7話 さようなら
※8/6 5:00
加筆修正しました。
カーテンの隙間から差し込む陽の光と、鳥の囀りによって目を覚ました。隣ではまだレイアが寝ている。
――あぁあああぁぁぁああ! 俺は昨日何をした!? 何を言った何を思った!? ありえない恥ずかしい死にたい! 誰か俺を殺してくれ!!
思い出せば思い出すほど顔が熱くなってくる。レイアが隣で寝ていなければ暴れていたかもしれない。
「はぁ……家の中でも見て回ろうかな」
起こさないようにそっとベッドから下り、ベッドわきに置かれているブーツを履く。ブラウスのボタンを掛けようとして、血で汚れていることを思い出す。
「洗わないと……って、浄化魔法を使えばいいのか」
昨日初級魔法をいくつか習得したことを思い出し、その中の一つである浄化魔法をブラウスだけでなく全身に使う。二日続けてお風呂に入っていないことも思い出し、少し気になっていたけれどだいぶすっきりした。
気分的なものかもしれないけれど、今はこれでいい。ベッドにも魔法を掛けてシーツに付いた血を綺麗にする。
「まだ少しふらふらする」
結構な量を吸われたから当然だ。問題は少し抵抗があるだけで、自分から言い出せるほどに恐怖がなくなっていることか。
回復魔法を掛けながら部屋を出る。廊下を歩いて順番に見て回ろうと、出て左の部屋を開けたらキッチンだった。
「昨日もお店で見たけど、使い方は問題なさそうだな」
冷蔵庫――こっちの名称では保冷庫――もあったけれど、勝手に使っていいかもわからないから朝食はレイアが起きてからだ。前世にあった家電などもこちらでは魔道具として作られていて、世界は変わっても便利なものを求める精神は変わらないのだろう。
コンロにシンクもあり、異世界というよりも海外に来た気分だ。他の家具はテーブルと椅子のみ。あまり使われてないのか、どこも埃が積もっている。
「ここも掃除しないとか……」
キッチンを出て他の部屋も確認するが、レイアの言う通りあの部屋以外にベッドはなく、それどころか家具も一切置かれていない。そのためかどの部屋も埃が積もっていて、すべての部屋を片付けるのは大変そうだ。
「あの部屋以外何年も使ってないみたいだ」
いつからこの建物があるのか、いつからこの家に住んでいるのかはわからないけれど、埃の積もり方からそれなりに長いのはわかる。
攫われたのが、餌にするためだけとは思えない。部屋を片付けてほしいとかでもなく、あの様子からして寂しさを埋めるため。その可能性が一番高いが、少し違う気がする。
「頭、痛い……」
屋敷を歩いて回っていると、頭痛がし始めた。屋敷をちゃんと見て回るのは初めてなのに、初めてじゃないと知らない記憶が訴えてくる。
一階へ降りて二階堂陽部屋を確認していく。下りてすぐの部屋は脱衣所で、磨りガラスの向こうは浴槽とシャワーがある。脱衣所には洗濯物を入れる籠と洗濯機がある。
「使い方は、やっぱり向こうと同じか」
電源やスタートなどは馴染みのある記号なためわかりやすい。ただ、他のボタンに書かれていることは読めない。
「いっ……!」
頭の中に流れ込んでくる情報の波に、頭痛が酷くなる。
脱衣所を出て他も回る。脱衣所を出て正面には庭に続く扉。洗濯物を外に干すならここを使えばいいだろう。
隣の部屋には何もなく、もう一つ隣は書斎だろうか。本がいっぱい置いてある部屋を見つけ、背表紙に書かれている文字を見る。
「魔物の生態、初級魔法基礎・応用、部屋の片づけ方初級……ふふっ努力は、したんだね」
半信半疑だったけれど、これで確信した。読めるようになった、というよりも思い出したというほうが正しいのだろうが、あまりどちらでも変わらない。確信に近い疑惑が確信に変わっただけなのだから。
「ぅぁっ……」
頭が痛い、気持ち悪い。
視界が定まらない。意識が朦朧とする。
今瞳に映っている情報と、再び脳に流れ込んできた情報とが混線して、どちらが現実かわからなくなってきた。
「ミーナ!」
誰かに抱きしめられる。聞き覚えのある声。以前もよく、こうしていた気がする。
「れい、ぁ?」
レイアに助けてもらって、それから――。
「よかった。起きたら部屋にいないから、またどこかに行ってしまったのかと……」
「ま、た?」
――待って、またってどういうことだ。俺は今何を思い出していた。
自分と他人の意識が混在する。
――ああ、そうだ。私は以前、レイアのもとを飛び出して……そして、そのまま。
脇の下と膝の裏に腕を差し込んで抱き抱えられる。そうするのが当然かのように、首に腕を回して抱きついていた。
ところどころに靄の掛かった映像が、脳内に流れる。
(これ以上見ちゃいけない)
黒いローブに身を包んだ女性に、噛み付かれる。優しく抱きしめ、頭を撫でて受け入れる。この人とずっと一緒に――。
(これ以上、思い出しちゃいけない!)
