ふたり
その人は、思わず後ずさりするほど美しかった。
「あなたがディー…私の息子を救ってくださった方なのですね。初めまして、リュミエール・マティックと申します。お会いできてうれしいわ」
つややかな黒髪を一回横で複雑に編んで、胸におろしている。40はとうに超えているだろう。しかし、肌も唇もつやつやしている。
「さ、サギリです!! いえ、むしろ私がお世話になっちゃったりなんかしてます!!」
「ダンです! お会いできて光栄です!」
後ろにある装飾が施された窓枠すら、絵の一部になっていると思った。
会場じゃなくて部屋に通されるから何かなと思ったらこんな対面があるなんて。
参ったな、丁寧なあいさつも知らないのに。
「母上、二人は異国の者ゆえ」
「かまいません。私とてただの軍人の娘です。サギリさん、その手を見せてくださいませんか?」
私はおずおずと荒れた手を出す。「こんな手ですが」
「職人の手ね。まさしくこれが『神の手』…」
それにしても。私は部屋をそっと見まわす。壁紙も調度も立派なんだけど、控室のひとつ、くらいの小ささなのだ。
(これが正妻さんではないということなのかな…)
「宝石もつけてくださったのですね」
「あ、はい! 私のようなものにはもったいなくて」
リュミエール様はふっくらとほほ笑んだ。「それはね。ベルヌーイ様が私に下さったのです」
ベルヌーイ様? もしかして、王様かな。
「若い私はあなたのように驚きましたよ。私の身分にはふさわしくないと。でもベルヌーイ様は愛を形でしか渡せないとおっしゃった…忘れられない思い出です。でも今は、老いた私よりもあなたにつけてほしいの」
「そんな」とても老いているとは思えないし!
「私はとても幸せです。息子がいて、立派にベルヌーイ様のお役に立っている。それだけで。
サギリさんにも、幸せを」
そしてスッと立ち上がり、ディーに言った。「お父様と合流します。あとは構わなくていいですよ。それでは」
「はい」
ディーは右手を胸にあて、頭を下げた。
リュミエール様は部屋を出て行った。
「祖父は伯爵領での軍務を司っている。母上は今日、軍部の関係者として列席しているらしい。サギリ、ダン、この事はあまり他に言わないでほしい」
「大変…なんだね」
「それでも母上は俺を育て兵学校へ送ってくれた。祖父と母上には感謝している」
深い色のシックで上品なドレス姿は、長い廊下を進んでやがて消えて行った。
そして、パーティー会場へ。
立食形式で、あちこちのテーブルに見たことのない食べ物が並んでいる。しかし誰も手を付けていないなら、これは。
ラッパが鳴り、従者を先導に王様たちが現れた。プルーナー王子もいつもと違ってカチッとした姿だ。小さい子が後ろにいるけど、弟かな。
「アンヴィール。俺の弟だ。9歳になる」
そして、見事な水色のドレスに身を包み、プルーナー王子と同じまばゆい金髪の女性が現れた。
「カランビット様だ」「お美しい!」
金髪を高く繊細に結い上げ、金の髪飾りを挿し、あとはドレスと一緒に床へ。真っ白な肌に、紅がよく映える。
わー、たしかにプルーナー王子のお母さまだわ。輝いてる。
王様と王妃様はそれぞれの玉座へ。王子はその横に立つ。二人の大臣が現れ、声を上げた。
「本日は列席誠に感謝する。長年我が国は魔物に囲まれ、窮屈な日々を送っていた。近衛隊のはたらきでカーディナル王国への道が開き、本日同国大臣がお見えである」
「あれが右大臣、スペツナズ様だ」
ふむ。ディーたちより偉い人。
「今こそ」もう一人前に出る。「この喜びを共に分かち合いましょう。それでは、グラスはよろしいですかな?」
もう一人は左大臣のコンシールド様。
私たちは配られていたグラスを高く上げた。
「乾杯!」
パーティーの始まりは、ここからだ。音楽が流れ、なかなか露出の高い踊り手さんが舞い始めた。
「じゃあ、この辺のごはん食べていいんだよね? ディー」
知らないお肉がいっぱいある。でも、ディーは首を振った。
「まだお前たちにはやることがある」
ぐい、と腕を取られ、ずるずると…王座の、前?
