3話 トラウマになりそうです
※2019/7/30 16:55
加筆修正をしました。
「ん、ここは……?」
目が覚めてまず移ったのは知らない天井。こういう時に口にする定番ネタがあると友人から聞いたのだが、現状をある程度把握してからじゃないとスッと口から出るわけもなく、不通に疑問を口にする。
「よかった。目が覚めて」
横から声がしてそっちを向けば、女性が心配そうな表情でこちらを見つめている。
「ひっ……」
意識を失う直前のことを完全に思い出し、情けない声と共にその人から距離を取る。
「ごめんなさい」
目の周りに薄っすらと涙の跡が残っているのが見える。なんで、襲った側がそこまで悲しむ。
「許してくれるとは思ってない。でも逃がしたくもない。絶対に殺さないし死なせないから……だから、せめて少しでも仲良くなりたいの」
言っていることに矛盾があるが、目の前の吸血鬼から自力で逃げるのは厳しい。誘拐したにもかかわらず部屋の中を自由に動き回れるようにしているのは余裕の表れか、それともそこまでする気がないからか。話の流れと涙の痕から考えると後者だろう。衣類を一緒に買いに行くという話だから、彼女の目の届く範囲なら外に出ることも出来る。
このままおびえ続けていたら互いにストレスが溜まってよくないもの確かだ。それに、助けられなければ今よりも非道状況になっていたかもしれない。それこそ死んだほうがましだと思うようなことに。想像しただけでゾッとする。
「ふぅ……わかった」
殺されかけたことに対する恐怖は、助けられたことを考えれば少しは和らぐ。もちろんここから逃げることを諦めるわけじゃない。準備が整えばいつだって逃げる気だ。それまでは彼女の言う通り、少しは仲良くするのが精神衛生上一番いい選択だ。
「よかった。私はレイア。君は?」
名前か。この体で男の名前を名乗るのはおかしいだろう。自分の容姿もよくわからず、部屋に鏡が見当たらないので確認できない。代わりの名前も思いつかず、あまりとりたくはない方法を使う。
「……ない」
「え?」
「覚えて、ない」
沈黙が気まずい。けれど仕方ないんだ。この世界の情報なんて一切ないし、文字にも見覚えがない。これから先そういった一般常識を誤魔化すためにも、記憶喪失ということにしたほうが都合がいい。
「そっか。呼び名がないと困るし……ミーナ、はどうかな?」
完全に女の子に付ける名前で、そう名乗ることに抵抗はある。自分で思いつかなかった手前拒否できない。ここはその名前を受け入れるしかないだろう。
ただ、考えたそぶりがなかったことに疑問を抱く。まるで最初から決まっていたかのように口にされた名前。知り合いの名前とかだろうか。
「ミーナ……うん、わかった」
口に出してみると、妙に馴染む。
「よろしくね」
「……よろしく」
差し出された手を、躊躇はしたけれど握り返した。少し震えてしまうのは見逃してほしい。
「仕方ない、よね」
そう悲しそうな顔で言われるとこっちが悪いみたいに感じてしまうから、美少女はずるい。それでも恐怖が消えるわけではないが。
「動けそう?」
「立つのは、ちょっと厳しそう」
こうして座っているだけでも気持ち悪くて、そういえば貧血ってこんな感じだったなと思い出す。
「すぐに食べられるものってことでサンドイッチ買ってきたんだけど、食べれる?」
「たぶん」
影がうごめき、中から紙袋と水瓶、コップが出てくる。これは魔法なのだろうか。
「どういった仕組みなんですか?」
「ああ、これは吸血鬼の能力で、自らの血や陰に特殊な空間を作ってそこにしまえるの」
便利だけど吸血鬼限定なのか。もしかしたら、とも思ったけど人には覚えられないようなので残念だ。
「はい」
「ありがとう」
みずを受け取って落とさないように両手でしっかりと持ち、一気に飲み干す。全身に染みわたっていって生き返る気分だ。
コップを返してサンドイッチを受け取り、一口食べる。
「美味しい……」
見た目は日本でもよく見かけるサンドイッチなのに、今まで食べた中で一番美味しい。鮮度か、質の違いか。
