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Ⅲ 昼、乙女像の謎



 月影に立つその人を。その笑顔を。

 そのとき確かに、興味深い、と思ったのだ。


 もう一度逢ってみたいと、思ったのだ。



     *



「さわーにゃん、さわーぁにゃん」

 なまの情報を得るために必要なものは、いつの時代も『足』である。

 世には安楽椅子探偵なんていうのもいるが、あれだって代わりに現場を走り回る助手がいてこそだ。そして探偵テリィは、事務所でのんびり助手の報告を待っていられるような性格をしてはいなかった。

 と、いうわけで。

 テリィとワトソンは肩を並べて、第四広場に続く道を歩く。空は青く澄み渡っており、散歩にはいい天気だ。時計台の短針は十一の少し前を、長針は十を過ぎたあたりを指している。

 ワトソンはあたりを窺いながら道を行き、テリィは。

「さわーにゃん、さわーぁにゃん、かいとうのー、おぉー、さわぁーにゃぁーん」

「センセ、ちょっと静かに」

「さわーぁにゃん、さわーぁにゃん、かいとうの――もご」

 いくら言っても即興の恥ずかしい歌をうるさく歌うその口に、屋台のチョコレートマフィンを鷲掴みして突っ込むとようやく静かになった。

 代金を支払っていると、一口めをようやく咀嚼したテリィが、ワトソンの服の裾を引いた。

「ワトソン、ワトソン」

「なんですか、センセ」

「これ、おいしいわ」

「それはよかった」

「あと二個買ってちょうだい。おやつにするから」

「はいはい」

 料金を追加して、自分の分も含め、三つ包んでくれるように頼む。「おまけだよ」と、もう一つ追加で包んでくれた。

 紙袋の中から一つ、ナッツのマフィンを取り出して囓りながら改めて雇い主を見ると、彼女はマフィンの欠片を求めてやって来た大量の鳩に群がられて当惑していた。おたおた、おたおたと踊るようなテリィを眺め続けるのも楽しいが、用事はさっさと終わらせたい。四番広場をぐるりと見渡し、不審な影がないことを確認してから、ついにはマフィンの本体まで鳩に奪われた雇い主に向け、声をかけた。

「う……うう。ううう。私の、私のマフィン」

「センセ。何かヒントになりそうなものはありましたか?」

 からの手を見つめながらほろほろほろほろ泣く彼女だったが、ワトソンの言葉で我に返ったようだった。はっと顔を上げると、「そうだわそれよ!」と叫んで噴水に駆け寄った。

 ポケットから例の『予告状』を取り出す。『春の十五日、地を求める乙女像が涙に姿を隠すとき。』この乙女像とは、おそらく第四広場の噴水の中、中央に立つ乙女像のことである。髪の長い女性の石像が、空を見上げ、両腕を天に掲げている。

 テリィは像を見ながら、顎に手を当てて、むむ、と唸った。

「姿を隠すとき……涙って、噴水のことかしら」

「噴水の水じゃ、姿は隠せないでしょう」

 像はそこそこ大きい。噴水は名前通り水を噴き出すが、それは常にというわけではなく、今は静かな水面をあらわにしている。噴水が噴き出すのは毎日一度、昼の十二時で、噴き出す水の高さは乙女像のおおよそ膝ほどの高さまでしかないから、これで『姿を隠』せることはないだろう。水を噴き出すと同時、発条ぜんまい仕掛けの小人が五人ほどせり上がってきて、水面を蹴るようにしてぱしゃぱしゃぱしゃぱしゃ踊るのだが、小人のサイズでも像を隠すことは不可能だ。

 噴水の横には銀のパネルがあって、『乙女像』という作品名と、その制作者の名前が書かれている。そこそこ有名な芸術家の作品で、ワトソンは初めて見たとき「さすがは大陸統都だ」といたく感心したものだったが、残念ながら街の住人はそれほど興味がないらしい。以前、雑談としてテリィに話してみたところ「ええ、あれってそんないいものだったの!」と驚いていた。

