2話 部屋を片付けたら襲われました
※3/28 20:50
加筆修正をしました。
なんて現実逃避までしてしまう。唯一綺麗な状態のベッドまで女声に抱えられたまま移動し、そっと寝かされる。
とりあえず気になったことを尋ねた。
「ここはどこですか?」
「私の家」
いやそうだけれどそうじゃなくて。聞きたいのはこの世界に関することやさっきの街、ここがどこにあるのか。
ただ、それよりも気になるのはこの部屋の惨状だ。どれだけ見ないように努力しても、常に視界に入ってくる。
「……これが人の住む家ですか?」
「うっ!」
大げさに反応する女性。自覚があるのならきれいにしてほしいが、それが出来ないからこの状況なんだろう。
この世界の情報よりも先に部屋を片付けたい。
「こ、これでも普段より片付いているのよ」
「は?」
女性の発言に自然と出た低い声に、自分で驚いて目を見開く。咄嗟に手のひらで口元を隠したが、その女性のような仕草は今まででしたことなどない。
「と、とりあえず……」
改めて部屋を見渡す。これで普段より片付いているだなんて、ありえない。これより酷い状況となると、脳裏に浮かぶのはテレビで見たゴミ屋敷ぐらいだが、さすがにそこまで行くことはないだろう。だからと言って人の住む環境から離れていることに違いないのだが。
「今すぐ、片付けましょうか?」
「いや、あの……」
おかしい。
「片付けましょう?」
「……はい」
怯えるべきは攫われた俺のほうであるべきなのに、なぜか女性のほうが怯えたように掃除を始めた。
その間にゴミや服を踏まないように気を付けて歩き、カーテンが閉められている窓に近づいて開け放ち、喚起する。ついでに今どこにいるのかを確認する。
真下を見れば窓が一つ見え、その下に地面。少し前に視線を向ければ、広い庭と屋敷を囲む高い塀が見え、その奥には広大な草原が広がっている。
その先には多くの建物とそれを囲っている大きな壁が見えた。少し離れてはいるが、街まで歩いて行くこともできる。ただ街までの道には見たこともない生物が何匹か見え、攻撃的な性格の場合生きてたどり着けるとは思えない。
上に窓はなく、左右を見れば右側のほうが部屋数が多く、玄関もそちらにある。
「あまり身を乗り出すと危ないよ」
ここから逃げ出すのは無理か。そう判断したところで後ろから女性に抱きしめられ、そっと窓から離される。振り返ればフードを外した女性が、心配そうな瞳で俺を見ていた。
とても整った容姿だとは思ったが、わずかに残る幼さから自分と同じ十八歳ほどに見える。だが、先の行動から人間でないことがわかっているため、外見通りの年齢とは限らない。
ずっと女性に支えられていたため気づけなかったが、互いが普通に立っていても少し見上げないと女性と目が合わない。男の時の自分よりも高い気がする。
「部屋の掃除は進みました?」
何を考えているのかなんて女声には気づかれているだろうが、それでも意識を逸らそうとする。どこかバツの悪そうな顔で頬を掻く女性を見て、ほとんど進んでいないのだろうとため息を溢す。
「残りは自分がやりま……」
掃除が苦手な人はどこにでもいるもので、体調も良くなってきたから残りは自分がやろうと部屋を確認し、絶句する。
片づけをしていたはずの部屋は何故か始める前よりも酷くなり、服をクローゼットにしまおうとしていたのだろう開けられたままの引き出しは、ただ服を乱雑に詰め込まれていた。
「あー、はい……何で悪化してるんですか?」
片付け始めてそこまで時間が経っていないため、終わっていないのは理解できるが悪化している理由がわからない。頭が痛くなった気がして押さえる。
「ちゃ、ちゃんと片付けようとしたんだけどね、なぜかどんどん悪化して……」
部屋を見たときからそこまで期待はしていなかった。だがここまで酷いとは思わず、これ以上彼女に任せていては例え日が変わろうと終わらない。体調も少し動くぐらいなら問題ない程度には落ち着き、残りは自分でやってしまおうと女性に声をかける。
「片付けますから退いてください」
「いや、それはさすがに悪いし……」
助けられたとはいえ突然首に噛みつき、更には誘拐しておいて何を言っているんだと、口にしたい気持ちを必死に抑え込む。こんな環境にずっと閉じ込められるぐらいなら、せめて部屋を綺麗にしたい。
「じゃあ元の場所に帰してくれるんですか?」
「無理」
予想はしていたが即答されるとは思っていなかった。仮に返してもらえても、今の恰好ではあまり往来を歩けず、お金もなければ仕事のあてもない。そもそもあの町に住んでいるわけでもないため、行くあてがない。
また変なのに襲われても困るし、血を吸われるときのあの感覚派怖いけれど、しばらくはここでこの世界のことを知るべきか。
「体調ももう落ち着いたので、ちょっと片付けるくらいなら問題ないですから」
「うぅっ……じゃあ何か欲しいものない?」
「さすがにこの恰好では動きづらいので衣服と、何か食べるものを……」
この恰好でも掃除できなくはないが、出来るならもう少し動きやすい服がほしい。
ついでに目が覚めてから何も口にしていないので、食べ物をお願いしたタイミングで小さくお腹が鳴る。
「ふふ、わかった。服、は後で一緒に買いに行ったほうがいいから、すぐに食べられるもの買ってくるね」
「え? あの、ちょっとま……」
戸惑い気味に出した声など聞こえていなかったのか、女性は「テレポート」と声に出して部屋から消えてしまった。