――ミーナ。
女性が私の名前を呼ぶ。
――ずっとここに、いて。ずっと私と一緒に。
その言葉が嬉しくて、思わず私はキスをした。目の前にある温もりを放したくなくて、背中に回した腕に力を籠める。
――嬉しい。
(このままじゃ、俺じゃなくなる!!)
「ミーナ!」
「!? な、何?」
現実に引き戻されていく。目の前には心配そうなレイアの姿。いつの間にか部屋に戻ってきて、ベッドに寝かされていたらしい。首に回していた腕を離す。
「本当に大丈夫?」
「は、はい……だい、じょうぶです」
今のは何だったのだろうか。靄が掛かっていてちゃんと思い出せない。離れようとしたレイアの手を咄嗟に掴む。
「ミーナがそうしていたいなら、私は嬉しいんだけど……我慢、出来なくなっちゃうよ」
顔が近づいてくる。視線の先は首じゃなくて、私の唇。
「レイア……」
瞼を閉じてその時を待つ。
「っ!? だ、ダメ!」
触れる直前になって意識がはっきりとし、慌てて顔を逸らす。
――俺は今、いったい何を。
自分が分からなくなる。さっき見た、自分じゃない人の記憶が過る。
――今の俺はどっちだ。
息を吐いてゆっくりと落ち着きを取り戻し、俺の記憶が脳内で再生される。けれどそれを覆うように私の記憶も再生され、ぐちゃぐちゃに混ざる。混ざり溶け合って、どちらが本当の自分なのかが分からなくなる。
「ミーナ……」
「ごめんなさい。思い出せそうなんですけど、思い出すのが、怖いんです……」
すべてを思い出したその時、果たして俺でいるのか、それとも私でいるのか。今はまだ俺だと言えるけれど、このまま全てを思い出したらわからない。
「いいんだよ、無理しないで。思い出さなくてもいいから」
そう言ってもらえるのは、俺という存在が肯定されることで嬉しい。けれど気付いてるんだ。俺を通してずっと私を見ていることは。
何か思い出すかもしれないと街を見て回ったのも、私に会いたいから。話したいからだって。
それに俺は異物。神の気まぐれによってこの世界に紛れた、存在しないはずの人間。知り合いと呼べる人も特にいないため、消えたところで悲しむ人はいない。
「あまり気にしすぎちゃダメ。焦っちゃダメ。思い出したからって今のミーナじゃなくなるわけじゃない。思い出せないからって過去のミーナが完全に消えるわけじゃない」
優しい声で言われるけれど、自身がない。今思い出したら、どちらかが消える。思い出さなかったら、私は消える。
「ありがと……」
それでもお礼を言うのは、遠回しに変わらず接し続けると言われたことが嬉しいから。
「で、そろそろ離してくれないと、本当に襲っちゃうよ?」
「へ?」
そういえば腕を掴んだままで、気が付けば引っ張って両手で握っていた。
「きゃっ!」
慌てて手を離して距離を取る。今の声は俺が出したのか。
枕を抱きしめて目だけだし、レイアに尋ねる。
「レイアは、知ってるんだよね。この体が誰なのかも、今体にいるのは……その人じゃないことも」
「うん」
知っていて同じ名前を付けることが出来るのか。いや、それだけ私を求めているということか。
「ミーナ」
枕越しに抱き着かれ左手は背中に、右手は俺の左手を掴んで強引に指を絡めてくる。
視線が交わる。綺麗な赤い瞳。そこには今の俺の姿が映っていて、その俺の瞳にはレイアが映っている。