 テリィはしばらくパネルを見ていたが、少しあたりを見回して――露店の一軒の前で座り込んだ。鮮やかなシートの上に、手作りのポーチや巾着、髪飾りを並べている。

「ねぇねぇ、小物屋さん」

「いらっしゃい、テリィちゃん。どうかした?」

「聞きたいことがあるんだけど――あら、このピン、かわいい!」

「センセ。テリシラット先生」

 かごに入ったヘアピンを取り上げて目をきらきらさせるテリィを、敢えてフルネームで呼んだ。放っておくとすぐに話が逸れる。彼女ははっと顔を上げ、名残惜しそうにヘアピンをかごに戻すと、改めて尋ねた。

「この乙女像って、何か仕掛けとかあるのかしら。聞いたことある?」

「仕掛け?」

「うん。水が出るとか、そういうの以外に」

 テリィの『聞き込み』に、小物屋はくすっと笑った。

「何かの捜査かい?」

「う、ううん。そういうのじゃないんだけど」

「危ないことはしないようにね。……仕掛けかぁ、特別聞いたことないけど。何かあるのかな? 菓子屋は聞いたことある?」

「うんにゃあ、うちも知らないね。最近工事をしたって話も聞かないし」

「むむ。謎が深まるわね」

 眉を寄せるテリィ。――本人はいたく真剣なようだが、どうもどこか滑稽に見える。

 マフィンを囓るワトソンの横で、彼女は乙女像を眺めた後、銀のパネルを穴が空くほど見つめる。パネルの下、裏に何もないことを確認して、また乙女像を見上げ、今度は自分の胸に手を当てる。乙女像の胸元と自分の胸元を何度も交互に見て、やがてため息――

「センセ。何かわかりましたか?」

「はっ」

 思考が予告状から逸れているなと気づいて、声をかける。彼女は慌てて顎に手を当て、予告状に関して考えているふりをした。むむむ、とわざとらしく唸る。

「そ、そうね……私が見たところ、これといって、広場に手がかりはなさそうだわ」

「ま、そうですね」

 ワトソン自身もぐるりと広場を見渡すが、特別変わったことはない。散歩中の市民や露店の店員が、微笑ましいものを見る目で「今日もテリィちゃんは元気ねぇ」などと言っていることも含めて、良くも悪くも『いつも通り』なのである。たちの悪い愉快犯が作った、わけのわからない予告状の道具に使われているなんて、まったくもって考えられないくらいに。

 不出来な主の代わりに、ワトソンは考える。予告状、いったいあれはどういう意味なのだろう――

「ところで、ワトソン」

「何です?」

 名を呼ばれて、思考から浮上する。主を見ると、彼女は上目遣いで彼を見ていた。

 ……いや。正確には、

「ナッツのマフィンも、おいしそうね……?」

「薄給でこき使ってるくせに、メシまでたからないでください。つまるところ――」

 物欲しそうにしているテリィを一刀両断、残りのマフィンを口の中に。ああ、という彼女の悲壮な声は無視して、ワトソンはマフィンを咀嚼すると告げた。「ここに手がかりは、ないようですね」




 手がかりを探し、引き続き散歩――もとい、捜査。

 第四広場を離れて歩いていると、こーん、ころーん、と音がした。街じゅうに響き渡るそれは、時計台クロック・タワー時鐘じしょうの音だ。腕時計を見ると、時刻は確かに十二を示している。

「むむ」

「ん?」

 時計を改めるワトソンの隣で、テリィがなぜか、自身の腹に手を当てて唸った。

 具合が良くないのだろうか? あのあと彼女は、茶請けとして買ったはずのマフィンも平らげてしまった。鳩に取られたのが悔しかったようだが、やはりマフィン三つ半は食い過ぎだったのでは……とワトソンが様子を窺っていると、不意にテリィが言った。

「お腹が空いたわね」

 まだ食うつもりか。

 単に空腹だったらしい。テリィはきょろきょろ見回すと、すぐさま一軒のカフェに飛び込んでいった。

 彼女はよく食う体質をしているが、はたして食ったものはいったいどこに行くのか、あまり太らない。ワトソンの価値観からするとテリィの体つきは細い、というか『薄い』ように思う。身長も体重も人並み外れていると言うことはないどころか平均よりはやや小さい方だろう。それだけ食ったところで胸や尻が大きいわけでもない――本人は気にしているようだが。

 店内に飛び込み、顔見知りのウェイトレスに声を掛けてオープンスペースの一席を取ると、彼女は「ワトソン!」と元気よく手を振った。大声を出さなくともわかっている。軽く手を上げて返事に変えると、同じパラソルの椅子に腰かける。

