その空間
今日はこの国の休日だから、エルドリスと街を歩いていた。カーディナルの品を扱っている場所があるというから見に行くと、あの商人が石畳に座ってる。
「よう、異国の」
「あんた、まだ商売できるの?」
「通行証は持ってるからよ」首からぶら下げているのを見せる。
「商人仲間も追いついたし、なんとか形になったぜ」
ほんとだ。同じような服の人が物を地面に並べ、やはり地べたに座っている。
「サギリは誰とでも顔見知りなのですね」エルドリスが感嘆した。
「ぐ、偶然だよ~」
「おっ、キレイな姉ちゃん! この紅なんかどうだい?」
私にはキレイなんて一言も言わなかったな…。商人さんは器に入った口紅を見せる。中身はやはり真っ赤だ。
「ただの赤じゃん」
「それがな、こうするべ?」自分の手の甲に紅を付ける。
すると、やがてピンクに変わる。
「まあ、すごいわね。何を使っているのかしら」
うちの世界にもあるやつだけど、原料は違いそう。
すると、お尻にポン、と何かが当たった。地面に、球が転がる。
3歳くらいの男の子が手を上げる。「あたった!」
親がすぐにやってきてその子からおもちゃを取り上げた。「こら、謝りなさい!売り物で遊んじゃだめでしょう!」
「ごめんなさい…」
「ちゃんと謝れるんだ。偉いね!」私はしゃがんでその子に笑った。
あれ?
「すみません、そのおもちゃ、見せてくださいませんか?」
「え、あ、はい」親御さんはそれを渡してくれた。
これ、パチンコじゃん。
いや、大人がやるジャラジャラのあれじゃなくて。
Y字の棒にゴム通したもので、ゴムを引っ張って球を飛ばして遊ぶやつ。
ゴムなのだ。
「ねえ、カーディナルではゴムがとれるの?」
私が尋ねると、商人さんが食いつく。
「ああ採れるよ。それは木の汁から作ったもんだ。メリクールにはあまりないのか? ナシ、つけられっかな」
「今まさに、欲しがっている人がいるの!」
とりあえずこのパチンコを買った。
「うふふ。サギリはダンのことを本当に大事に思っているのですね」
エルドリスも、このゴムがどれだけ重要か知っている。
「ずっとタイヤタイヤ言っててさ。あんまり言うからタイヤの夢みちゃったよ」
エルドリスはわからないと思うけど、テレビCMに出てくるタイヤのキャラクターがゾロゾロ迫ってきて結構怖かったんだよね。
「でもこれは明日見せないとね」
「そうですね。今日はね」
そう、ダンはペティちゃんと出かけている。ペティちゃんはこの前言った通り緑のワンピースを着てるそうだ。
まあ実質、初デート?
(そして何かトラブルがあってもペティちゃんが守ってくれるんだよなあ)
「エルドリスはあのあとどうなのよ」
「そういうサギリこそ」
お互いを突っつき合う。
「あー。若いって、いいよね…」
「そうね。若いと力があるというか。早いわよね…」
『老いた話』をしていると、ちらりと緑の布が向こうで揺れた。
二人だ。
ヤボだから声はかけないでおこうと思うものの、ちょっと二人の行動がおかしい。キョロキョロしてる。
「大通りからそれたわ。あの裏側に店はない…むしろ危ないというか…」
「そうなの?」
「酒屋や娼館…そして、その…なんというか」
いわゆるラブホが多いらしい。
「それは、まだ早いだろ!」
姉ふたりは背中に汗をかいた。大事な弟と妹を追う。石畳の道を曲がると、地面に土が現れる。華やかさはなくなり、薄暗い。時々酔っ払っている人が転がっていたり、言い争いしているひとも見かける。
ダンとペティちゃんはどんどんその中を行くのだが…
「あれ?」
見たことのある建物にたどり着いた。私の家の裏だ。勝手口がある。
「なんだ、サギリの家にいくつもりだったのですか」
エルドリスは胸をなでおろしたけれど、そういえば私、ここにきてから裏に回ったことがないんだった。
勝手口はゴミを出すための出口で、こっちにきてからゴミが消えてしまうのでゴミ出しの必要がなく、開けていないのだ。
まして、外からは全く。ディーに裏へ行くなときつく言われてたし。
(なんで、ダンはわざわざペティちゃんを?)
安心しきって戻ろうとするエルドリスのスカートをつかんだ。物かげにかくれる。
ダンはあたりを見回しながら、デートの相手に言った。
「…ペティ。このことは絶対に、誰にも言わないでほしいんだ。特に、姉ちゃんには」
「サギリに?」
私に?何を言ってるんだろう。
するとダンは、勝手口のノブに手をかけ、回した。
今日は店を閉めているから暗いはずなのに、中から光がこぼれる。
え?
なんなの?
「サギリ、だめよ」エルドリスの声をきかず私は飛び出した。
「ダン!何してんの!その向こうに何があるの?」
「ね、姉ちゃ…!」
私はダンを押しのけて勝手口の向こうを正面から見た。
そして、言葉を失った。
「これ、どういうことよ!」
ドアの向こうに、雑然とした書斎があった。
高い本棚と、おさまりきらなくて横積みされた本。
それは私が、私が最も憎んだ世界だ。