第1章-9 私を誰だと
「売れないですって。私を誰だと思っているの。私は領主館で勤めているのよ。たかだか牧童のあなたが、そんな口をきいていいと思っているの」
激高したように、娘は腰に手を当てて憤っていた。それを見やり、ライモンは吐息をつく。
「それで。あんたが館で働いていて俺が牧童なのがなにか問題があるのか。それと売り物がないことと、何の関係があるんだ」
「なんですって!?」
ライモンはまじまじと娘を見つめた。確かに周りの娘に比べると、そのドレスの質が良いのがわかる。生地も仕立ても、周りの娘たちより際立っている。おそらく、いいところのお嬢さんなんだな、と思った。だが、だからといって我儘を通されてもかなわない。
「いいかい、お嬢さん。あんたはお館で働いている。俺は牧童で、牧場で働いている。どっちも働いていることには変わりはない。それでなんであんたのほうが偉いんだ。どっちにしても、働かなきゃいけないってことだろう」
ライモンの言葉に、栗色の髪の娘は目を丸くして彼を見つめた。今まで領主館に勤めているというだけで、凄いと言われていたのだろう。だが、結局は館に仕えて働く身だ。ならば、ライモンは小さくとも自分の牧場を持っている。娘に引けを取るとは思わなかった。
「それに、あなたが本当に領主館に勤めているとは思えません」
若者がライモンの隣で微笑みながらさらっと言った。これにはライモンも驚いたように若者を見やった。
「わ、私が嘘をついているとでも」
「そうですね、嘘をつかれているかどうかはわかりませんが、少なくとも働いてはいらっしゃらないのでは」
「……なんで、働いてないってわかる」
我慢できずに、ライモンが尋ねる。若者はライモンのほうに向きなおると、にっこりと笑ってみせた。
「館で働いていらっしゃるならば、今日はとても忙しくて街中に出ることなどできないと思いますよ。国王陛下はご領主の館に滞在なさるはずでしょう。おそらく館の中は大騒ぎでしょう。陛下だけではなく、ご一族や同行されている貴族、護衛の騎士たちもいるわけですから、その対応に館のものだけでは足りないくらいになっていることかと。そのような時に、彼女のように着飾って抜け出すのは難しいかと」
「ああ、なるほどね」
ライモンも覚えがある。例えば、ごくたまに隣の牧場の一家がライモンの家を訪ねてくることがあるが、そのような時は母親が座る間もないくらい立ち働かなければならない。ライモンが代ろうと思うのだが、いつも会話を強いられて、動くことができない。
もちろん、ライモンの家と領主館では規模が違う。だが、一気に世話をしなければいけない人数が増えたならば、誰しもが汲々として抜け出すどころではあるまい。