08.膝枕
意識だけの存在が覚醒時の世界を離れて夢の世界に行ったとしたら、それは眠っているということになるのだろうか。
微睡んでいた意識が次第に知性を取り戻し、元居た世界――水の世界に帰還を果たした。いつの間にか眠っていたようだ。
夢の世界に行く前と今とで少しばかり頭に違和感を感じる。ぽにゃぽにゃした水の柔らかな感触ではなく、少し骨ばった感触。
思わず目をつぶったまま頭の方に手をやると何か柔らかいものを掴んだ。それと同時に『きゃあっ!』と声が響く。
『大海さん。おいたは駄目です』
『……女神さま。どうして俺を見下ろしているんでしょう』
『はい。膝枕をしているからです』
『あっ、水と感触が違ったのは……』
『はい。私の太ももです。でもお触りをするのは感心しませんね。私みたいな子に手を出すのはロリコンっていうらしいですよ?』
『えっと、すいません。感触がさっきまでと違っていたものでつい……』
『ふふっ、冗談です』
女神さまは茶目っ気のある笑顔で俺に言葉を返す。どうやら冗談を交えつつ俺の所業を許してくれたらしい。ここに来てからずっと思っていたことだが、女神さまはかなり人間味のある性格をしているようだ。
現在の状況を理解した俺は、少し恥ずかしさを感じて視線をさまよわせた。先ほどまで泣き出しそうだった空が元の青さを取り戻している。
『空が晴れましたね。さっきまでは雨が降り出しそうだったのに』
『ええ、晴れてよかったです。……ここは天気の日が多いですけど、たまに曇ったり雨が降るんです』
『いつも同じってわけじゃないんですね。俺がいた世界と一緒です』
『はい。……おそらくですけど、しばらくは天気が変わりやすい日が続くかもしれません』
『そういうのもわかるんですね』
『ええ。なにせ女神ですから』
『流石は女神さま』
正直今の状況がよくわかっていないのだが、女神さまは元の調子を取り戻してくれたようだ。更には俺を積極的に甘やかしてくれている。
『あの、大海さん。約束して欲しいことがあるんです』
『はい。なんなりと』
『大海さんの今の体は元の世界に居た時よりもある意味頑丈になっています。だけど無茶はしないでほしいんです』
女神さまの表情が少しこわばっている。俺のせいで怖い思いをさせてしまったのだろう。奇しくも彼女の言う通り、なるべく無茶なことはしたくないと考えていたところだ。
無茶をしないというのは、自分と自分以外の人を気に掛けるということでもある。まあ理屈としてはわかってもなかなか実践が難しいのだが。
しかし、この世界には女神さまだけしかいない。気にかける相手が一人だけならば女神さまの期待にも応えられる……と思う。
女神さまの気持ちに想いを馳せてわかったのは、今の俺には理解できないということだった。正確に言えば理解できるのだがこちらの意図が伝わらない。
言葉を発するのに不自由はないし相手の感情も考慮できるのだが、意思疎通が出来ないというのはやっぱりコミュ障なんだろうか。
それならば出来ないなりに、せめて相手の心を乱さず穏やかに過ごしてもらえるように努めるのが人情だろうと思う。
彼女が困惑して俺から離れる姿を目の当たりにしたからだろうか。俺は女神さまに信仰を示し、彼女を喜ばせることをしたいと心から思うことが出来た。
『はい。女神さまを困らせないようにやってみます』
『ありがとうございます。……なんだか気を張って疲れたかもしれません。私も横になりますね』
『あっ、はい。どうぞどうぞ』
女神さまは膝枕を解除し俺の隣に体を横たえる。彼女の幼気な表情に翳りはなく晴れやかだ。そのまま俺と女神さまの二人でまったりとした時間を過ごした。