なにごと?
「お前はほぼ、主賓だぞ」
赤い近衛兵たちもぞろぞろ集まり、列をなした。ダンも囲まれてしまい、あわあわしてる。
「敬礼!!」ディーの号令に、兵士たちは手を胸にあてる。私とダンだけ、立ち尽くす。
ディーが王様の前でひざまずいた。
「うむ、よくぞ来てくれた。そして『神の手』サギリ、『護り手』ダンよ。よくぞ近衛隊を支えてくれた」
王様が立ち、周りをみた。「この度の国交はこの者たちなくしては成り立たぬものだった。皆、祝福を」
王様が腕を高く上げると、場がワッと声を上げる。
(わあ~どうしよう、怖いよ!)
私とダンが手を取り合うと、ディーが両方の肩を支える。
「怯えることはない。お前たちの働きは認められている。堂々としていろ」
そ、そうなのかな。
そして、王様に挨拶をした。一応のお辞儀をすると、「うむ、素晴らしいドレスだな。ディーの見立てか? 楽しんでくれ」
「あ、ありがとうございます!」
次に、王妃さま。「あなたが…! 初めてお目にかかりますわね。王妃のカランビットと申します。よろしくね」優しくほほ笑む。
立ち上がり、そっと手を包んでくれた。「この国のために、これからもどうかよろしくお願いしますわ」
うわあ…王子と同じオーラの持ち主だ。圧倒される。
そして、プルーナー王子とアンヴィール王子。
「初めまして」彼は大嘘をついた。「異国の『神の手』、私は異国に興味があるのだ。機会があれば、話を聞かせてほしい」
ほほう。王子としてふるまっていると、しゃべり方もピシピシしているんだな。
「ええ、機会があれば」と私もウソをついた。
アンヴィール王子が、見上げている。プルーナー王子が話しかけた。
「アンヴィール、挨拶を」
「変なヤツ」
なんだと?
「アンヴィール!」プルーナー王子がたしなめると、弟王子は指をさした。「だって兄上、この人変だよ。髪が短いし挨拶もできないじゃないか」
「彼らは異国の者ゆえ、ご容赦ください」ディーが伝えると、弟王子はふーん、と言った。
「異国の人って変なの。ふーん。まあ、ディーも変だけど」
正直なお子さんだなあ…
「あれは変なものに食いつくお年頃だねえ。しゃあないよ」
ようやく食べ物にありつけた。ダンは羊の肉をもりもり食べる。
私もグラタンっぽいものをいただく。
「年が離れてるからプルーナー王子もかわいがってるのかな。私もダンがちっさいときはいろいろ大変だったな。そうか、思い出すと理解できるわ。お母さんのお客さんが持ってきたお中元に、『つまらないものですがって何?つまらないならいらないよ』って言ったのよ?」
「うえ~、姉ちゃんそれ何度目だよ。もう忘れてよ」
そうだっけ? 私は見たことない果物をつまむ。おいしー。農産物がよく採れるみたいだけど、いろどりみどりよりどりみどり。味も甘いのから酸っぱいの、いい香りなものもあって最高だ。
向こうでディーがいろいろな人に囲まれていたが、こちらにやってきた。
「大忙しっすねえ、隊長」
「まあな。勝手に英雄だのなんだの、気恥ずかしいものだ」
そして私たちに顔を寄せ、小声になる。
「あちらの、大きな帽子の方が僧正長のシュテルン様だ」
「へー。なかなか恰幅がよろしいですね」
「さぞ贅沢を」
「シッ、…まあ兄上とは仲が悪いな。この中に俺たちを狙った首謀者も仲間もいるだろう。グラインたちが見張っているから、ゆっくり顔を覚えていくといい」
「そんなに覚えきれないよ」
「感じるだけでいいのでは? ダンはべヴェルを見抜いたと思っている」
