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解凍ノスタルジ

作者: 南野暦

フィルムカメラが趣味な、社会人2年目を迎える夏帆。ある日、彼女がクローゼットを開けると、足元に一つのフィルムが転がり落ちてくる。身に覚えのないフィルムを現像しにいくことにする彼女。そこには一体、何が写っているのか。

Chapter1:眠る記憶



「これ、現像お願いします。」

「はい、かしこまりました。」

「えーっと、このフィルム、もしかしたら何も写ってないかも知れなくて。」

「なるほど、写ってなくても現像には千円ほどかかってしまいますが、それでも大丈夫ですか?」

「はい、写ってなくても、お金払うので、よろしくお願いします。大丈夫です。」

「かしこまりました、だいたい1時間後くらいを目処に来て頂けたら、受け取り可能です。」

「ありがとうございます。」

「フィルム、写ってるといいですね。」

「そうですね。1時間後くらいに、また来ます。」


私は、店員さんに軽く会釈をして、店を出た。

さあ、どうやって時間を潰そう。

1時間か、長いようで短いなぁ。

本当は時間を潰してるほど、暇じゃないんだけど。


忙しさの真っ只中で、謎に時間を潰そうとしている自分におかしくなって、私は少し笑ってしまった。


そんな日も、たまにはありだなと、自分を肯定してあげる。

そう、今日は「ちょっと楽しい日」だし。


「ちょっと楽しい日」は、今朝、クローゼットを開けた瞬間に始まった。

クローゼットを開けると、一つのフィルムが足元に転がり落ちてきた。

フィルムの種類は「Kodak Gold 200」

ネガは巻き取られている。

つまりこのフィルムは、撮影はしたものの現像されず、クローゼットに眠っていたということになる。


「いつ撮ったやつかな、これ。」


私が「Kodak Gold 200」を使っていた時期は、今より3年以上前であることは確かだった。つまり社会人2年目になった私にとって、このフィルムに閉じ込められた記憶は、大学生の頃であることを意味する。


代わり映えのない日常に、小さなイベントが発生する。

当時付き合っていた彼が「フィルムは玉手箱に似てるんだよ」と言っていたことを、ふと思い出す。

クローゼットの中で、安らかに眠っていた過去の記憶。

そこには、彼が写っているのだろうか、

それとも、違う誰かとの日々が眠っているのだろうか。

そこに何が閉じ込められているのかが気になってしまって、私は居ても立ってもいられなくなった。


「現像しにいこ、今日。」


それが今朝の出来事、そうこれが「ちょっと楽しい日」の始まりの話。




Chapter2:酸味の強い珈琲 



私はフィルムを受け取るまでの1時間、

珈琲を飲んで時間を潰すことにした。


水曜日の11時の珈琲ショップは、それほど混んではいなかった。

私は珍しく、少し酸味の強い珈琲を頼んだ。

適当に、角の席を選んで座る。

意図的に作り出した、珈琲タイム。

その静かな時間の中で、私はあのフィルムに何が写っているのかを考えてみることにした。


「Kodak Gold 200」は、

夜に使うとほぼ何も映らない。

日中でも、明るい日じゃないとうまく撮れない、そんなフィルムだった。


良い点は「黄色っぽい色合いが特徴的」なことと、比較的安いこと。


「写ルンです」に内蔵される「FUJIFILM 400」より、確か300円くらい安かった気がする。お金がなかった当時の私は、ほぼ日中しか撮影しなかったこともあり、好んでこのフィルムを使っていたことを覚えている。


そう言えば、

なんで今は使わなくなったんだろう。

学生の頃と比べて、

お金に余裕が生まれたからかな。

正直、覚えていなかった。


このフィルムに何が写っているのか。


私は落ち着いて考えても、うまく思い出すことはできなかった。

少し考えて、3年前はちょうど、フィルムカメラを覚え始めた頃だと気付いた。


その気づきをきっかけに、私はなおさら現像が楽しみになった。


被写体との距離感、シャッター速度の管理の仕方に、画角の決め方。

それらを無意識的に計算してから撮ってしまう今とは違い、当時はきっと、撮りたいものを衝動のままに撮っていたはずだ。


写真としての出来栄えは、

たぶん良くないと思う。


でもそこに写る写真は、カメラのことをよく知らないビギナーにしか撮れない写真、つまり、今の私には絶対に撮れない写真という意味で、価値があることに気付かされる。


(そっか、あのフィルムは、カメラをやり始めた頃の写真なんだ。)


その気付きを引き金に、私は今まで思い出すことのなかったフィルムを始めたきっかけを思い出した。


そのきっかけは、

当時付き合うことになった彼の影響だった。


彼との出会いは、海。

海と言っても、夏の海水浴場でナンパされたみたいな、そういうホットな話じゃなくて。

冬の海の、静かなお話。


私は夕方、家の近くの海を散歩していて、

彼はフィルムカメラと財布だけを持って、何かを撮影していた。


彼は携帯も持たず、その土地の空気を吸うことに集中しているかのようで、

自分の目に映った刹那的な美しさをフィルムに閉じ込めているようでもあった。


私は、彼が何を撮ってるのかが気になって、声をかけた。


「何を撮ってるんですか?」

「あ、えーっと、今日のこの海の、空気の色…かな。」

「空気の色?」

「そう、空気の色。フィルムで撮ると空気の色って見えるんだよ。」

「すごい、見てみたいです、空気の色。」


その会話をきっかけに、海で散歩するときに彼とはよく会うようになった。


最初は挨拶して軽くちょこっと話すくらいの関係性だったけど、私がフィルムカメラを買ったことをきっかけに、彼にフィルムを教えてもらうようになって、よく一緒にどこかに出かけるようになって、デートはほぼ散歩だったし、彼は携帯を持ち歩かないから待ち合わせはいつも大変な思いをしたけれど、それはそれでとても楽しかったなあって、ちょっと感傷的になった。


