混乱
私は、ディーとあいさつのキスをした。
「それでは…行ってくる。サギリ、今回の遠征は三日ほどだ」
「うん、頑張ってね。待ってる」
笑ってみせると、ディーはおでこをくっつけてきた。
「黒の沼は黄の籠より小規模だから楽勝だろう。しかしお前に会えないのが寂しい」
おおっ、いきなり重い男だな。ひっぺがす。「私はヘーキだよ!ちゃちゃっとやっつけて、さっさと帰ってきて!」
「なんてことだ」彼はしゅんとした。「先輩方は女性にこういうべきだと」
「も~なんてこと教わってんのよ。いい?ディーはディーなの。私はササっと馬に乗って、『行ってくる!』ピシッ!ってしてくれた方がキュンとするよ!」
「いつも通りではないか」
「それでいいんですっ!」
すると周りからヒューっと声がした。
「隊長~!ラブラブー!!」
「こっちまで恥ずかしいですなあ!」
馬に乗った近衛のみんながニコニコしてる。
「フラット!グラインまで!品がないぞ!」
向こうではダンとペティちゃんが話をしてる。
「ペティは大丈夫だと思うけど、気を付けてね」
「はい…ダンはお仕事がうまくいきますよう」
手が、全然離れない。
いつも通りにピシッと「行ってくる!」をやって、ディーたちはまた、街を出て行った。
「信じらんない…あの超絶カッコイイ人が、しかも王子様だよ?私の、彼氏だなんて」
ベランダでずーっと見守る。「まるでおとぎ話みたい」
「溺愛系ってやつかな」ダンはスマホを見てた。
デキアイ?
「それはよくわかんないけど、あんたはペティちゃんと、どうなのよ」
「俺たちは…まだ出会って少ししか経ってないからね」
ベランダに頬杖つく。「でも、大切にしたい」
「言うじゃん言うじゃん」
「でもさ、俺の方が小さくて力もないからな。大切、ってどんなことかなってずっと考えてる」
「あんたはそう考え続けるだけでいいと思うよ」
男性が力の強さで人を守るのは、生物学的には当然だったかもしれない。でも人の体はそれぞれだ。ダンに戦う力はないけど、だからこそ、「違う力」があるんだと思う。
私は二つの月を見上げ、祈った。みんなが無事に帰ってきますように。
そして、うでまくり。
「今日もいつも通り、やりますか!」
「おうよ!」
私たちは下に降りていつも通り。
私はカット練習、ダンは書類整理だ。
「今日は工房には行かないの?」
「そうだなあ。昼過ぎたら行くかもってエルドリスさんには伝えといたんだけど」
向こうから送られたらしき本を見ながら、あれこれと図を描いている。毎度のことながらさっぱりわからないんだけど、多分タイヤのことなんだろう。
「こうやって絵にすると、工房の人たちにわかってもらいやすいんだよ」
イメージで物を作るって言ってたもんね~。
すると、ドアがたたかれた。カーディナルの商人さんが立っている。
「また押し売りかな?」
「あれはディーさんがきつく言ってやめさせたらしいけど」
ダンがやれやれと立ち上がり、ドアを開けた。
「異国の品はいかがかね?」
「あのー、押し売りは間に合っ、て…?!」
ドサッと音。ダンが床に倒れた。
嫌な感じがぴりりと肌に絡みつく。身構える。
「ダンに何をしたの?」
「お前も来てもらうぞ、神の手よ」
巻いていたぐるぐるのストールから、顔が少し見えた。
「…なんで!」
──なんで、追放されたはずのべヴェルが。
「捕まえろ!」
「はっ!」前に見た黒いヨロイたちが店に入ってきた。あっという間に腕をつかまれ、何か嗅がされた。
一瞬で闇に落ちる。
目を覚ますと、高い天井があった。格子状になっていて、それぞれに絵がはめ込まれている。広い部屋だ。
一瞬で、お城の中だと理解した。
私はソファに寝かされていたが、口も手も足も縛られている。ふかふかのソファも、豪華な絹の生地も、このピンチにそぐわないものだった。
(ああ…ディー達は今頃遠くへ行ってしまったし)
だからこそ狙われたのか。
「お目覚めかい、神の手」
べヴェルが黒いローブで現れた。「お前のせいで私は半年も砂のような飯を食わされたよ」舌打ちする。
「なんであんたが戻ってきてんのよ」口の布はすぐにほどかれた。
「私を欲しがる方がいる限り、いつでも戻れるのさ」
「ダンは?弟は?」
「馬鹿か?まず自分の心配をしたらどうだ」
ソファに転がる私を、高い場所から見下ろす。
「私なんかどーでもいいわよ。その代わり、弟はいいでしょ?あの子は放して」
黒い魔法使いはゲラゲラ笑った。「馬鹿だな!お前は本当に、何もわかっていない!」
ときどきツバが飛ぶ。キモっ。
「あの方が来る。ちゃんと座れ」
黒いヨロイたちが自由の利かない私の身を起こした。足にふんばりがきかなくて、しんどい。
「連れて来たのか?」
黒いヨロイがこの部屋のドアを開けた。「どれ、じっくり拝もうではないか」
金色。
青い瞳。
「前に会うた時は一瞬だったからの。ふっ、みすぼらしい娘だな」
今日はつやつやした深い青のドレスを着ていた。
美しい、とても美しい存在だ。
(王妃さまじゃん…)
パーティーの時はその瞳を輝かせ、にっこり笑って私の手を取った人。
プルーナー王子の、お母さまだ。
──マジかよ!