「サンドイッチセット、二人分お願いしてきたからね」

「……え、俺の分もですか?」

「経費で落とすから大丈夫よ」

 気にしているのは懐ではなく腹だ。先ほどのマフィンがまだ残っているのだが……

「ワトソンはもっと食べなきゃ駄目よ。体に悪いわよ」

「俺は食が細いんですって……」

 彼女と違ってワトソンは、最悪、何日か食わなくても生きられる。手元の食料で自身が何日くらい生きられるか、といったこともわかるし、水だけ飲んで何日生きられるかというのも試したことがある。しかしそんな生活は、きっと彼女には耐えられないだろう。探偵――他人の秘匿事項を嗅ぎつけ、暴き立て、メシの種とする業者を自称しながら、また開業しながら、彼女はそういう、極限状態というものを知らない。

 だからワトソンは常々不思議に思っている。よくもそれで、探偵なんてものをやろうと思うな、と。

 ――助手がそんなことを考えていることに気づいているのかいないのか、当の探偵本人は、運ばれてきたサンドイッチをおいしそうにぱくぱく食べている。

「このフルーツサンドおいしいわよ、食べた方がいいわ。果物はリアフィアット市からの直送ですって」

「はぁ……」

 気づいていないだろう。

 目の前に置かれた皿から生ハムサンドを取り、もそもそ囓りながらワトソンはあたりを見回す。特に不審な人影は見当たらない……が、何もわからないままだ。予告状の意味も、目的も……

「一度、まとめましょう」

 テリィがポケットから、手帳を取りだした。丸みを帯びたひよこの絵がたくさん描かれている、キャラクターもののそれには、テリィの手書きで『調査ノート』と描かれている。彼女はノートを開くと、まず、一番上の行に『春の十三日 怪盗サワァニャンについて 現在まだわからないこと』と書き。

「ええと、わからないことは……」

 少し、考えて。

 ……テリィはその下に、『全部』と書いた。

「書き出そうとした意味って何なんですかね」

「仕方ないじゃない、何もわかってないんだものっ」

 唇を尖らせて拗ねる――そしてサンドイッチを食べる――テリィ。まったく、とため息をついて、代わりに現状を整理していくことにする。

「街に変わったことは……特になさそうですね」

「マフィンをおまけしてもらったくらいね」

 それを特記事項とするのか。

 しかし彼女には重要なことらしい。『第四広場のお店で、マフィンを一つおまけしてもらった(おいしい)』と書いた。

「他には?」

「そうですねぇ……ま、順番に考えていくとして、まずは予告状が謎ですよね」

「そうね。どういう意味なのかしら、この文章」

「いや」

 予告上を取り出し、文面をじっと見つめるテリィ。しかしワトソンはかぶりを振った。

「文章の意味というか、そもそも、存在自体が謎です」

「どういうこと?」

「……ま、順番に整理していきましょうか。まずは、予告状の『文章の』謎から」

 ワトソンはポケットから万年筆を取り出すと、テリィの手帳に書きつけた。文面は覚えている、『春の十五日、地を求める乙女像が涙に姿を隠すとき。数多の手を回し続ける彼の者の下で、お目にかかりたくございます。怪盗サワァニャン』。何度見返しても巫山戯ふざけた文章だ。

 しかし。書き出して、ふと思う。

「地を求める乙女像、なんですね」

「え?」

「あの乙女像……第四広場の噴水にある乙女像のことを示したいのなら、ただ『乙女像』と書けばいいだけの話でしょう。なのにわざわざ『地を求める』と頭につけたのなら」

「サワァニャンが予告で書いたのは、あの乙女像じゃないってこと?」

「どうでしょう。とはいえその文言に、何らかの意味があるのは間違いないでしょうね」

 他にも、涙に姿を隠すとはどういうことか。数多の手とは何のことか。彼の者とは誰、あるいは何を示すのか――文面の謎と言ったらそのあたりだろうが、いずれもしっくりいく答えがまだ出ない。ワトソンはサンドイッチを置き、テーブルに肘をついて、無言で頭を動かす。

