4話 女装?をすることになりました
※7/31 3:42
修正しました。
――……ナ。
誰かの声がする。
――ミーナ。
ミーナって誰だ。俺は……。
「ミーナ、起きないと抱きしめるよ」
跳ね起きて急いでベッドの隅に移動する。一気に脳が覚醒し、ミーナは自分の新しい名前だと思い出した。
「そこまで過剰に反応されると傷つくな……」
落ち込んでいるけれど、自業自得としか言えない。
――夢じゃなかったか。
夢だったらどれだけ良かったか。首筋に指を這わせる。牙が深く差し込まれた跡が、くっきりと残っていた。
「おはよう、ミーナ」
「お、おはよう。今から血、吸うの?」
連日血を吸われてはいつ衰弱死するかわからない。部屋の片づけと情報収集もまともにできなくなるから困る。
「吸わせてはもらうけど、用事を済ませてからね」
「用事?」
昨日と同じローブに身を包んだレイアは、昨日と同じように影からサンドイッチと水を取り出す。
「昨日言わなかったっけ? 洋服は一緒に買いに行くって」
「あ」
思い出した。いつまでもこの格好というわけにはいかないし、上手くいけば逃げられるかもしれない。
「それにギルドで登録しておけば身分証の発行をしてもらえるから、ついでにね」
ギルドは物語で何度か出てきたな。魔物の討伐や素材の収集を行っている、便利屋ともいえる組織だ。この世界のが見聞きしたものと同じとは限らないが、楽しみなことに変わりはない。だが、一人で外には出られなさそうなのに身分証は必要なのだろうか。
「私の服も大きいし、何着か買わないと」
そう言って胸を見られても、精神は男だから困る。確かにレイアと――他の人と比べたら無いようなもの。立って足元を見ても邪魔するのはダボダボの服のみだ。
だがまず気にするべきは身長やウエストじゃないのか。レイアはかなり細いから問題は自分だが、この体はそんな彼女と変わらないほど細い。身長は頭一つ分は離れていないだろうが、目線は肩より少し下。十センチ以上は確実に違う。
この恰好ほどではないが、結構不格好になりそうだ。
「街って、窓から見えるものですか?」
「そう、昨日と同じ街よ」
昨日と同じってことは、あいつらもいるのだろうか。会いたくない。
「それじゃ行こっか」
サンドイッチを食べ終え、水を飲んで一息吐いたところで手を差し出される。触れるのすら怖がっているのは分かっているはずなんだけど、何か理由があるのだろう。
「外を歩くよりテレポートで行ったほうが早くて安全だし、素足で長距離歩くのは大変でしょ? それに、体のどこかに触れていないと一緒に転移出来ないの」
「そういう、ことなら」
転移自体にはいい記憶がないなと思いつつ、手を繋ぐ。なにせ二回とも強制的に、しかも説明もなかったんだ。一回目は理不尽に対する怒りでどうってことはなかったが、二回目の転移の際、一瞬あった浮遊感はちょっと苦手だ。
繋いだ手を、もう片方の手で包み込まれる。レイアを見れば、視線の高さを合わせて優しい表情をしていた。その赤い瞳を見ても、今はあまり恐怖を感じない。それどころか少し安心している自分に吃驚している。
「ミーナが本気で嫌がるなら、血を吸わない。記憶がなくて不安なのに、怖い思いさせてごめんね」
確かに知らないことも多くて先のことを考えると不安だし、レイアのことは少し怖い。けれど、説明できないだけで記憶喪失ではないことに罪悪感が凄い。話したところで信じてもらえるとは思えないが。
「大丈夫。今のあなたは、そこまで怖くないですから」
「ほんと?」
「ほんと」
触れてる手は少しひんやりしているけれど、それでもどこか懐かしい暖かさを感じる。知らないはずの、知っている温もり。
「それじゃあ行くよ」
「うん」
目を閉じてその時を待つ。握る手に少し力が入る。
「テレポート、アグリス」
一瞬の浮遊感の後に、足の裏にじゅうたんとは違うひんやりとした感触がする。ゆっくりと目を開けると、目の前には大きな壁に囲まれた町が見える。足元を見れば草があり、周辺を見渡せば広大な平原が続いている。ところどころに魔物と思しき姿があり、遠くには壁に囲まれた一軒の屋敷。あれがさっきまでいたところだろう。
「わぁ……!」
初めて生で見た街の――屋敷の外の景色は、想像していたよりもきれいで窓から見るよりも輝いて見える。
――本当なら、この世界を自由に冒険できたのだろうか。
それはもう考えても意味のないことなのかもしれない。それでもどこかで納得しきれない自分がいるのも事実。こういう世界に来た以上剣を振り回したり、魔法を使うことに憧れてしまうのは仕方ない。
「ついてきて」
「う、うん」
先を進むレイアの後ろをついていく。門のところには守衛が立っており、吸血鬼が堂々と街に入っても大丈夫なのかと思ったが普通に通された。知られていないだけなんか、それともこれが普通なのか。横を通るときに軽く会釈をする。
「ようこそ、アグリスへ」
笑顔で歓迎されてしまった。
中に入ってレイアとはぐれないように進む。以前も少し離れた位置から見ていたが、人通りが多く露店には珍しいものがある。見たい気持ちは強いが、そちらに気を取られたら迷子になってしまうな。
偶然を装ってそうなるつもりではあるが、今はまだその時じゃない。どこかで働かせてもらうにも、こんな恰好じゃ門前払いだ。
「ミーナ、こっち」
見失いかけたところで声を掛けられ、顔を向ければ少し先で待っていた。身長の差は歩く速度にも表れる。仕方ないと思い、恐怖を押し殺してローブの裾を掴む。
「いらっしゃいませー!」
そうしてしばらく歩き、たどり着いたのは一件の洋服屋。扱っているのは女性ものがメインだが、男物も隅のほうにいくつかある。さらに奥のほうに部屋着、寝間着コーナーがあり、スウェットも見えた。昨日歩いてるときに少し見たお店だ。
「とりあえず採寸しないとね」
「採寸?」
「そ。スリーサイズが分からないと下着も選べないし」
――what? 下着? 下着って言うと、ブラとか?
