白い巨寺院
シザーケースとクロス、鏡、シャンプー一式。カセットコンロとやかん。
あとは何がいるんだろう?タオルも多く持って行ったほうがいいかな。
私たち姉弟は一生懸命考えて準備をし、旅行用のかばんに詰め込んだ。
ディーたちが馬を用意してくれて、おっかなびっくり乗せられる。馬なんて体験教室以来だよ。
「すごいな。アンコールワットもびっくりだよ」
城を通過し、すこし田舎の道を進むと、でっかくて白い建物が現れた。
美しい池の中に立つ寺院。城とは違い石を積んだのではなくて、石をまるごと掘ったような造りなのだ。継ぎ目がまったくない。
柱を触るとひんやりして、清らかさが伝わってくる。
「この国、そうとうに石の種類がありそうなんだよな。これ大理石だと思うけど真っ白なのはうちの世界じゃ希少なんだ」
私にはさっぱりわからないけど、ダンは石に興味津々だ。あちこち回ってはぺたぺた触ってる。
ディーは門番と話をしている。「そうですか。あちらの区画に。感謝します。神のご加護を」
こちらにやってきて右のほうを指さした。「ポンメル元隊長はあちらで思索にふけっていらっしゃる」
しばらく寺院の庭を歩いた。不思議な場所だ。お寺なのに、お墓はない。美しく咲き誇る花と池と、手入れされた芝生。白い建物と相まって天国に来たような気がする。
でも、ぽつんぽつんと、座って目を閉じている人たちを見かけた。近づいても全く反応しない。
「ねえ、シサクってなに?」
「うーん。生きることとか、世界のこととか、哲学みたいなことを考え続けることかな。お坊さんの座禅に近いかも」
「そうだな」ディーはあちこち見まわしている。「ここで国の安寧と人生について考え、祈る場所だ。俺たちが生きているのは、僧侶たちが祈ってくれるから、と教えられている」
ふむ…よくわかんないなあ。祈るのはいいことだけど、ここには意に沿わず人生リタイアした人が集まってるんでしょ?
ディーもここで暮らすはずだったんだよ?
すると、突然ディーが走り出した。「ポンメル様!ポンメル様でいらっしゃいますか?」
ディーは一人の男性の前でひざまずいた。髪もひげも伸び放題で自然のまま。体には白い布を巻いているだけ。彼はぼんやり答えた。
「私は名を捨てた。昔はその名で呼ばれていたが」
「ああ…隊長」
ディーは彼の手を取って頭を下げる。ポンメルと呼ばれたその人は、白い布から体つきの良さがわかる。
「その頭、お前もここで暮らすのか?」
「いえ、王の許しを得て隊長を続けております。それには理由がありまして…
そして隊長は…お戻りになる気持ちはおありでしょうか?」
「私がか?バカな。そんな事は無理…」
「ムリじゃありませんっ!」私はそこに割って入った。
「もしも…ポンメルさん? あなたに復帰の意志があるのなら、私にすべてを任せていただけませんか?」
ポンメルさんはディーの元上司。半年前に髪をくいちぎられ、お坊さんになったそうだ。副隊長だったディーがそのまま隊長になったということになる。
そっか、ディーはまだ「エライ人」になって半年しかたってないんだ。だからエライ人の自覚がなくて自分からあまり言わなかったのかもしれない。
カセットコンロにやかんで温めたお湯。少しずつ髪を濡らし、シャンプーを泡立てる。池の水が汚れてしまうけど、この際仕方がない。
びんつけ油のようなものはこの半年ですっかり取れてしまっているので洗うのはかなり楽だった。ただシャンプー台がないからポンメルさんには前かがみに座ってもらうしかないけど。
「とても気持ちがいい。湯で頭を洗うなど、いつぶりだろうか」
そして洗い終え、カットに入る。口ひげはもともとあったということ。私に理容師の資格はないのでダンの髭剃りを使う。
「こんなかんじでしょうか?」
ダンがずっと鏡を持ってくれている。
「ああ、とてもいい」
たっぷりした口ひげだ。とても男らしい。
きけば30後半という。今は老けて見えるが、それなら大人の魅力をぐっと出そうじゃないですか。
頭の形は少々四角く、髪はかなりクセがある。これを生かす方向で。
私はハサミを両手で握って祈った。
「お嬢さん、私はさっきの話を半分くらいで聞いている。ただ、ディーズがあれだけ熱心に話すから付き合ってしまっただけだ」
いすの高さにちょうどいい岩に腰掛け、ポンメルさんは言った。
「しかし…残してきたものは多い。家族、部下たち、守るべき国の民。所持する欲を捨て、祈ることで守るのが僧侶の生き方なのだが…そうは言えどやはり欲は捨てられないものだな」
私はハサミを入れた。クロスに大量の髪が滑り落ちる。
「半年…私は祈り、考えることで欲を捨て、生き方を変化させねばならぬと思っていた。しかし、眠れば家族が思い浮かぶ。いくら祈っても、家族や部下のことを考えてしまう」
コームをあて、ぐっと刈り上げる。全体的に均一に短く、トップだけ立つように残す。
「ご家族…奥様とお子様が?」
「ああ。妻と娘が二人だ。国から金はおりていて不自由なく暮らしているはずだが」
それでも会えないんだ。まだ30代、子供さんも小さいだろう。
働き盛りの人を閉じ込めてしまうこの国の鎖が、まだ私には理解できない。
だから、仕上げるんだ。
クロスをはずし、ダンと合わせ鏡をする。
「いかがでしょう?」
「ほう…これはまた…軽いな。心まで軽くなったようだ」
全体的に短いかたち。前髪はワックスでツンと上げている。
ディーもため息をもらす。「人によって似合う形が違うのだな」
「そういうこと。ディーとポンメルさんは年も違うし、体格も顔の形も違う。そういうのを全部似合わせていくのが私の仕事なの」
素敵なお父さん。そんなイメージも入れている。
「ポンメルさんは以前どんな武器で戦っていたんですか?」
「斧だが…」
ディーがそれを持ってきていた。布にくるんで大事にしまっておいたという。
ポンメルさんはそれを懐かしそうに握った。すると、青い光が刃の部分に現れた。
「これがお嬢さんの力か?」
「この場所だと差し障りがありそうなんで…ちょっとだけ、ちょっとだけ振ってみてください」
「こうだろうか…?」軽く、その斧を振り下ろす。
草と、土が飛んだ。
みんなびっくりしてその場から飛びのいた。
振り下ろされた場所には、深い穴が開いていた。