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鬼灯町の百鬼夜行

夏山に夜咲く花と

作者: 宵宮祀花

「あの……青龍先輩、どこまで行くんですか?」

「この先だ」


 数分前と同じ問答。

 十数分あまり変わらない景色に、千鶴は暫し戸惑ったのち、諦めて再度歩き始めた。


 今日は鬼灯町の隣の市で花火大会がある。河川敷付近では縁日も出ているそうだが、二週間後に鬼灯町でも祭があるため、今回は町内で見るに留めようという話になった。

 それは良いのだが、どこで見るのかという話になったとき、千鶴は桜司から神社前に来るよう時間を指定されただけだった。指定された時間に神社を訪れてみれば、そこにいたのは伊月だけ。彼は一言、「ついてこい」とだけ言うと、提灯片手に山のほうへと歩き出してしまったのだ。


 ――――そして、いまに至る。


「あっ……!」


 暗い山道を慣れない浴衣姿で歩いていたため、張り出した木の根に気付かずに躓いてしまった。幸い転ぶことはなかったが、背の高い彼の歩調に合わせるのはなかなか骨が折れる。向こうは向こうで遅い千鶴に合わせてくれているのだろうが、それでも慣れの差は大きい。


 爪先を摩りつつ顔を上げると、険しい顔の伊月に見下ろされていた。


「あ、ご、ごめんなさい! すぐ……」


 立ち上がります。

 そう続くはずだった語尾は、突然体が浮いたことで夜闇に溶けて消えた。


「せ、先輩……!?」

「静かにしろ」


 眉を寄せた顔で、鋭く低い声で、ただそう言われては黙るほかない。千鶴は言葉通り息を殺す勢いで黙り込み、抱えられたままじっとしていた。

 伊月は自責の念と後悔とで若干落ち込んでいた。彼らに案内役を任された以上、無事目的地まで届けるのが役目。それなのに自分の歩幅に付き合わせてしまった挙げ句に、危うく怪我までさせるところだった。先ほどの光景を桜司に見られていたら、十中八九呆れの眼差しと共に「やはりお前には任せられんな」と嗤われていただろう。


 心の中で反省会を開いている伊月と、言われるまま黙り込んでいる千鶴。ひたすらに無言の時が流れる。


(うぅ……絶対怒らせた……)


 彼をよく知る先輩たちなら、恐らく伊月の表情の意味を正しく理解したのだろうが、残念ながら千鶴には伝わっていない。


 ひとり分の足音だけが響く中、どれほどの時間が経っただろうか。

 前方から、複数人の声が聞こえてきた。その声が聞き慣れたものだとわかったとき、足が数分ぶりに地面と再会した。どうやら、目的地は山の上にある神社だったらしく、白狐桜司と赤猫桐斗が待っていた。


「遅いぞ、伊月」

「うるさい」


 仏頂面を一ミリも崩すことなく桜司の傍をすり抜け、伊月は千鶴にもなにも言わずに離れていった。残された千鶴は桜司を見上げ、遅れたのは自分のせいだと説明した。


「――――それで、途中から運んでもらってしまって……でも特に怪我をしたとかではないんですけど」

「な……! 彼奴、我に隠れて千鶴を抱えるとは!」

「おーじうっさい! 千鶴も怪我なくて良かったよー」

「いでっ!」


 木製の下駄で脛を蹴られ、桜司はその場に脚を押さえて蹲った。

 桜司を黙らせた本人は、楽しそうに笑いながらその姿を見下ろしていたかと思うと、桜司を迂回して真横から千鶴に飛びつき抱きしめた。


「着て来てくれたんだ! やっぱ千鶴にはその浴衣が似合うと思ったんだー!」

「わあ!?」


 ピンク色の派手な髪を一つに結い上げ、大きな花飾りと簪をつけた少女……に見える少年、桐斗が中性的な声を一層性別不詳な高さに響かせて歓喜した。桐斗の浴衣は襟や袖、裾にフリルやレースがあしらわれたもので、白地にピンクの花柄という全方位隙間なく可愛い作りをしている。千鶴の浴衣は和金魚を模したもので、飾り帯が金魚の尾のようにひらひらと揺れるやわらかな素材で出来ている。


