高速運転、開始?
「うわーッ!」
グラインさんが悲鳴を上げた。
彼の乗った馬が、クルマもびっくりの速度で走り出したからである。
「やばい…」
「あれ、誰も止められないよ」
「おおーい、グライン、無理なら降りろ!…と言っても落ちたら骨折どころじゃないな」
何があったって?
私は自分の手にあるハサミを見つめる。
いつもの相棒ではない。私のハサミでは「切れない」からだ。
私たちは近衛隊の厩舎へ行き、馬を見た。馬のたてがみはそれぞれ持ち主によって編まれたりカットされたりしていた。人と違って馬に戒律はないので、たてがみが邪魔なら切ったりしてるらしい。しっぽの毛も同じく。
で、試しにグラインさんの馬を借りてしっぽの毛をちょっと切ったのだ。
それがこの結果。グラインさんは愛馬に引っ張られ、手綱だけでなんとか命を引き留めてる状態だ。
「あれは馬が疲れるか飽きるまで止められないだろうな…」
小一時間だろうか…グラインさんの馬がようやく速度をおとし、馬の主は馬場に転がった。
そして真っ青になって胃の中を空っぽにせざるを得なかったのである…。
「ハサミは何でもいいのだな。しかし結果が出すぎた。グラインはあれをもう一度乗りこなせるのか…」
小屋のベンチで気絶しているグラインさんを見て、ディーは頭を抱えた。私もうむむとうなる。
「人によっても得られる力が違うし、ほかの馬を切っても速くなるとは限らないかもね」
「あれだけパワーがあるなら馬車を引いたらどうかな」ダンが切り出した。「荷馬車に重さがあれば、あそこまで早くならないし、人は馬車に乗るからあそこまでは揺られない」
「車輪が持たぬのでは?」
「そうなんですよね。俺、この前馬車に乗って話したと思うんですけど…肝心なのはタイヤなんです。ゴムらしきものがこの国にはないから、代用できるものがあればなあ」
「タイヤ…?ゴム…?」
グラインさんがガバっと起きた。「隊長、私はまだまだやれます!乗りこなします!」
馬場は学校のグラウンドくらいある。
「ようするにいきなり走らせず、『歩かせる』だけでよいのではと思いました」
グラインさんは馬に乗り、そっと手綱を前に出す。すると馬はゆっくり動き出した。しかしそれでも走っているような速さになる。
「そして、少しずつ速度を上げていけば、私は鞍から離れずに済みます」
かかとをトン、と動かすとさきほどのスピードに近づいた。しかしグラインさんは鞍に乗ったままだ。
「まあ…あとは慣れです。この揺れに慣れるしかない…」
降りたグラインさんはやはり青くなって倒れてしまった。
「やっぱり乗らないで馬車につないだ方がいいと思うんだよな」
ダンはふむふむとスマホでメモしていた。
「試しに、誰の馬でもない子のしっぽ、もう一回切っていいかな?」
私は詰め所でディーに言ってみた。何が起こるかわからないから、それを知っておきたい。
「そうだな…使い慣れた馬があのようになっては俺も他も困る」
ディーも少し青くなっている。
もちろん実験した子はかわいそうなことになるかもなんだけど。
そしてもう一度厩舎に行く。いろんな馬がたくさんいるのが分かった。小さい子もいるみたい。
「兵士さんの馬とは違う種類もいますね」
「あれは運搬用の馬だ。早く走るものではない」
スラっとした馬とは対照的。足が太くてどっしりしている。
「これは道産子みたいだなあ。足は遅いけど、力がありそう」
ドサンコ?ラーメンと馬って関係あるの?
私は小さめの白い子を指さした。「この子、切っていいかな?」
「うーむ…物資運搬に使っているのだが…しかしな。よし、やってみろ」
ディーが馬に近づき、そっとしっぽを腕で固定した。馬はとても神経質で繊細な生き物だとさっき教わった。ちょっとでもおかしなことをすると、蹴られて死ぬこともあるらしい。
だからグラインさんの馬の時も、こんな感じでしっぽを固定したのだ。
「どうか、いい力が授かりますように」
ほんの少しそろえる程度。私はしっぽの毛を切った。
「はあ?!」
「ええー?」
「なんだ、あれは!」
兵舎の窓から見えたのだろう、隊員が馬場に駆けてきた。みんな、空を見上げている。
「嘘だろう…?」
「馬が、空を…」
うん、私も自分で信じらんない。
ドサンコちゃんに、翼が生えた。そしてその翼で空を飛んじゃったのである。ひらりひらりと滑空をしたり、バタバタ羽根を動かして浮上したり。
「まさにペガサスだな、姉ちゃん」
「だねえ。どうしよう、あれ、誰が乗るの…」
ドサンコちゃんの世話係の人が口笛を鳴らした。するとふんわり降りてきて羽根をたたむ。シュッと羽根が消えた。
「羽根の出しいれはできるみたいですね。あとは他の運搬馬と変わらないはずです。こいつはもともとおとなしいしヘタなことをしなければいつも通りですよ」
世話係の人が説明してくれた。ほんとかな…馬肉とかになったりしないよね…
私の力は、じゃじゃ馬のようだ。
後日、グラインさんは愛馬を完全に乗りこなせるようになり、カーディナルまで日帰りできたと言っていた。
「コツは、自分にバリアを張ることでした。バリアがあると揺れに対応できるんです。サギリ様、この力があって助かりました」
──のちに「稲妻のグライン」と呼ばれるようになったそうだ。