お針子になる?
あれから、ずいぶん月日が経った。
ダンはこの国の大学みたいなところに行けるようになり、毎日課題を持って帰ってはテーブルを紙切れだらけにする。
そして、あたしは。
「さ~あ、今日も運指の練習をするざますよ~」
三角眼鏡の女の先生が教壇に立ち、周りははーい、と元気よく返事する。
私は一番前の机で冷や汗をかいてる。
あの…周りの子たちどう見ても小学生くらいなんですけど。
「サギリすわん!何をぼうっとしているざます。その雑巾を早く仕上げるんざますわよ。その課題ができていないのはあなただけ、ざーますわよ?」
アニメでもドラマでも今どき出てこない話し方。周りの子はクスクス笑いだした。
私さ…たしかにけったいな服着てるよ。今日もTシャツの肩が破れてるしさ。
でもね?小学校から高校まで家庭科「2」だったんだよ?
目の前のタオル。赤い縫い目はガッタガタ。何度やってもやっても、縫い目は均等にならない。
ちく。
「いったぁ…」
「また針で指を刺したんでざますか?何度目でざんす。国から頼み込まれてこのクラスに入れたのに、あなたのような方は初めて…」
私は、机をたたいて立ち上がった。
「ムリ!」
「んま!どうしたでごんす?」
先生の言葉がおかしくなっている。
「無理無理無理ー!ムリだってば。私の手は、指は、針じゃなくてハサミを持つためのモノだっつの!」
「ちょっとどこへ行くごんす!外に出るなんてえてえてえ」
教室を出て廊下を走る。先生の声があちこちに反響した。
長い長い階段を下りて、ようやく外への扉が見つかった。
押したんだけど、あかない。
「ああ、鍵がかかってるんだった。下も鍵があるし」
突然そのドアの仕組みが分かり、自然に解錠する。
開けると、夜の風が私の全身をたたいた。
「え…?」
そこは、私の店の入り口だった。
ドアの取っ手を握る私の手。ウチのドアだ。そりゃあ、鍵の開け方わかってて当然だ。
じゃあ私、今まで夢の中にいた…?
そして、裸足ですっと進み出る。
(えっ)
私の脳はそんなことを命令していない。
(やだ、だって夜に外でちゃダメなんでしょ?)
石畳の感触。下から冷たさがせりあがる。
二歩、三歩。いうこときかない私の足。もう道の真ん中に達している。
そして、気配を感じた。
遠吠えも聞こえる。
「やめて…やめて!」
上半身をめちゃくちゃに振った。声も出した。パリン、という音が頭の奥で聞こえて体が自由になる。
でも、もう遅かった。
見上げた。馬ぐらいの大きさの、犬?オオカミ?
それでも毛はなく、赤いただれたような体だ。濁った黄色い目が私を見下ろす。
とっさに飛びのくと、グシャッと音がして石畳が割れた。
化け物の牙がそれだけヤバイということだ。
「イヤ…イヤ…」もつれる足をなんとか動かして店へ。しかし化け物はたった一歩で回り込んだのだ。
ドアがふさがれた。
足が震え、力が抜けて、へたり込む。手で後ろへ動こうとしても、もう無駄だろう。
生臭い吐息、大きく開いた口。ギザギザの歯。
「あ、あ、あ…」
終わりだ。本当の終わり。
「サギリ!」
その瞬間、何があったのか、記憶がかき消されてしまっている。
「姉ちゃん?! 姉ちゃん!」
目を開けると店の中。ダンが泣きそうになってた。
「ダン…」
「姉ちゃんは何ともない?どっか痛くないか?」
ダンに上半身を起こされた私は、自分の体に傷一つないことを確認する。
「私は大丈夫…でもどうして私」
すると弟はぐっと唇を噛んだ。もう一人の気配に振り向くと、壁にもたれかかる緑のよろい。
腕から血が流れている。
「ディーズさん! もしかして、私を? ダン、救急箱」
ディーズさんに駆け寄ると、彼は首を振った。
「これはかすり傷だ。どうってことない」
しかし、苦しそうな、それを見せまいとするような、そんな笑顔だ。
「ディーズさん…姉ちゃんのために…申し訳ありません」
ダンは一度頭を下げ、そして深く下げ。
土下座した。
「申し訳ありません!!」
どういうこと?
ディーズさんは眉を下げて笑った。「いい。サギリが何でもないのなら本望だ」
彼は兜から伸びる長髪を胸の前にかけた。私は、息を呑んだ。
彼の長髪は、それを包み込む金属ごと食いちぎられていたのだ。