6話 逃げられませんでした
※8/6 5:00
加筆修正しました。また、話の流れが中盤から後半にかけて変わっています。
いくつかの回復と浄化、支援の魔法を習得し、食事をとるために酒場のほうに移動しながらレイアにかかれていたことを聞いていく。
表示されるのはスキルと適性、ポイントのほかに固有能力があり、そこに書かれていたのは二種類。『贄の血』と『順応力A』というもの。『贄の血』は吸血鬼などの血を好む種族にとっては御馳走らしい。
「どんなに美味しい料理もお酒も、ミーナの血と比べたら霞んじゃうよ」
「なるほど、部屋に転がっていた空き瓶は全てお酒だったんですか」
「何で分かったの?」
鎌を掛けただけなんだけれど、あっさり引っかかるのはどうかと思う。どれだけお酒を飲もうと、自分には関係のないことだから気にしないが。
ご飯を頼むためにメニューを見るけれど読めるわけも無く、レイアと同じものを頼んでもらう。
『エイド』
運ばれてくるまでに習得した回復魔法を早速試す。手のひらと指の傷、それから吸血痕を治す。回復魔法には造血効果もあり、おかげで少しボーっとしていたのも治った。これから先使用することが多くなりそうだ。
使ってみた感じは暖かくて安心するものに包まれるようなもの。消費魔力は適性のおかげで微量になっているらしいのだが、まだ魔力をうまく感じられないためにわからない。一日に百回は余裕で使うことが出来、効果も他の人と比べてかなり高いらしいのだが、比較対象もいないため実感がない。
「ゴミぐらいちゃんと片付けてくださいね。そのせいで指を切ったんですから」
言い忘れていたことを言い、部屋の惨状を思い出す。瓶の合計は五十本ほど、何本か割れていたために危険な状態ではあった。指の怪我だけで済んでよかったと思う。
「気を付けます」
「毎日飲んでるんですか?」
「ううん。少し前に王都からの依頼でちょーっと嫌な人と一日中一緒でね。ストレスたまりすぎ、て……ここ数日自棄酒してました」
だんだんと歯切れが悪くなったのは、話していくうちに俺の顔が自分でもわかるくらいに厳しいものに変わったからだろう。紙袋に大体十本ずつ入れてそれが十袋ほど。さすがに吸血鬼でも体調を崩しそうだ。
だが、体調を崩したからといって俺が困るわけではないのに、言わなくてもいいことが口をついて出る。
「さすがに飲みすぎです」
「ははは……ミーナの血を飲むまで二日酔いが酷かった」
それでも二日酔い程度で済んだのは、吸血鬼だからだろうか。
贄の血は吸血鬼などが飲むと強力な力を得るという、副次的な能力がある。二日酔いが治ったのはそれによるもののようだ。
順応力Aはあらゆる事態に順応しやすくなるというもの。男の時は今よりも十五センチ以上身長があり、性別も違うために骨格も変化していて最初は歩くのも一苦労なはずだ。それなのに何の問題もなく歩けているのは、この技能のおかげらしい。ヒールにすぐ慣れたのも、レイアに数回注意されるだけで歩き方を直せたのも、おそらくこの技能だと思う。
「お待たせしましたー」
かけられた声に思考が中断され、現実に引き戻される。レイアが若干委縮しているのが珍しくて自然と笑みが浮かぶ。しょうがないと息を吐き、なるべく優しい声音で話す。
「私がいる間はお酒禁止です」
わかってはいたけれど、余計落ち込んだ。どんなお酒や料理よりも美味しいっていう血を飲むことが出来ようと、嗜好品をやめるのは難しいのか。
「魔法か……」
何度かレイアの能力で非日常的な光景は見てきたが、まさか自分が使えるようになるとは思ってもいなかった。
「そろそろ行こうか」
復活して食事を終えたレイアが言う。用事を済ませたからそろそろ帰るのだろう。
「帰るのならここでテレポートすればいいんじゃないですか?」
「まだ帰らないよ。それと転移魔法は事故防止のために人通りのない場所で行うか、街の外じゃないとだめなの」
そういう決まりがあるのか。どういった事故が起こるのかはわからないが、便利なものでも問題はあるということか。
「帰らないならどこに行くんですか?」
午前は俺のためだったわけだから、午後はレイアの用事だろうか。
「街の案内。見て回ってるうちに何か思い出すかもしれないでしょ?」
「そう、ですね……」