この人が、べヴェルを操っていた黒幕なの?
「ディーズと手を組み、力をつけ、この先お前は何を欲する?」向かいの椅子に座り、ひじかけに肘をつく。そして顔を手に載せる。
「お前のせいで国は混乱しておる」
混乱?
「なんでよ。ディー達が遠征して、魔物倒して、カーディナルとも国交が結べて…いずれ王都では夜も歩けるようになる。なにがいけないの?」
「口も汚いな」
あの時とは顔つきも言葉遣いも全く違う。
低く、刺すように話す。
「この国はあのままでよかったのだ。ディーズは魔物と戦い疲弊すればよかったし、カーディナルとの挨拶は面倒。お前はプルーナーにも近づき、僧正たちの力も削ろうとしておったな。この国の、古からの金回りを壊そうとしていたのだぞ?」
「王子は自分から言ったんだよ!寺院にお金を使いたくないって!」
「あれはそういう子だ。この城におればよいものを、外に出てかぶれおって。何も見なければ、何も考えずに済んだものを」
「あなた、自分の息子を何だと思ってんのよ!」
王妃が目配せする。私はべヴェルにぶたれた。
「お前みたいな考え方をする者がおるから、国は面倒になるのだ。異国人のくせに生意気な。下の者は、何も考えずにいればよい」
なんだこの人…話が通じない。
上の方にずっといると、頭がおかしくなっちゃうの?
「王妃、もういいでしょう。娘はこの通り、我々の手の内におさまったのです」
「そうだな」王妃は立ち上がり、私に背を向けた。
ドレスの裾と一緒に、美しい金髪が流れている。
「リュミエールにも施したのだろう?あれは全く髪のかたちが変わっていなかった。とすれば、少し毛先を切ったのだろう。
娘、私の髪にも手を加えるがいい」
「はああ?」
「『神の手』、なのだろう?お前が髪を切ると、近衛たちが次々力をつけおった。国の兵力も均衡が取れなくなっておる。軍など、適当に争わせて削っておけばよかったのに。まあいい、リュミエールにやったなら、私にも施されてしかるべきだろう」
「ふざけんじゃないわよ。誰があんたなんかに」
そこで扉が開いた。黒いヨロイが二人がかりでダンを連れてきたのだ。ダンも手足口全部縛られていてしゃべることができない。
「お前の弱みは『あれ』だろう?」王妃は肩越しにこちらを見た。「だから、一緒に連れてきたのだ」
ダンの首に、剣が突き立てられる。
「ダン!」
私は首を振って自分の気持ちを落ち着かせ、下を向いた。
そして考えた。この後のこと。
これから、私は王妃側の人の髪を切らされる。
国の中は大変なことになってしまうが、その間命の保証はされるだろう。
どうにか、その間にダンだけでも逃がせれば。
今、下手に拒否して殺されるのだけはだめだ。
「わかったわ。手足をどうにかして。そうでないと、切れないわ」
「べヴェル」
魔法使いが手足の縄を切った。少々赤いあとがついている。
もともとカット練習してたから、シザーケースはそのままだ。
ダンが動く。そしてうめく。
「大丈夫。大丈夫だから」
私はどうもひざまずかねばならないらしい。王妃は背を向けて立ったままだ。
美しい金髪だ。どれだけ手入れされているのだろう。
この人のものであることが、ムカつく…。
太めのハサミを出す。ほんの少しだ。リュミエール様と同じように、わからないように切れば…
(ああ、この力を)
私は目をぎゅっと閉じた。悔しい。
この力は、正しく使いたいのに。
「何をしておる。さっさとおし」
私は、右手を動かした。
「ぬ…?くうっ…?!」
信じられないことが起こった。王妃が胸を押さえうずくまったのだ。
「カランビット様!」ヨロイたちが駆け寄る。
その手を払いのけ、こちらを向いた。
顔が、青い。いや、紫になってる。息も荒い。
どういうこと?
「娘、何をした!」
やがて手の先からも肌が紫に変わりだした。
金髪もどす黒く染まってゆく。
「これは、呪いか?!娘、呪いをかけたのか?」
べヴェルがシャツをつかんだ。いや、全くわかんない。
これも、私の力なの?
「呪いなら、早く解かぬか!」
ヨロイが言った。剣がダンの首すれすれだ。
そう言われても…どうすれば。
もう一回、切ればいいのだろうか。
とにかくもう一度、金髪をそろえた。
王妃は元に戻ったようだ。自分の髪と手を確認し、そして私に詰め寄った。
「とんだ魔女だな。それで私をどうにかできると思ったのか!」
「あんたなんかに、この力使ってたまるか!」
そして、とっさに思いつく。私は自分の毛先を触り、ちょん、と切った。
「今、私に呪いをかけたわ」
王妃は、身を引いた。
「私に、もう神の手は使えない。そして、私を殺せばあなたにまた、呪いが降りかかるの。今のはちょっとした見世物よ。よくわかったでしょ?弟もだめよ。呪いは同じだから!」
「魔女め!」部屋に金切り声が響いた。
「おのれ、おのれ!この者たちを牢に入れろ!一生、閉じ込めてくれるわ!」
私は再び薬をかがされ、意識を失った。