容だった。オリジナリティがないしコンセプトが曖昧だ。

 直したものを課長にメール添付でご確認ください、とだけ送り付ける。どうせ、というか絶対見ないという確信があった。

 発表会で内容を説明すると経営陣が意外と食いついてきて、開発部の課長とエリアマネージャーからの評価が好印象だった。臆することなく堂々とプレゼンできたのが大きい。逆に課長はこの件の質問にまったく答えられず、君たちちゃんとコミュニケとってる? と専務から聞かれしどろもどろになってる課長に代わって、


「ええ。俺の企画はいつもつまらないしセンスないって言われてます。今回も本当は没でしたが自信があったので発表させていただきました」


と答えるとはあ? どういうこと? という空気になった。課長は顔色を赤くしたり青くしたり大忙しだ。ちょっとした意趣返し、どうせ課長は手直し前の企画内容なんて覚えてるはずがない。

 人事部には異動願いを出してあって一昨日部長とも面談済み。来週には開発部に異動がほぼ決まっている、知らないのは課長くらいだろう。パワハラ受けてるので異動決定の報告だけにしてください、としおらしく言っておいたから。会議後の課長からの詰問をどうやってかわそうかな、とウキウキしながら考える。


まだまだ見えてない、自分なりの世界がいつか見える時が来るだろうか?

それを求めて、時には悩み時には浮かれて、間違えて遠回りしながら見て行こう。

いつか自分なりの1400色が見えるかもしれないから。



END

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