思い出すも何も知らない街なのだが、素直にそう言えない立場なのが辛い。
ギルドを出て左に向かう。少し歩くと噴水が見え、周辺にはベンチがある。大通り同様露店もいくつか見え、違いは食べ物を多く扱ってること。露店で買ってベンチですぐ食べられるように、ここで売ってるようだ。
「ここでクレープ見つけたんだ。ほら、何人かベンチに座って食べてる」
甘いものを扱ってる露店がいくつかあるにもかかわらず、ほとんどの人がクレープを食べてる。
「珍しいものには弱いのよね、みんな。種類も豊富だったから迷っちゃうほどだし」
他の露店の店主も仕方ないという顔をしている。
今は特に何かを買う必要もなく、広場を抜けて次の場所へと行く。魔道具や、武器屋、防具屋、教会と順番に見ていき、何か思い出したことはないかとそのたびに聞かれるも特にない。
「何も思い出せなかったか」
残念そうにされると良心が痛む。本当に悪い人じゃないんだと、あんなことがあったのに心を開きつつある。
「そろそろ食材買って帰ろうか」
「わかりました」
逃げ出すとしたら、何を買うか選んでる時だろう。
最初の大通りへと戻り、食材を選んでるレイア。
――今なら自分に意識が向いてない。逃げ出すなら今だけだぞ。
分かっていてもなかなか行動に移せない。
――また殺されかけるのは怖い。でも、彼女は二度とあのようなことはしないんじゃないか。
忘れかけていたのに、あの時のことを思い出したことで体の震えが治まらない。
「ミーナ、どうかし――」
「っ! 触るな!」
「……ミーナ」
心配してくれただけなのに、その腕を強く払ってしまう。周りからの視線が痛く、気が付けば逃げ出していた。
どれだけ走ったかは分からない。気が付けば人通りの少ない路地で大通りの喧騒も聞こえない。
「どうしよう……」
しゃがみこんで膝に額を当てる。いい人なのは分かってる。信じていいんだって思い始めてた。でも、殺されかけた恐怖を打ち消すほどではなかった。
「ねえ、どうしたらいいか教えてよ……」
その問いは誰へのものか。この場には自分以外誰もいない。限りなく確信に近い疑惑だが、まだこの体の中にいるのならと、問いかける。
返事はやはりない――。
一度溢れ出した涙はなかなか止まらず、スカートを濡らす。
「あれ、キミ昨日の」
こういう時に限って嫌なことが起きる。声で予想はついていたが、気付かれないように涙を拭いて確認すると、昨日の痩せぎすの男がいた。
立ち上がって男とは反対方向へ歩く。
「まあ待ちなって。こうしてまた会ったのも何かの縁だしさ、少しお茶しようよ。何かあったなら話聞くぜ」
「離せ」
最後のだけ聴けばいいやつと思うだろう。実際には腕を掴み、全身を嘗め回すように見られて嫌悪感しかない。
さっそく習得したばかりの筋力強化を使って腕を振り払おうとするが、それでもびくともしない。非力なこの体が恨めしい。
「離せ!」
「落ち着けよ。本当にちょっとお茶するだけだからさ」
掴まれた腕が痛い。いくら抵抗しても意味はなく、奥の道へと引っ張られる。
――怖い。
嫌な想像が次々に浮かぶ。
――やだ、誰か助けて! 誰か……。
浮かんだ顔は、ついさっきまで一緒にいた人。今更どんな顔して会えばいい。どうやって呼べばいい。悩んでいる間にもどんどん狭い路地へと引っ張られていく。
「レイ、アぁ……!」
傷つけといて、危ない目に遭ったら頼ってしまう自分に嫌気が差す。来なくても仕方ない。見捨てられて当然だって、思っていたのに――。
「私のモノに、何してるのかしら?」
凛とした声が響く。この世界で数少ない聞き覚えのある声。
男が止まる。視線の先にいるのは、赤い瞳が怪しく輝いている金髪の吸血鬼。風もないのに身に着けているローブが揺れているのは、彼女が怒っているからか。その視線は自分に向けられているわけじゃないのに、息が苦しくなる。
「ゴミに名乗る名前なんてない。耳障りだから『黙れ』」
男が口をパクパクとさせているけれど、昨日一緒にいた巨漢と同じように声が出ていない。魔法なのか、それとも吸血鬼の能力なのか。
「さあ、その汚い手を『離して』、さっさとこの場から『消えなさい』」
腕を離し、狭い路地の向こうへと走り去っていく。
助かった。安心したからか足に力が入らなくなり、その場にへたり込む。近づいてくる足音がするけれど、そちらを向くことが出来ない。
