グライン、遠征の中。
俺たちの遠征は往復三日間。隊長は前日の会議でそう言った。地図を指し示す。
「紫の森へ向かう」
森はそのままの意味ではない。魔物の巣の別名だ。「森」は狼や虎型が多い。蛇型が多いのは「沼」、鳥型が集まるのは「籠」だ。
「紫の森は一番近く、王都に来る魔物はあれからやって来るものが多い。国民の安寧のため一刻も早く取り除こうと思う」
隊長は、最近やってきた異国人の姉弟を気にしているようだ。隊長も魔物に襲われ、彼女らの住居周辺に魔物を寄せる何かがあると踏んでいるのだ。
ただし容疑のかかったべヴェル師長は黙秘したまま。現在副長のエルドリスが、隊長の持ち帰った革袋を調査している。まだ時間はかかりそうだ。彼女に課せられた使命が重すぎる。
待っていられないから、先に叩いてしまおうと考えているのだ。
少々強引なやり方だとは思ったが、今の隊長なら実行できると思う。
(エルドリスも少しは肩の荷が下りるだろうか)
「私も、王都を安心できる場所にしたい」
復帰したポンメル元隊長もうなずいた。
ディーズ隊長がポンメル様に隊長職をお返ししたいと懇願したのだが、ポンメル様は首を縦に振らなかった。もう半年が経過し、隊はディーズ様のものになってる。そうおっしゃった。
「俺たちはもう怯えている場合ではない。今こそ、こちらから奴らを叩きに行くのだ」
あの日の、あの力。隊長は神に選ばれた。俺はそう思った。しかし奇跡はポンメル様にもやってきた。
練習場で振り下ろしたポンメル様の斧は、一瞬で練習場の砂利を土を吹き飛ばしたのだ。
馬で一日がかり。伯爵領に近い草原の中に「森」はある。
馬上で隊長は俺に言った。「本当は…まだ俺にどれだけ力があるのかわからない。まだ使いこなすにも場所がない。そして、力はいつ失われるかもわからん。勇ましいことを言ったが、わからぬことだらけだ」
「あのお力は神のものでございます。私は力なきゆえ、何もできないのが口惜しい。できるだけ、奴らをひきつけ広く散らすつもりです」
隊長は少しだけ笑った。小さく加工した兜がずれ、その向きを直した。「まだ改良が必要だな」
隊長とポンメル様の兜は小さく打ち直された。二人とも髪を失い、俺たちとはまるで違う頭の形をしている。その奇妙さも、少しずつ慣れてきたと同時に、
「力を持つもの」の証ではないかと思った。
背の高い草むら。これが「紫の森」だ。俺たちほどに成長しきった草は魔物たちの住処である。
昼はこの中で眠っているのだ。
俺たちは馬を降りた。
遠征部隊は隊長を含め十人。他の者は王都を引き続き巡回している。
「攻め」の姿勢もまだ実験段階ということだ。
──まずい、だめだと思ったら即刻退却する。今回犠牲を出してしまえば続きはないと思ってくれ。
隊長はそう言っていた。俺は相棒である槍を構え、「森」の前に立つ。
「放て!」
張りのある号令を受けて矢が飛んだ。草むらが、揺れる。唸りが、空へ上がる。
黒い影たちがゆっくり姿を現した。
グドと、レギド。レギドはグドより体が大きく、あまり街に近づかない。レギドは人間よりもグドを好むらしい。
俺は、2回しか戦ったことがない。
「回れ! 俺たちは隊長たちから魔物を離す。できるだけ横に、横に散らすぞ!」
俺は叫んで走った。隊長たちの力は離れていてこそ効果があるようだ。近接戦では一匹一匹しか倒せず効率が悪い。
力なき者はそれぞれの武器を構えて横に散らばった。
隊長とポンメル様は中央で前後に立っている。
俺たちはいわば囮だ。グドもレギドも俺たちを俊敏に追いかける。
「ぐっ」
グドが一匹とびかかった。槍の柄に口を咬ませ、体を回して投げる。転げたところで胴を刺そうとしたが、レギドが立ちふさがった。
後ろへ下がる。レギドは、胴をついただけでは倒せない。グドのように振り払える大きさではない。
本来は複数で戦う相手である。
「グライン、もういいぞ!離れろ!」
ポンメル様が命じた。俺は背を向けて走った。
逃げるしかなかった。
「でやあああああーっ!!」
ディーズ隊長の横薙ぎが始まった。何もない空を大剣で斬る。
ざわっと土ぼこりが上がり、思わず腕で目を覆った。
その間にいくつもの鳴き声があがり消滅していく。
俺が振り返ると、そこには塵だけが残っていた。
戻った俺は息を乱し、地に刺した槍につかまっているしかなかった。
ポンメル様も隊長の前に出て斧をふるった。隊長のように真一文字ではなく斜めから土をえぐるように地をたたく。青い光が地を割り、土ががぼがぼと魔物たちを貫く。
(なんて力なんだ…素晴らしい…しかし俺は)
他の奴らもそう思ったのかもしれない。膝をつきただ眺める者、手をついている者、立ちすくむ者…。
俺たちは何もできなかったのだ。
紫の森は消えたと思っていいだろう。念のために草を刈り、その草をすべて焼き払った。
奴らが集う機会を与えてはならない。
「これで王都を狙う魔物も減るだろう。皆よく頑張った。感謝する」
俺たちはそれぞれを見た。勝利はしたが、やりきれなさが残っている。笑顔にかげりがあった。
引き上げる中、俺は馬上でずっと考えた。
俺にも、できることはないのかと。