クローゼットから転がり落ちてきたあのフィルム「Kodak Gold 200」を通して長期保存された記憶は、きっと彼との日々の一場面なのだろうと、何かの拍子に私が現像を忘れちゃって、クローゼットの中で今日まで眠っていたのだろうと考えた。


気付けば時間は、軽く1時間を回っていた。

私は、親しかった誰かと数年ぶりに会うときのような居心地の悪い緊張を覚えながら、現像をお願いしているカメラ屋さんへと向かった。




Chapter3:再開



「先ほど、現像をお願いした者なのですが。」

「お待ちしていました。少々お待ちください。」


店員さんがレジのあるカウンターから、少し奥の方へ移動して、私のフィルムのネガを探してくれている。

少しして、店員さんはB5くらいの大きさの紙袋を持ってきてくれた。


店員さんの言葉に少し緊張しながら待っていると、その人はこう告げてくれた。


「フィルムですが、写ってました。」


私は安堵する。

最悪何も写っていなくても良いかなと思っていたけれど、やっぱり何か写っていたのは嬉しかった。

しかしその言葉とは対照的に、店員さんは少し怪訝そうな顔をしていた。

私は質問をした。


「どうかされましたか?」

「あ、いや、特に問題はないんですが、それが、3枚しか写ってなくて。」

「3枚ですか?」


確かにそれは、おかしな話だった。

フィルムカメラはだいたい、30枚近く撮ることができる。少ない時でも25枚くらいは撮って、現像しにいくのが一般的だ。

そうしないと元が取れないし、フィルムがもったいない。

私は不思議に思いながら、店員さんに言った。


「まあでも、写っていて、よかったです。」

「そうですね、それでは、お会計お願いします。データはCDに焼いてあるので、パソコンから読み取ってみてください。」

「はい、ありがとうございます。お金、ちょうどあります。」

「ありがとうございました。千円ちょうど、お預かりします。またのお越しを。」

「はい。」


カメラ屋さんを後にして、電車で10分ほどで着く自宅への帰路に着いた。

今日が休みで、私はほんとに良かったと感じた。


フィルムは撮影中、

撮った写真を確認できない。


だからこそ、自分の頭の中に思い浮かんだ写真のイメージと実際に撮れた写真の乖離を楽しんだり、「こんな写真撮ったっけ?」みたいな、未知との遭遇を楽しんだりすることができる。そういうフィルムの楽しみ方が、私は好きだった。


さらに現像された写真を確認するまでのこの些細な時間は、

「小さな豊かさの代表を努めてます!」と言ってもおかしくないくらい楽しい。


テンションが上がってしまって変なことを考えてしまったけれど、

そんな風に楽しみを感じながら私は家に帰って、受け取ったCDをパソコンに入れた。


すると店員さんの話通り、

3枚だけ、写真が現れた。


(…)


(ああ、あの日だ。)


(そっか、そうだよ…)



全身を流れる納得感に、私の体は驚く。

ふいに熱が、涙を誘う。


そこに写っていた、3枚の写真。


その写真には、

記憶の中で眠らせておきたかった

"あの日"が写っていた。


その日は、

彼にふられた日だった。


「Kodak Gold 200」の象徴的な色味。

彼と最後に訪れた、

名前も覚えてないどこかの公園。

このフィルムのISOで写る、

ギリギリの明るさの夕暮れ時。


その色相や彩度、

明度の全てが、

脳裏で急速に解凍されていく。

「Kodak Gold 200」の象徴的な色味が、

当時の記憶のシンボルとして機能しだす。


冷たいベンチに座る彼の横顔。

公園から見えた、

ほとんど沈んでしまっている夕陽。

その日の、その公園の、空気の色。


彼の言葉が耳に届いた、

その瞬間の刹那的な感情や感覚が、

まるで昨日のことのように鮮明に、

それでいて、

夢の中の出来事のように幻想的に甦ってしまう。


私はなんで、

このフィルムが現像されず、

クローゼットに眠っていたのか、

なぜ写真が3枚しか写っていないのか、

なぜ私は「Kodak Gold 200」で

写真を撮るのをやめたのか、

やっと思い出せたようだった。


現像された写真を通して再開したのは、

彼との日々でも、彼自身でもなく、

彼との別れを受け入れられないでいた、

私自身の感情と行動だった。


彼と一緒に刻んだ、

小さな小さな蝶々の刺青。

消したくて消したくてどうしようもなかったけれど、今日はそっと触れてあげた。






「解凍ノスタルジ」終わり

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