「い、いの?」
日本にいたころであればお笑い芸人がお間抜けな誘拐犯、という内容のネタでやってそうな流れに、実際になってみれば誘拐された側は戸惑いしか生まれないのだと理解した。
せっかくのチャンスではあるが、逃げ出そうにも今着ている服以外何も持たない身では、たとえ町に辿り着けても何もできない。
「今の自分でも着れそうな服があればいいんだけど」
そうは言ったものの、この中から汚れてなくて着れる服を探すのは大変だ。女生との身長差を考えると、下はどうにか出来ても上はかなり大きくなりそうだ。
「はぁ……」
立った一日でいろいろあった。まだ数時間しか経っていないのに、すでに半日経過しているように感じる。
何もない空間で死んだと告げられ、この世界に飛ばされて、性別が変わって、慰み者にされかけ、吸血鬼に噛まれ、攫われる。
神と名乗るおじさんにいろいろと言われたが、唯一理解できたのは魔王を倒せば願いを一つ叶えてもらえるということ。
「男に戻るか、元の世界に帰るか」
両方叶えてもらえればいいが、その場合は言葉選びに慎重にならなければならない。
女性に関してはよくわからない。初めましてと言えば苦しそうな表情を浮かべ、誘拐しておきながら拘束もせず部屋に一人残して街に行ってしまった。
「ま、そこまで悪い人じゃないのは確かか……」
一瞬で行きたいところに行けるみたいだし、そろそろ片付け始めないといけない。帰ってきて一切の変化がなかったら、疑うまでは行かなくとも疑問に思うだろう。
まずは服を一か所に集め、転がっているゴミ――ほとんどが瓶だ――を落ちていた紙袋に詰めていく。
「下着まで……! これはただの布、そう、ただの布……」
顔が熱い。片付けるのをやめようかとも思ったが、そしたらずっとこの汚い部屋のまま。そんなところで生活し続けるのは耐えられない。
あまり意識しないように、手に取った服を見ずに纏めている場所に置く。ゴミは紙袋と瓶だけで、食べ物とかのゴミは見当たらない。おかげで片付けがしやすい。
瓶に貼られていたラベルを見てみたが、やっぱり知らない文字で書かれていた。
「邪魔だな……」
長い髪が鬱陶しい。日本では真冬だったけれど、今いる場所は夏に近い気候みたいで、スウェットの上下はさすがに暑すぎる。
「切りたいな」
額に汗で張り付いた髪を指先で弄る。前髪はそこまで気にならないが、横や肩甲骨の下ぐらいまである後ろ髪が鬱陶しい。横が身を耳にかけても落ちてくるし、せめてゴムか何かでまとめられればいいけれど、見た感じなさそうだ。
「少しは綺麗になってきた」
思った通り、片付けてみればかなり広く、埋もれていたイスとテーブル、ソファも出てきた。
床は石畳の上に上質な絨毯が敷かれている。掃除機を掛けたりクリーニングに出すのが日本にいたときの掃除方法だが、この世界ではどうしているのだろうか。
まだ女性は帰ってこないようなので、まだまだ残っているゴミを纏めていく。
「いたっ」
割れている破片を拾う時に指が切れた。指先から手のひらへとゆっくり血が流れ、手首を過ぎて腕へと流れる。その間拭けるものがないか部屋の中を見渡すも、手ごろなものが見当たらない。
「水道とかどこかにないかな?」
扉を開けて部屋から出てみる。正面には窓があり、左右を見てみるとどちらも長い廊下といくつかの扉があった。
「さすがに廊下まで汚くはないか」
少し埃っぽいが、部屋みたいに物が散乱しているわけじゃない。これだけ部屋があればどこかにキッチンがあるだろう。
「ただいま」
後ろから聞こえる声に、必ずこの部屋に魔法らしき力で移動しているようだが、今はどうでもいい。
この状況は、果たして女声からどう見えているのだろうか。逃げ出そうとしているように見えるのだろう。
「どこに行こうとしてるのかな?」
手を掴まれ、油を差し忘れたブリキのように固まる。ゆっくりと振り返る。笑顔だけど、そこに見えるのは怒りに近い何か。正直に話せばいいのだから、怯える必要なんてどこにもない。
「この匂い……指、怪我してる」
怪我したことを伝えようと口を開きかけたところで、女性が先に気付いた。
「え? ああ、さっき瓶の破片で切って」
「いい匂い」
――あ、まずい。
そう思った時には遅く、床に押し倒されて馬乗りになり、抵抗できないように両手を押さえつけられる。
ローブを纏っているために体格はわかりづらいが、袖口からちらりと見える細腕のどこにこんな力があるというのか。吸血鬼は人間を超えた膂力を持っているというのは本当のようだ。
「は、放せ!」
「無理、我慢できない」
瞳が紅く怪しい輝きを放つ。
「ひっ……」
情けない声だと、自分でも思う。けれど誰だって同じ状況に陥ったら恐怖を抱くだろう。
「んっ……」
首筋に吐息がかかる。くすぐったくて身動ぎしようにも、それすら許してもらえない。もう抵抗なんて無意味だ。諦めて全身の力を抜くと牙が触れ、一気に皮膚を貫く。
「ふぁ、ん……なに、これぇ……」
痛みはない。けれど、さっきはなかった蕩けるような幸福感に戸惑いを隠せない。
――知らない、こんなの知らない!
逃げ出したくても、両腕はがっちりと拘束されている。足を動かしても、上に乗った女性を退かすことはできない。
『大人しくして』
女性が一言喋っただけで、自由な足に力が入らなくなる。
だんだんと指先の感覚がなくなり、意識が遠のいていく。
――あ、死ぬ。
血を吸われすぎたんだろう。俺はそのまま意識を手放した。