思考に靄が掛かる。また、流される。
「レイア、だめ……」
「何がダメなの?」
見るものを虜にするよう笑みを浮かべて、小首をかしげる。
「そんな風に見つめられたら、私……も」
「私も?」
「我慢、出来なくなる」
間にあった枕を退かして、レイアの頬に触れる。背中に回していた腕が抜かれ、私の手に重ねられた。ゆっくりと互いに手を下ろし、どちらからでもなく指を絡める。
「ミーナ」
「レイア」
瞼を閉じてその時をじっと待つ。ただ触れるだけの軽いキス。それだけで私の心が満たされる。手を離して、首に回す。
今私の体に入っている子には少し申し訳ないけれど、主導権を一時的に貰う。私はもう死んだ身だからあまり長く留まってられない。だから、今だけ私の体を返して。
「お願い、吸って」
「お願い、吸わせて」
同時に紡いだ言葉は、僅かに意味は違うけれど同じことで、おかしくなって互いに笑いが零れる。仕切り直すようにもう一度キスを交わして、吸いやすいように首を右に傾げる。レイアの指が、ブラウスのボタンを三つ目まで外す。
「大好きだよ、ミーナ」
「私もレイアのことが大好き……」
レイアの牙が私の肌を貫き、一瞬だけ襲い来る痛みが好き。レイアが私を求めてくれた証拠だから、この痛みも、傷も、私には喜びでしかない。
「レイア、ごめんなさい」
レイアは何も言わない。黙って次の言葉を待ってくれる。
「あなたの前から急に消えて……長い間待たせてしまって」
首を冷たいものが伝い、抱きしめる腕に力が籠められる。
――もう二度と離さない。
そんな想いが伝わってきて嬉しく思うと同時に、悲しくなる。私はもうここにいてはいけない。だから、レイアには前を見て生きてほしい。
「気付いてると思うけど、私はもう死んだ人間だから」
涙が頬を伝う。吸血はもうされていない。
レイアの頭を優しく撫でる。こうすることもしてもらうことも、二度と出来ないから時間が許す限り触れていたい。
「この子のこと、お願いね。最後に私たちを引き合わせてくれた、私にも、あなたにとっても特別な子だから」
声が震える。消えたくない、別れたくない。もっとレイアと一緒にいたい。
「ミーナぁ! やだ、消えないで! ずっと一緒にいてよぉ!! もう、一人は……!」
「だめ、だよ……わがまま言ったら。そんなこと言われたら、私だって……!」
涙が止まらない。言葉が声にならない。このままずっといられたら、どれだけ幸せか。
「レイア……!」
「んっ!」
離れたくないという気持ちがどんどん溢れて声にしそうになるのを、無理やりにでも蓋をするためにキスをする。甘く、蕩けるような深いキスを。涙の味が分からなくなるほどの。
もう、時間がない。
「レイアはもう、一人じゃないでしょ? この子がいる」
「うん」
「本当に、これが最後だから」
「ミー、ナ」
「泣いたままお別れなんて嫌。だから、笑って」
うまく笑えてるかなんてわからない。気を抜けばすぐにまた、涙が溢れてしまいそう。
「うん……」
「ふふふ、酷い顔」
「ちょっ、頑張って笑ったのに!」
「あはははは!」
これでいい。私たちの間に湿っぽいものはなし。最後は明るく、笑顔で。
「さようなら、レイア。ずーっと大好きだよ」
「さよなら。私もずっと、ミーナのことが大好き」
もう一度軽く口づけを交わす。最後のキスは、少ししょっぱかった。