「ソースついてるよ」
「え?」
「じっとして」
手が伸びてきてビクッとし、目を閉じる。けれど、口の横を指先で少し触っただけですぐ離れていった。
目を開ければレイアの指先にマヨネーズが付いていて、それを自分の口に持っていって舐めた。
「なっ!?」
顔が熱い。
「もう一つあるけど、食べる?」
こっちが恥ずかしさに悶えているのなんてお構いなしに、レイアは再び袋を取り出して中に入っていたサンドイッチを目の前に持ってくる。気を紛らわせるためにそれを受け取り、ゆっくり食べる。口が前より小さいから、いつもと同じ感じで食べたらさっきみたいになるんだな。
「ご馳走さま」
「……」
「何?」
食べてる間もずっと見られていて気まずい思いをしたのに、まだ見ている。
「ううん、可愛いなーと思って」
「あっそ」
全然嬉しくない。
また影を操って何かを取り出した。漂ってくる甘い香りに、なんだろうと思って首を傾げる。
「街の露店で売られてたクレープって言うの。初めて見るものだけど、美味しそうだったから」
差し出されたのはホイップクリームとバナナ、チョコソースを薄い生地で包んだ一番シンプルなもの。受け取って一口食べる。
「……」
口の中に広がるホイップとチョコソースの甘味にバナナと、薄く柔らかい生地が合わさって幸せな気分になる。
以前は甘いものがそこまで好きじゃなかったのに、性別が変わったから味覚も変わったのかな。
夢中で食べていると気が付いたらなくなっていた。また食べたいな。
「もう寝よっか」
窓の外を見てみると、すでに暗くなっている。結構な時間意識を失っていたようだ。
「それはいいんですけど、どこで寝ればいいんですか?」
「え、同じベッドだけど?」
「……マジで?」
恐怖と気恥ずかしさで苦しいものがある。触れることを躊躇うのに、大きなベッドとはいえ二人で寝れば当たることもある。その時にどうなるかがわからない。
「せめて別の部屋でお願いします」
「この部屋以外にベッドはないよ」
嘘だろ。こんなに広い家なのに、ベッドが一つしかないなんて。その時、部屋にあるソファーの存在を思い出す。
「じゃ、じゃあソファーで寝ますから」
「ダメ。まだ体調よくないんだから、ベッド使って。どうしてもっていうなら私がソファーで寝るから」
殺されかけた相手、助けられた相手。感謝しているのに恐怖もあって、どうしたらいいのかわからない。だから彼女の申し出は嬉しいけれど、申し訳ないと思ってしまう。
「それは申し訳ないです、けど……心の整理がまだ……」
「本当は少しでも早く慣れてほしいんだけど、無理にとは言わないよ」
なんで俺が罪悪感を抱かなきゃいけないのか。可愛いというのは本当にずるいと思う。
「うぅ……わかった」
「ありがとう!」
「ひっ! だ、抱き着かないで!」
視界が滲む。こんなことで泣いたことなんて今までなかったのに、それだけ怖いんだ。
「ひっく、うぅ……」
ダメだ。抑えきれない。一粒零れ落ちたらダムが決壊したかのように、次から次へと溢れて止まらなくなる。
「ご、ごめん。お願いだから泣かないで……」
「泣ぎ、たぐで泣いでるわけじゃない」
落ち着くのに時間がかかった。今日の出来事で一番恥ずかしい。
「落ち着いた?」
コク――。
小さく頷いて答える。こんな調子で本当に一緒に寝て大丈夫なのかと思うが、今更撤回なんて出来ない。
「寝てる間に変なことしないでくださいね」
「変なことって?」
「吸血とか、体に触れるとか……」
餌として攫われたのだから、血を吸われるのは仕方ない。ただ事前に心の準備をする時間が欲しいから、起きている間だけにしてもらいたい。触れるのはこちらからじゃないと、さっきと同じことになりそうだ。
「さすがに寝込みを襲いはしないよ。おやすみなさい」
「おやすみ」
出来る限りベッドの端に寄り、レイアに背を向けて横になる。彼女も近づいて来ようとはせず、距離を開けて横になってくれた。すぐに眠気が襲ってきて、気が付けば眠りに落ちていた。