「ミーナ、大丈夫?」
心配そうにのぞき込んでくるレイアを見返す。何でこんなにも安心するのだろうか。助けてもらったからだとしたら、どれだけ単純なのだろうか。
「大丈夫、です。助けてくれてありがとうございます」
目をそらして答える。差し出された手は少し迷ったが、このままでいるわけにもいかず、手を取って立ち上がらせてもらう。。
沈黙が気まずい。レイアは時々手を動かしてるが、迷っているのか何かをしてくることはない。
「触っても、平気?」
小さく頷く。そっと、大切なものを扱うかのように優しく抱きしめられる。直前に見た顔は柔らかな笑みで、どうして今でもそんな顔を向けてくれるのか。
「無事でよかった……」
微かに聞き取れた声は震えていて、抱きしめる力が少し強くなる。
止まっていた涙が流れ出す。どうして彼女を怖がっていたのか分からないほどに、こうしていることに安心感を覚える。
「ごめん、なさい……!」
「私も、昨日はごめんなさい」
腕を背中に回して抱きしめ返す。頭を撫でられ、幼子をあやすように背中を優しく叩かれる。少し落ち着いてきた。
「今日はもう帰ろう」
「はい」
暫くそうしていて、互いに落ち着いたところでレイアが言う。これ以上見て回るものもなく、いろいろあって疲れたために休みたかった。
レイアに抱き抱えられ、転移魔法で部屋に戻るとそのままベッドへ連れていかれる。影を操って器用にブーツを脱がされ、ベッドに横にならされる。
「もうどこにも行かないで」
覆いかぶさってきたレイアに耳元で囁かれ、吐息がかかってくすぐったい。
「んぅ……」
首筋に顔を埋められる。背中に回そうと思った腕が捕まり、頭の上で痛くならないよう優しく押さえられる。
「は、離して」
「ダメ」
今更だが恥ずかしくなり、抵抗しても力に差がありすぎて意味をなさない。
「まだ怖い?」
「怖くは、ないです」
むしろ安心感すら覚えている。なんて言えるはずもなく、抵抗することをやめる。
「手に付いた痕、今すぐ魔法で治して」
腕の拘束がなくなり、確認すると手形の痣が出来ている。先ほどの恐怖を思い出し、魔法で綺麗に治してレイアの背中に腕を回す。
「無事で本当によかった」
抱きしめられる力が強くなる。
「少し、苦しい」
「ごめん」
「緩めてはくれないんですね」
「だって、どこかに消えちゃいそうだから……」
レイアの体が微かに震えている。過去に何かあったのだろう。抱きしめ返す力を強める。
「ずっとここにいるって、約束は出来ません。でも今は行くあてがないから、もう少しここにいていいですか?」
残酷なことを言っているだろう。ここまで優しくしてくれた相手に対してそんなことを言える自分は、最低だ。
「もちろん、好きなだけいて。何があっても、私が守ってあげるから」
「ありがとうございます」
けれど、なんとなく確信していることはある。俺はもう、ここを離れることは出来ない。監禁されるとかではなく、レイアのそばに居心地の良さを感じているから。
「レイア」
「何?」
「飲んでいいですよ」
少し前の自分が聞いたら信じられないと言って、俺の正気を疑っているだろう。その光景が容易に想像できて苦笑する。
「本当にいいの?」
「ダメって言って、後で我慢できなくなりませんか?」
昨日みたいに暴走されるぐらいなら、定期的に吸わせたほうが安全だ。その考えを読み取ったのだろう。それ以上何も言うことなくリボンを解き、ブラウスのボタンを外される。飲みやすいように頭を傾けて首を晒す。
「いただきます」
「んっ!」
牙が肌を貫く。鋭い痛みに一瞬襲われ、溢れた血がブラウスを赤く染める。
「っ!」
全身に広がる、心をとろかすような安心感。幸福なのに怖くて、背中に回した腕に更に力を籠める。
「ん、ちゅ。はぷ」
「ハァ、ハァ……んぅ、レイアぁ」
力が抜けていくけれど、それでも背中に回した腕は放さない。今はこのぬくもりが恋しくて、手放したくない。
「も、そろそろ……」
これ以上は危ないと、声をかける。傷口からあふれた血を舐めとられ、顔が離れる。
「ん……ごちそうさま、ミーナ」
ようやく終わった吸血行為。レイアに抱きしめられたまま、眠気に任せて瞼を閉じる。
「おやすみなさい」