武田の苦悩
勉強する時間がないだの、バイトする時間がないだの、いろいろと現状に不満を抱いているが、その反面、享楽のために割く時間はいくらでもある。決して裕福でな両親の元に生まれ、都会に進学し、仕送りを見込めない学生としては、バイトと勉学に時間を割くべきではある。しかし、武田は、勉強、金稼ぎという二大学生苦の上に、サークルを2つも掛け持ちしている。さらには、人間の悲しい性として、嬉々として遊びに興じている時は、時間を忘れるもので、明らかに、本文にあてる時間を圧迫している。その1つが、ボランティアサークルだ。一口にボランティアといっても様ざまある。海外の貧困国に出向き、日本語授業と名を売って、先進国としての偽善を見せびらかす、海外ボランティア活動。あるいは、よりミクロに、商店街等で清掃活動を行う、地元密着型のサークル。武田が所属しているのは、彼女の経済的状況も鑑みて、地元密着型のサークルだ。と言っても、別に毎週清掃活動をしているわけでもなければ、大きいことを企画しているわけでもない。つまりは、暇な学生が、時間の都合のつく時集まって、暇をつぶす為の集まり。それだけだと、勉学を怠っていることへのすずめの涙ほどの背徳感に苛まれるので、清掃活動などをして、自己満足に耽る、そういう集まりだ。
その日も、特段何か用があってわけでもなく、LINEで飲み仲間を募ったところ集まった、3回と2回生の8人で大衆居酒屋で、一方的な愚痴を肴に、酒を飲んでいた。
「ねぇあれ知ってるー?4Ky教室でヤってたって話ー」
「あぁTwitterでながれてましたよねー。私わりとあの教室使ってて、まじきもい」
「ホテルKyとか言われてて、他の学校の子からも笑われるし」
「ほんと、バカな人がいるもんだよなー」
世間からすると、大学生がいかに戯け者でとんまかを再認識する程度のことでも、当の本人からすると、世界を揺るがす一大事らしい。
「そいつらがいろんなとこで、ヤってたと思うと、生理的に無理」
「それはないんじゃない?さすがに」
「でも、ありえるくない?だって冷静に考えて、今までこんなのことがなかったなんて思えないっしょ。 みんな溜まってるんだって」
「まじきもい。学校辞めようかな」
「なんでそうなるの」
おそらく、一週間も経てばなかったことになる、しかし彼ら彼女らにとっては、世界がひっくり返るぐらいに重要なことを話している間、いつもなら、その話の輪に入る武田だが、今日はどことなく目が虚ろで、普段から喧騒の中でバイトしている学生の影もない。そんな彼女の雰囲気を察してか、崔はいつもと変わらない、トゲのない口調で話しかける。
「どうしたの、今日?」
「別になにもないよ」
「いや、だってあんまり話さないじゃん」
「まぁあんまし気がのらないだけ」
虚空を眺めながら、捉えようのない何かに怯える武田に、ガヤの連中が無慈悲に声をかける。
「えぇーなにそれ、柚木がのらないとか意外すぎー」
「なに、男にでも振られたんですかー?」
「あぁ、先輩男運悪いですもんね」
酒も入り、現実と乖離し出している彼ら彼女らに、武田を労わる能力はもはや残っていない。むしろ、 今まだもそんな力はなかったように、一銭にもならない無駄話を、武田の閉ざされた鼓膜に叩き込む。 しかし、崔だけはその異質な雰囲気に気づき、そしてその原因も捉えていた。
「就活のこと?」
同じ身分で、共通の悩みといえばこれしかない。
「この前のガイダンスで、現実見せられた感じでしょ?」
男でありながら才色兼備、高校の時にはインターハイに出場するほどにテニスができ、文系ながら数学受験。しかも、周りは毎日夜遅くまで、予備校通いなのに、彼は週に何回か、授業を受けるだけ。それでも、人より優れた結果を残す。いわゆる学年に一人入る、できるやつだ。彼の周りにはいつも誰かがいて、文化祭とかでも必ず中心にいる。今でも3年間付き合っている彼女がおり、しかし彼に好意を抱く人が一人ではない。そんな人心掌握術を生得的に持っている彼だからこそ、武田の異変に気づくことができる。そんな彼を、決して武田は嫌いではない。むしろ好きか嫌いでいうと好きだ。
「そう。うち奨学金を結構もらってて、就活しても返せるか不安で」
「あぁ、ガイダンスでも奨学金滞納が増えてるって問題になってたよね」