そうだ。あの時魔力を調べられてたら、まずかったかも。
「嫌な予感がしただけです」
「それでいい。直観を後で伝えてくれ。俺はただパーティーで遊ばせるつもりはないぞ。二人とも頼む」
そしてまた、ディーは集まりの中へ。近衛さんたちがいるのを確認して、二人で会場を動いた。
「そういえば右大臣と左大臣だけどさ、どっちだと思う?どっちもだと思う?」
あの辺が黒幕だよね。「私は、先にいろいろ言ってた人がべヴェルと同類な気がするんだよね」
右大臣もいろいろな人に囲まれて難しい話をしていた。まだ50前かな。中肉中背、いかにも「部長!」って感じのおじさんだ。出世欲を感じる。
「左大臣は…ずいぶん爺さんだよなあ」部屋の隅に置かれた椅子に座り、ひっそり休んでいる。王様よりそうとう年上のような気がする。
「政治家っていうより、もはや仙人」
「いやいや、ああいう好々爺が腹黒かったりするんだよ」
こうこうや?よくわからない言葉をダンが言った。
他にもいろんな人を見た。貴族、軍人、遠方の人…商人もいるみたい。
「そういえばダン、親方がいないね」
「こういうの苦手なんだってさ」
だろうね。功労者の一人なのに。
エルドリスには会えた。首回りがぐっと開いた色っぽいドレス。そして今日の髪の毛はまるで花火みたい。おお、口紅がオレンジだ。さすが国一番の魔法使い。もう開発したんだ。
「ペティがなんだかウキウキしてたわよ」
「よかったねえダン」
「う…うす」
そして、第一王子が近づいてきた。
「さっきはごめんね?」ささやいた。そして、彼は手招きした。
私たちは、少し会場を離れる。
パーティーは昼の真っ盛りだ。夜に行う発想はこの国にない。
「あの子はねえ…かなり甘やかされているんだ。僕も心配で、母上にそれとなく言ってるんだけどね。アンヴィールは母にべったりだからかわいくてきつく言えないみたいなんだ」
「まさか王子とも顔見知りだなんて」エルドリスが私たちと王子を見比べた。
「あ、うん。この人、街で歌ったり話したりしてるから」
ベランダにあるベンチにみんなで腰掛ける。
「王子が、歌?」
「クリスって名乗ってるの。アイドルだよ」
「危ないですわねえ」
「あんまり気づかれてないですよね。そもそも街の人は王子の顔を知らないみたいですよ」
「ふふ」今日の王子はマジで王子だ。きちんと髪を結い上げている。青い衣装はきらびやか、赤いマントも立派。
キザな恰好も、この人が着ると全部はまってしまう。
「で、見たかい? シュテルンのあのどてっ腹を」
「言いますねえ」
「彼も大変なのはわかってるよ」長い脚を組む。「寺院を建てて王様に気に入られたいのは貴族たちだ。石を積めば功徳になるなんて、いつから考え始めたんだろうね」
「その石はすべて、私たちが使いたいですわね」エルドリスも言うな。
「まったくだね! ダンが考えた、石を武器にする方法…あれはこの国の資源になるよ。カーディナルとも対等に貿易ができる」
ダンは首を振った。
「武器を国外に出すのは許しません。争いのもとになります」
「すまない。僕としたことが」王子が美しい顔を下げた。「では、繊維などを売る方向で考えてみてはくれまいか」
「エルドリスさんと親方とで話し合ってみます」
「うん。国が開いてもこちらが買うばかりでは昔と同じだ。国がまた貧しくなるからね」
「でも王子はさ、本当は向こうの書物が読みたいだけじゃないの?」
「まいったなサギリ、全くその通りさ!」
お話大好き人間『クリス』の顔で笑った。