【閉じこもり】
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閉じこもり
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オオカミ君が入社して、3年目の夏。
自分の顧客案件も増えてきた中、前年の12月に歳の近い先輩が退職。後を50代の営業部長と70代の営業顧問との3人体制になりました。
当然のように、雑多な業務がオオカミ君に集中してしまい、大変な時期でしたね。
そして、それまでの色んなことが重なって何かが溢れてしまったのか、急にあなたがカラに閉じこもってしまいました。そのことをあなたは覚えていますか?
☆ ☆ ☆
仕事上の接触以外はしてこず、世間話は皆無、目も合わせず、オオカミ君特有のニヤリ顔も見られず無表情。周りに壁をめぐらしているようでした。
それなのに、常務や営業部長は大して気にしている様子もなく、私には大変不思議でした。
一日だんまりしていたかと思うと、夕方本社に戻ってくる別棟勤務の経理のお姉さんには、やたら積極的に明るく楽しそうに話しかける。――日頃はろくろく話もしないのに?
経理のお姉さんと仲の良いわたしには、まるでわたしへの当てつけのように感じていました。
(今、あなたはこの手紙を読みながら、否定しているでしょうけど。今ははっきり分かります。わたしの気のせいじゃないと思いますよ。)
実際、常務や営業部長が、そこまで気にしないのは、わたしほど存在を無視されていなかったからなのでしょう。
あなたは賢くて自立心があって、とてもとても繊細な人です。
だから、そういう時は、そっとしておいた方が良いのだろうと判断しました。
けれども、その間、わたしは理由も分からないまま、内心おだやかではありませんでした。
あなたの当てつけな態度にも、いちいち傷ついていました。
そんな日々が2週間くらいは続いたでしょうか。
実は、わたしには、そのきっかけに心当たりがありました。
それが、本当にささいなことだったので(まさかね)と最初は思っていたのですが、あなたの硬化した態度の長期化と、それがわたしに対して特に顕著であったことが、確信に変わっていきました。
☆ ☆ ☆
それは、ある日のこと。
イツミさん(オオカミ君の一歳年下の女性社員)が、ノドを痛めていたので、私はいつもあなたにあげている飴を、あなたの目の前でイツミさんにあげました。
それを見て『僕にもください。』と、あなたが催促してきたんですけど、わたしは、あと2つしか無かった飴を、イツミさんの為に置いておきたくて、ダメと言いました。
すると、別室に移動しようとしていたわたしを追いかけてきてまで『なんでですか?』と執拗な態度。わたしは執拗にされている意味が分からず、面倒くさいのもあって「いつも優しいと思ったら大間違いやで。」と半分冗談として言い渡しました。
そして、まさにその瞬間から、あなたの態度が明らかに変わったのでした。
(あなたは後に否定しましたけど。)
それから、すーっと、カラに閉じこもってしまいました。
ささいなことなので、最初は大して気にしていなかったのですが、あなたの長引く”閉じこもり”に、わたしは思い直しました。他人にはささいなことであっても、オオカミ君にとって、何か押してはいけないスイッチを、わたしが押してしまったのだと。
☆ ☆ ☆
あの時、どんなにわたしの胸がいたんでいたか、あなたが知り得たら、きっとカラに閉じこもっていられなかったと思います。
いずれにせよ。わたしへの態度が一番避けられていて、わたしも心当たりがあったので、いよいよたまりかねて、あなたを研修室に呼び出しました。
あなたは、とてもおっくうそうに現れて、目も合わせずに
『なんですか?』
と冷たく面倒くさそうに言いました。その態度に更に胸が凍りつき、ひるみそうになりましたが、わたしはなんとか言葉を発しました。
「言わなくても分かっていると思うけど、最近どうしたん?
もし、わたしに悪いところがあるんやったら、ちゃんと言うて」と切り出しました。
その時、あなたは少し考えて
『……古狸さんが、どうとかじゃありません。 本当です。
なんていうか……僕には全部シャットアウトしてしまう時があるんです。
それが今です。だから僕のことは一切気にしないでください』
と、やっぱり目も合わさずに、吐き捨てるように言いました。
そのまま、その場を去ろうとするあなたに、それでも、わたしは
「でも、放っとかれへんわ。」
と、オオカミ君の背中に向かって、言いました。
あなたはそこでようやく、無理やりらしくない苦しい笑顔を作ってから、わたしの顔を見ました。そして、
『本当に大丈夫ですから、放っておいてください』
と言い残してとうとう去っていきました。
最後の『放っておいてください』も、わたしの胸を刺しました。
☆ ☆ ☆
私にまるっきり原因が無いという話は信じきれませんでしたが、その時の色んな状況を鑑みて、私だけが原因でないことも理解できました。
わたしは(小難しい繊細な子なんやもんな。)と、あなた自身の中で収まるまで、そっとしとかないといけないんだと悟りました。
自分に何もできることがないことが、わたしの胸をとてもとても苦しくしました。
わたしの”お母さん”気分は、おこがましいにも程がありました。
そんな会話を交わしてからも、しばらくこの状態が続きました。
わたしは、わたしの中にあった期待を諦めようと努力していました。
ある日の帰り、わたしは自分の引き出しの中にあったものに目が留まりました。
筋トレにはまっているあなたに、この状況になる前にねだられた”アーモンドの素焼き”でした。そうです、これ600円近くもしたのです。
ここぞというタイミングで差し入れるつもりでしたが、この調子だとそんなタイミングもないなと思いました。
あなたが、わたしの前の席を外して、コピー機のところにいるタイミングを見計らい、”アーモンドの素焼き”をあなたの席に置いて帰ることにしました。
”オオカミ君に差し入れるつもりで購入していました。
他にあげる人もいないので、どうぞ召し上がってください。”
とメモを残して。
着替えて更衣室から出てきてから、ちょうどあなたと出くわしました。
「あ、古狸さん! ……ありがとうございました」
呼び止められるのは意外でした。そして、その時は、ちゃんと顔を見てくれましたね。
相変わらず、表情は硬かったですけど。でもそれだけで、ずいぶんホッとしたものです。
次の日、もっとびっくりしました。
すっかり元のオオカミ君に戻っていて、わたしは面食らいました。
その日は、またすぐ”閉じこもり”状態に戻るかもと、気が気じゃなく過ごしましたが、その後もずっとご機嫌で、本当に本当に安心しました。
わたしには、ささやかなことしかできませんが、それでも、あの時、あなたの心の何かを変えることが出来たのでしょうか。
少なくとも、”わたしの幸せ”は回復したのでした。