「赤猫先輩、ほんとに良かったんですか? 浴衣もらっちゃって……」

「うん、一回着たやつだし逆にごめんだけど、僕より千鶴のが似合うからねー」

「ぐっ……この暴力猫が……」

「ふんだ。おーじはそこで土でも数えてなよ。それより千鶴、こっちこっち!」

「えっ、せ、先輩??」


 足元で呻く桜司には構わず、桐斗はぐいぐいと千鶴の腕を引いて奥へと進む。桜司を気にしつつも桐斗の力には勝てない千鶴は、引きずられるまま社のほうへ向かった。


「紹介したかった場所ってここ、ですか?」

「そ! この奥の縁側がねー穴場なんだよねー」


 拝殿を迂回して裏手に回ると、縁側には大きな桶に入ったスイカやラムネ、手持ちの花火セットにポリバケツなどが揃っていて、それらを準備していたらしい柳雨が二人に気付いて手を振った。


「先輩、一人で準備してたんですか?」

「おう。ま、準備っつっても花火持ってきてここにあるもん出してきただけだからな」


 夏着物姿の柳雨は、足元を黒い足袋、襦袢をハイネックのインナーで代用していて、桐斗同様正統派の着方ではないが、彼らしくお洒落に仕上がっている。


「スイカはおーじのとこに奉納されたものだし、ラムネは僕が買ってきたヤツだよ」

「奉納……」


 改めて言われると、彼らの本性を実感してしまう。

 他にも酒や米などが毎年奉納されるらしく、桐斗はそれを目当てに桜司の稲荷神社に入り浸っているらしい。


「もうすぐ始まるぜ。ほら、おチビちゃんも座った座った」

「千鶴、こっちだよ」


 柳雨と桐斗に促されるまま、千鶴は縁側に置かれている座布団の一つに腰掛けた。


「ここって座ってても遠くまで見えるんですね」

「そうそう、そんでね――――」


 ――――ドン!!


 桐斗が前方を指差した、そのとき。低い音と共に、夜空に大輪の花が咲いた。続けて二つ、三つと祭の開幕を告げる花火が打ち上がる。


「この街は高い建物がないからね、ここは穴場なんだよ」

「凄い……わたし、花火をこんなにゆっくり見たの初めてです」


 色とりどりの花が咲く夜空を見つめながら、千鶴が感嘆の息を漏らす。

 と、そこへ正面で蹲っていた桜司がふらりと近寄り、千鶴の頬にラムネ瓶を当てた。


「!!……せ、先輩……」

「途中までとは言え、山道を歩いて疲れただろう。バテる前に飲め」

「あ……ありがとうございます……」


 まだドキドキする心臓を宥めながら、よく冷えたラムネを受け取った。桐斗も自分の分を取ってきて、千鶴の隣に腰を下ろす。逆隣には当然のように桜司が陣取ったため、柳雨は桐斗の隣に腰掛けた。伊月は、四人から少し離れた――彼らの様子が良く見える位置に座っている。


「千鶴、これ開けるときコツがあるんだよ。見ててねー」


 縁側の板の上に瓶を立てて置き、玉押しを手のひらで押し当ててビー玉を落とすと、そのまま暫く静止した。中で泡立つ炭酸が落ち着いたのを見て手を離し、得意げに瓶を掲げてみせる。


「ね、こうすると零れないんだって」

「これ、ちゃんと正しい開け方があったんですね……」


 ラムネを飲んだ機会は然程多くなかったが、そのどれもが吹き出す炭酸に驚いて手を離してしまっていた。桐斗の開け方を見て、思い切って真似をしてみる。


「わあ……! 先輩、わたしにも出来ました!」


 千鶴が喜びの声を上げてラムネ瓶を掲げて見せた瞬間、それを祝うかのように大輪の菊が打ち上がった。千鶴と桐斗は、暫く目を丸くして固まっていたかと思うと、揃って笑い出した。桐斗の横では、柳雨が笑いを堪えようとして失敗し、腹を抱えてぷるぷる震えている。


