呼吸
私は温泉側に出て、そのスマホもどきを受け取った。風が鳴っている。
『王都で反乱者現わる。姿かたちからルーフスと思われる。炎を手にして暴れまわっている模様。何も持っていないのに建物に連続して火をつける。原因は不明。救助求む』
スマホもどきを持つ手が震えた。
「なん…なんでルーフスが『力』を!?」
滑り落とし、地面に落としたスマホもどきをディーが拾う。その手を掴んだ。
「わ、私、ルーフスには祈ってない! 祈ってないんだよ!」
たしかにルーフスの髪は切った。あの時に切った人には祈っていない。このアジトで祈ったのはアズーとファル王子だけだ。
「信じて!」
震える私をディーは抱きしめた。「わかっている」
「俺も途中からだけど見てたよ。チゼルさんも見てる。もし祈っているとしたら、アジトの人は力をバンバン使っているはず」
「ダン、近衛とアズー殿を呼んでくれ。力の説明をして王都へ急がねば」
「わかった」
弟はアジトの穴へ戻った。
心がうずく。
うずきがだんだん鈍い痛みに変わり、全身へ毒のように回っていく。呼吸が荒くなる。
「どうして…」
いやだ。いやだよ。私の仕事が、どうしてそんなことに。
王都が真っ赤に燃えているのを想像する。
「サギリ、お前のせいではない。何か不運が重なっただけだ」
私の背中を支える大きな手。
ディーが緑の瞳で見つめる。
「でも、でも…切ったことは事実なんだよ。祈りが少しでも入ったのかもしれない…いや、ほんとはみんな入っているのかもしれない…私は、なんてことを」
息ができなくなった。苦しい。呼吸の仕方ってなんだっけ? 苦しみを吐き出そうとすると、回数が増える。
「落ち着け! 呼吸が早すぎる。…ゆっくり、ゆっくりと息を吐くんだ」
彼はハンカチを取り出して私の口にあてた。背中を温めるようにさする。
「本来は袋を使うのがいいのだが…そうゆっくり、吸うんだ」
涙がこぼれる。
「祈っていないなら、自信を持て。何が原因か、今は誰にも分からん。わからぬものを考えても仕方ない」
そして、私の顔を覗き込んだ。にっと笑う。
「これは昔、お前が言ったことだぞ?」
頭を撫でられると、胸に温かいものがふわりと広がっていく。
呼吸が戻ってきた。
「ディー、ありがとう…」
抱き着いた。怖かった。
そうだよ。私は頭が悪いのだ。今更原因を考えたってこの力の事はわかりようがないんだ。
だったら、すべきことをするしかないじゃんか。
私は、顔を上げる。
「膨れているな。それでいい」
「うん、ムカついてきた」ハンカチを借りて涙を拭く。
「そうだ。それが俺のサギリだ」
足音がした。皆が来た、と思ったのだけれど、アズーが一人で立っている。
黙っていたから、わからなかった。
彼は何度か言葉を選ぶように手を動かし、絞るように口を開く。
「サギリ…あの…」
「ディーさーん!」
ダンが近衛隊とアイギスちゃんを連れてきて、その声はかき消された。
「隊長、どうしたんですか?!」
アズー以外、私たちに詰め寄った。
「よし、近衛は並べ!」
私を抱き寄せたまま、ディーは命令した。
「ルーフスが王都で暴動を起こしているらしい。実際見てみぬ事には状況はつかめん。まずグライン、先に出てくれ」
「わかりました」
彼はサッと出て行った。
「そしてグラインから詳細はわかると思うが、ルーフスは炎の力で街を焼いているとのこと。これは…皆も気づいたと思うがサギリは彼に祈っていないという。何か別の力が働いたのかもしれん。まず彼を止め、王都を守らねばならん。王都の地図は頭に叩き込んでいるな?」
「はい!」
「彼を保護しろ。そして、住民の安全を確保する」
「しかし」
フラットさんが手をあげた。「俺の力も炎です。炎に太刀打ちできる力がほぼありませんよね…ああ、スカンジさんがいれば」
「そっか…あ、これがある」ダンが川べりの洗濯機もどきからエルドリスの板を出した。「これ、エルドリスさんの魔法が入ってます。今から水魔法の板を増やしてもらいましょう」
「時間がかかるのでは」
「親方もいるし何とかなると思いますよ。王都に行ったグラインさんを、すぐアジトに戻して持って行ってもらえばいいかも」
「よし」ディーは皆に言った。「それまでは住民の誘導だ。ヒルトのバリアは役に立つだろう。アイギスは王都の外で待機、けが人を頼む」
「わか、りました」
アイギスちゃんも顔が真っ青だ。「どう、して…」
「私も行く」アズーが手を上げた。そして、目を閉じた。「すべて私が至らなかったせいだ。私は…いろいろなことに気を取られて、彼のことを…」
彼は胸のあたりで手を開いた。水が渦巻いている。近衛隊がその現象に目を見張る。
「私の力、役に立てたい」
そして私も決めている。「私も行くよ。ルーフスがどうして力を持ったかはわからない。でも私…もしかしたら力を止められるかもしれないんだ」
私は以前王妃にとらえられ、この力を利用されそうになった。ダンを人質にとられ、いやいや王妃の髪を切ったのだが、なぜか呪いがかかって彼女はもだえ苦しんだ。あまりの事に驚いてもう一度切ったら呪いはおさまった。
呪いが止まるなら、力も止まるかもしれない。
「そうか。あの時のやつか。姉ちゃん、板の訓練ムダじゃなかったな」
「今度は足手まといにならないよ。ディー、連れて行って!」
「わかった。ペティ、俺たちについてくれ」
「了解です」
ペティちゃんが私を見てにこりとした。
「こちらの商人たちも避難誘導に向かわせる」
「アズー殿、感謝します」
そして私たちはそれぞれ馬に乗り、王都へ向かったのである。
遠くがぽつりぽつり、明るい。あれが火だ。風が強くて、あおられてしまっている。
「ルーフス一人の仕業ではないと、俺は考えている。王子の言っていた『ラーウースの爆弾』かもしれない」
ダンの言葉がスマホもどきに浮かんだ。
『はい。ラーウースは反乱軍の分断をしかけ、国民の怒りを俺たちに向けようとしているんでしょう。住民は怒りどこじゃないですよ』
「だ、そうだ。サギリ、もう吹っ切れたか?」
「つーか、ぶっ潰す! ラーウース? そいつの顔、ひっぱたく!」
私の声に、ディーはクスクス笑った。「元気が出てきたな」
王都が近づくたび、炎の動きが分かる。一方向へまっすぐ進んでいる。
その先は、お城だ。