脳が理解した瞬間、俺は踵を返して駆けだしていた。
「どこ行くの?」
だが吸血鬼に先回りされた。無慈悲な。
「は、離せ! 嫌だ! 女物の下着を着るなんて嫌だ―!!」
「昨日から薄々思ってたんだけど、ミーナってどこか男の子っぽいよね」
腕を引かれて店内に連れ戻される。店員さんの視線が辛い。
一昨日までは男だったと言えればどれだけいいか。どこか諦めもあり、喋り方には気を配っていた。それでもそう思われたということは、仕草や歩き方が原因だろうか。
「せっかく可愛いんだし、もう少し女の子っぽくしたほうがいいよ?」
「うるさい」
そんなこと言われても急に変われるわけじゃない。いつか戻れるなら戻りたいと思っているのだから、あまり染まりすぎるわけにもいかない。この姿の生活に慣れはしても、当たり前になっては戻れなくなる。
「あ」
「何?」
「手、普通に触ってるけど大丈夫なの?」
脱出することに必死で忘れていた。少し震えるけれど取り乱すほどじゃない。
「とりあえず測るから、暴れないでね?」
更衣室に入り、店員さんが持ってきたメジャーを受け取る。後半の言葉と同時に影が揺らいだ。また逃げようとしたらそれで拘束するつもりのようだ。
「服を肩まで持ち上げて」
言われたとおりにして素肌を晒す。メジャーの触れたところが少しひんやりしてくすぐったい。
「それじゃあ持ってくるから待ってて」
なんだろうか、この何かが磨り減る感じ。いつかは覚悟を決めないといけないと思ってはいたが、こんなに早くなるだなんて、と肩を落とす。
更衣室に取り付けられている姿身を見る。映っているのは肩甲骨の下くらいまである黒髪に碧眼の少女。外見年齢は十五、六ぐらいで元の年齢よりは三歳ほど下だ。身長はついでに測ってもらい、百五十三センチとかなり縮んでいるのが分かった。ギリギリ百七十届かないぐらいの身長はあったのに残念だ。
面影が一切ない全くの別人なのに、そこに映っているのは確かに自分なのだと受け入れている。自分しかいないのだから当然なわけだが、それでも少しは違和感を感じるはずなのに、まるでこの姿が当然であるかのように。
「持ってきたよ」
レイアが大量の服を抱えて戻ってきた。中には下着もあって、諦めるしかないのかと内心ため息を吐く。
「どうやって着ればいいの?」
ブラを手に取ってレイアに聞く。少し恥ずかしいけれど一緒に更衣室の中に入り、上を脱いで説明されたとおりに着けていく。説明を聞けばまるで知っていたかのように体が動き、すんなりと身に着けることが出来た。
――何かがおかしい。知らないはずのことを、体が知っている?
「それじゃこれとこれ、着てみて」
「うっ……」
いきなりハードルの高いスカートか。ブラウスはボタン周りにレースが付いていて、手首の部分が少し狭く、そこから手のひらに向けて広がっている作りだ。
男女でボタンが左右逆だから少し慣れないかと思えばそんなことはなく、またすんなりと着れたことに疑問が確信へと近づく。
「ミーナ?」
「あ、ごめんなさい」
いけない、考え事に集中しすぎてしまった。このことに関しては考えてもわからないし、いくつかの面倒なことが減ったと前向きに捉えるべきだろう。
白と黒のチェックのミニスカートに黒の二ーソックス、茶色のヒールのあるブーツを履いて鏡を見る。
「最後にこれ」
黒の細い紐でブラウスの前にリボンが作られる。
「似合ってるね。他のも試着してると時間かかるし、サイズは問題なさそうだから買ってきちゃうね」
手に持ってるもの全部買うつもりなのか。この世界のお金なんて持ってないから仕方ないけれど、かなりの申し訳なさがある。
大きい紙袋が三つ。持とうとしたら全て陰に収納された。便利な能力が羨ましい。