「ぷっ……あははっ! 凄いタイミングだったねー」

「びっくりしました……」


 二人で笑い合っていると、千鶴の背後から勢いよく飛びついてくるものがあった。


「わ……! 白狐先輩?」

「お主らだけで盛り上がってずるいぞ! 我も混ぜろ!」


 そう言いながら千鶴をあいだに挟んだまま、桐斗まで手を伸ばして引き寄せた。幸い瓶の中身が零れることはなかったが、気が気ではない。


「ぎゃー! なんで僕も巻き込むのさ!」

「ちょ、猫ちゃん、悲鳴が可愛くないよ」


 笑いすぎて涙目になりながら、隣で悲鳴の直撃を受けた柳雨が言う。二人に挟まれていた千鶴も至近距離で桐斗の声を聞いていたが、それよりも二人分の体温を身に受けているためにとても暑い。


「うるさいぞ」

「あだっ!」


 そろそろ煮えるのではないかと思い始めた頃、伊月による物理的な制止が桜司の頭を襲った。今回の獲物は六本入り蝋燭の箱だったらしく、音はいつもより軽かった。


「それに、そろそろ終わる」

「あーほんとだ。最後の大爆発モードだね」


 無数の花火が、一斉に夜空を彩る。連続する破裂音が肺を震わせ、咲いては散る光が網膜に焼き付けられる。いつの間にかぬるくなっていたラムネを喉に流すと全身が夏に浸される心地がした。


「……終わっちゃいましたね」


 最後の最後、一層大きな柳が降り注ぎ、静かな夜空が戻った。祭会場はまだ縁日等で賑わっているのだろうが、山の中は夜の街以上に静まり返っている。ほんの少し前まで賑やかだった分、微かな風の音だけとなった世界は耳に痛いほどだ。


「次は鬼灯町のお祭りだよ、千鶴」

「うむ。隣のでっかい市にも負けないくらい盛大な祭だからな。まあ、一応鎮魂祭ではあるのだが」

「灯籠を流すんでしたっけ。それも初めてなので、楽しみです」

「おチビちゃんは、灯籠流す相手はいる?」


 立ち上がり、スイカ桶に向かいながら柳雨が訊ねる。祭で流すものは、鎮魂のために作られた鬼灯型の灯籠だ。千鶴は少し迷ってから頷き、視線を足元に落とした。


「……母方のおじいちゃんが、わたしが小さい頃に亡くなってるんです。四国の田舎に住んでて滅多に会えなかったんですけど、会いに行くとうれしそうに迎えてくれて……タケノコやしいたけで作ったお寿司を振る舞ってくれたんです」


 祖父との思い出を辿るようにして静かに語る千鶴の口調は、どこか寂しそうでもあり嬉しそうでもあり。ぽつりぽつりと、皺だらけの手で握った寿司の味や、祖母に「子供なんだからお菓子のほうがいいだろう」と言われて、千鶴が「おじいちゃんのお寿司は好きだからいいの」と答えたときのうれしそうに細められた目元の記憶があふれ出る。


「そっか、大好きなおじいちゃんなんだね」

「はい。お盆にはお墓参りにも行きますけど、灯籠も流そうかなと」

「そうするといい。思い出が過去に捨てられん限り、人は死なんものだからな」


 千鶴の頭上に、桜司の手が乗せられる。横からは桐斗が抱きついては背中を撫でて、全方位から優しさが注がれるのを感じた。

 そうしていると、スイカを切り分けた柳雨が三人の前に立った。


「ほい、食べながら花火しようぜ。せっかく買ってきたんだし」

「さんせー! ね、千鶴もやろ?」

「はいっ」


 夜空に咲く花が一つ終わっても、まだ夏は終わらない。

 よく冷えたスイカは、懐かしい過日の味がした。

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