「だからいいとこに就職しないといけないんだけど、私学生時代の経験でかけることはくて。単位ギリギリだし、キャバ嬢やってましたなんて、言えないし」
「でもまぁ、おっさんと話すのには慣れてるんじゃない?それって結構プラスだよ」
「話すったって、お客さんの愚痴を聞くだけだよ。自分のネタ話すわけじゃないからさ」
「サークルとかは?ほら別のやつ」
「あれもただの飲みサーだから。ほんと社会って不平等だと思う」
おそらく数多くの大学生が抱えているだろう悩みを、障害物によって流れをせき止められた大河のように、閉塞感を存分に込めて主張する。
社会は不平等だ。親が金持ちなら奨学金はもらわなくていいどろうし、一人暮らしをしても、十分な仕送りももらえるだろう。バイトしている人はたくさんいるけど、それはただの小遣い稼ぎなのかもしれない。別に社会にとって小遣い稼ぎだろうが、生活のためだろうか、バイトをしているのは同じことで、後者が特別な待遇を受けるわけでもない。私のように困窮して、将来に一抹の希望も抱けなく、自由に謳歌するはずだった学生生活が、それゆえに自らの錨とおなり、人生の歩みを阻害してくる。いい仕事に就きた、世界を旅して回りたいと言った、将来への夢を抱き、そして叶えるために大学が、しかしそれゆえに自分の首を絞めてくる。授業料は一年で約120万、4年で480万。さらには、到底バイトだけで生活できないので、日本学生支援機構からの480万以外に、大学独自の返済義務有りの奨学金が_年20万の、4年で80万。計560万の借金を背負い、なんの担保もなく社会に放り出される。世界を旅するどころではない。学生生活を充実できなかったために、給料の良い企業に入れる見込みも薄いのではないか。そうなると、奨学金の返済が滞り、給料差し押さえ。挙げ句の果てには、仕事を辞める羽目になり、バイト暮らしに逆戻り。しかし、返済と利息に追われ、自己破綻、生活保護、風俗への身売り。
きっとこんなことは、金持ちのブルジョワ坊ちゃん達も、新聞やニュースで知っているところだろう。 しかし、彼ら彼女らあくまで他人事で、事実として認識している程度。聞いたその瞬間は覚えているだろうが、5分後には頭のアーカイブへと移動されている。対して、私は切実な実感を持ってして、体験している。借金苦、生活苦、風俗、自己破産、まだ経験していないはずのことが、自分の血となり肉となり、すでに自分の体内に滞留している。
今のままでは、近々訪れるだろう世界の終わりに、一筋の希望を見出してくれたのは、他でもない崔だった。
「じゃよかったら今度、就活会議っていうのを、学部の友達とやるんだけど一緒にくる?メンバーが偏らないように、それぞれ友達に声掛け合って、新しくチーム作るんだけど、どう?」
「なにすんの、それ? 就活会議ってダサくない?」
「まぁ、ネーミングセンセはおいといて。とりあえす、今だとエントリーシートとか業界研究とか。仲間内でやるのもいんだけど、全然知らないやつらとしてみるのも、いいのかなぁと。」
正直めんどうなところはある。自分はいわゆるDQNに近い分類だし、友人も化粧して、髪をカールさせて、黒板に刺せそうな鋭いピンヒールを履いている人ばかりだ。別に崔が嫌いなわけではないけども、人より先に率先して行動して、準備をしていない人をスタート地点にも立ててないとバカにする、いわゆる意識高い系と一緒にやって、続くものだろうか。うっとうしくなって、すぐにリタイアしそうな気がしてならない。
「どうせ、今もなにしていいのかわからん状態でしょう?だったら、合わなくてもいいから、とりあえずやってみない?どうせ無駄に過ごすなら、なにもしないよりかは、嫌でも初めてみるほうがいいと思うけど。」
察しのよさだけは頭一つ抜けている崔が、心を見透かしたように、武田の堕落していた部分を言い当てる。こう言われてしまってはぐうの音も出ない。自分の弱い部分を簡単に見透かされたことへの不快感と、一方で、孤児に優しく手を差し伸べるマザーテレサのような優しさに感謝しつつ、
「わかった、やる。私も混ぜて。」
「うん、ありがとう。」
武田のなかでは、まだなにもつかめていないし、蜃気楼のかかる砂漠を闊歩しているように、漠然としている。ただ、喜ぶべきと、蜃気楼によって幻覚をように魅せられていたオアシスが、現実のものとわかり、足を進めれば到達できるような気がしている。