 やがて、『地を求める』の文章にうんうん唸っていたテリィが顔を上げた。

「それで、存在の謎って?」

「は?」

 思考の最中に声をかけられて、即座に答えることができなかった。言われるまでもなく、すぐに自分の吐いた言葉であったと思い出すけれど、彼女が補足してくれる。

「さっき言ったでしょう。存在自体にも謎がある、って。どういうこと?」

「うーん……」

 どこから説明したものか、唸る間にも「ねぇ、ねぇ。どういうことなの?」と説明をせがむテリィ。これではどちらが探偵で、どちらが探偵助手かわからない。しかし、もう短くない付き合いである、ワトソンは気づいていた――彼女に頭脳労働を求めるのは酷だいうことに。

「いくつかあるんですけど。まず、なぜ犯行日を明後日の昼にしたのか、っていうのがあります。どうしてこの日に限るんでしょう? 春の十五日に何か、特別な意味があるんでしょうか。この日でないと、できないことが何かあるんでしょうか」

「ふむ」

「もう一つ。――なぜこの犯人は、この無礼極まりない『予告状』を、警察ではなくテリシラット探偵事務所のポストに放り込んだのか」

「それは、私が怪盗サワァニャンのライバルとなり得る名探偵だからと思うけど」

「…………………『仮に』『百歩譲って』そうだったとしても。不確実過ぎませんか? もしあのときセンセに気づかれなかったら、俺は、なんだこのいたずらと思って捨てていたか、もしくは警察に渡していましたよ」

「むむ。確かにそうね」

 そしてさらに、もう一つ。

 大きな謎がある。

「……そもそも、この予告状――」

「盛り上がっているところ、失礼するわね」

 不意にテーブルに落ちた、影と、声。顔を上げると、にっこりと笑うウェイトレスの姿があった。テリィの顔見知り、あるいは友達。

「どうしたの、エレス。うるさかった?」

「いいえ、そうじゃなくて」

 彼女はかぶりを振ってテリィの言葉を否定すると、持っていた盆から皿をテリィとワトソンの前に一枚ずつ、置いた。皿の上に載っていたのは、

「当店のオリジナルケーキです。よかったらどうぞ」

「え、頼んでないわよ?」

「うふふ、サービスよ。だって――」

 笑顔は途切れない。けれど。

 なぜだろう。その一瞬に、何か言葉を飲み込んだようでもあった。何か悪だくみをしているというわけではないようだが――エレスはこう言った。

「実は、午後ね、お手伝いをお願いしたいの。もしお二人のご予定が大丈夫なら、だけど」

「お手伝い?」

「うん、ちょっと人手が足りなくて……テリィ、うちの制服、かわいいから一度着てみたいって言ってたじゃない? お貸しできるんだけど」

「ほんと!?」

「ええ」

 ぱっと笑顔を輝かせるテリィに、微笑んで返すエレス。

 予告状のことはいいのかと思うが、明らかに喜ぶテリィを止めるのもはばかられる。それに――こちらが重要だ――彼女がいないほうが、自由だし、身軽だ。

 それなら自分は夜まで一人であちこち聞き込みを――と言いかけた、が。

 残念ながら、エレスがいらない気を利かせてくれた。

男手おとこでも足りていないから、ワトソンさんもご一緒に。ウェイターの制服もあるし」

「え、いや俺は――」

「ワトソン、やろう! カフェの店員さん、きっと楽しいわよ!」

「ええー……」

 嫌がるそぶりを前面に押し出してみるが、こうなったテリィは人の意見を聞いたりしない。彼女はサンドイッチとケーキを食べ終えるやいなや席を立ちあがり、「さぁお仕事よ、ワトソン!」と彼の腕を引いて店内に入っていく。

 まったく。深いため息をつく、と。

 エレスが片目を閉じ、テリィには聞き取れない小さな声で「ごめんなさいね、ワトソンさん」と囁いた。欠片でも申し訳ないと思うなら、そもそも自分のいるところで、彼女にそんな提案をしないでほしかった。両手の指先をちょんと合わせて見せるエレスへ、ワトソンは、眉をひそめることで答えとしたが――

 ……なぜだろう。


 ごめんなさいね、ワトソンさん。


 ただの謝罪であるはずのその言葉が、妙に、頭に引っかかった。



     *



 喫茶店のアルバイトは、夜まで続いた。










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