(5)
「カナメン! 頑張れーっす!」
おいセリィ。さっきからそのおかしな俺のあだ名は! どうにかならんのか……。
クレマから借りた演習場に一同は集まっていた。
スレイナ、他の歌戦姫の面々は演習場につけられている観客室にいるのが見える。
演習場に立っているのは俺とクリスと彼女の信奉者百人だ。結構腕の立ちそうなのを呼んできたな。というのが最初の感想だ。
「…………さぁ、ルールはどうするのよ」
「そんなものはいらんだろ? とりあえず組手でいいんだから」
「はぁ⁉ あんたどこまで私を舐めてるの!」
ん~、どうやら怒らせてしまったらしい。だってしょうがないだろう。引き籠りなんだから。引き籠りにコミュニケーション能力を求めるのはそもそも間違っているのだ。
「あとで吠え面見せても知らないんだからね!」
そういうとクリスは後方へと下がっていく。
「おい! あんちゃん! ウチの歌戦姫になれなれしくしてくれてんなぁ!」
すると、信奉者の一人が俺の前へと来てメンチを切る。男の顔が近くにあってもうれしくないんだが。それにあれのどこを見れば、なれなれしくしているように見えるんだ?
「タダで済むとは思うなよ!」
すると、クリスが歌い始める。同時に、いかつい顔の男が俺に拳を振り下ろしてきた。
まったく、最近の若者は切れやすくて困る!
俺はその拳を寸前で回避する。俺に当たると思っていたそいつは案の定よろめく。俺はすかさず相手の背後から足元を払う。相手は上向きに倒れる。
俺はそれに合わせ、自分の全体重を乗せ、掌底を顔面に放つ。
相手はよろめいて体制も悪い為、ガードすることができずにそれをまともに受ける。
意識を刈り取るのは簡単だった。
加護がついてるから意識を刈り取られただけでたいしたケガはないだろう。
「まったく、無駄な動きが多すぎる」
「隊長――‼」
え、コイツが隊長だったの? 一般的な噛ませ犬だと思っていた。
「隊長の敵だ! みんな敵をとるんだー‼」
他にいた奴らが一斉に俺の方へと向かってきた。でも特段焦ることはなかった。
むしろ、血が踊った。昔のあの感覚がよみがえってくる。
今向かってくる奴等の数倍も強い奴が俺一人を取り囲んでいたあの八年前の日々。
俺に飛び込んできた奴の拳を交わし、下あごに一発掌底をくらわした後に、殴ってきた力をうまく利用し、もう一人の飛んできた奴に投げつける。
八年前は何もかも面白かった。目の前にあったすべての物事が輝いて見れた。
少しできた混乱を利用して俺は素早く、一人の背後へとまわり首の後ろに手刀を素早く力強くたたきおろし、始末する。
八年前と比べると、同じ行為でもすべてが違っていた。俺自身があの時と変わりすぎている。あの時と何もかもが違っている。
同時に飛び込んできた二人をうまく利用し、正面衝突させ、相打ちにさせる。
あの時の俺がみれば今の俺をどう思うだろうか。
飛び道具を利用しようとした者を視認すると俺は素早く間合いを詰め、その道具を持つ腕を強打したあと、足で体を蹴り飛ばす。
怒るだろうか。憐れむだろうか。悲しむだろうか。
でもあのころの自分は八年前のあの時に死んでしまったため、もうそれは分かりようがない。分かりようがないんだ。
「ほら、来いよ」
自分自身への怒りを体を動かすことでごまかす。そうするしかないからだ。
「て、てめぇらぁ! 囲め、囲んで袋叩きだ」
馬鹿が。それを口に出してどうする。敵の目の前で。
俺は声を上げた奴のところへ飛ぶ。二撃で沈めた後、集団はさらに混乱する。集団をつぶすのは簡単だ。頭を崩せばいい。そして、頭となり得る存在さえも刈り取ればいい。
そうするだけで残った手足は簡単に崩壊し、つぶしやすくなる。
もうそこからは早かった。
混乱して慌てふためく相手を一人一人刈り取っていく。
数十分でその演習場で立っているのは、俺とクリスの二人だけになった。あとは死屍累々と積み重なった信奉者だけだ。あたりは静寂に包まれていた。
「さて、まだやるか?」
クリスは目の前の光景を認めたくはないのだろう。
欠陥品などと言われた男なんぞに百人の信奉者をぶつけたのに勝つことができなかった。その事実はプライドが高い奴には受け入れられないだろう。
「私は、私はぁあ!」
クリスはうつむいたまま言葉を発していた。それはどこか暗い色を持っていた。しかし、それはとても力強い言葉だった。
「負けるわけにはいかないのよぉ!」
彼女は近くに落ちていた模造刀を拾い上げる。おそらく、俺の殴り飛ばした誰かが持っていたものあろう。
歌戦姫抗争の勝敗は相手歌戦姫のマイクをとれば勝ち、その逆であれば負け。そういう勝敗の決し方になっているため、歌戦姫自身がこのように戦う場合も少なからずある。
「はぁあぁぁあああ!」
素早い横一閃を放つ。迷いのない一閃だった。それだけでも訓練されていると分かる。
俺は右足を一歩引いて避ける。すかさず、連撃を放ってくる。俺は足でさばいてかわす。
気迫の入った悪くない攻撃だ。絶対に負けたくないと思って振っている攻撃だ。
正直、簡単に武器を奪い取り、勝つことは簡単だ。
でも、俺はこれで計りたかった。なぜ彼女がここまで勝ちたいと思うのか。
「くそぉ、どうしてっ! あたんないのよ!」
鬼気迫るものだとさえ感じてしまう。
俺は負けても学べるものがあればそれでいいと思っている。
負けたからといって死ぬわけではないのだから。
だが、彼女にはどうしても負けてはならない理由があるのかもしれない。
しかし、だからと言ってわざと負けていい理由にはならない。
俺はクリスの次の連撃の空白の時間に大きく一歩前へ踏み出す。そして間合いをゼロにしたところで彼女の模造刀を持つ手の手首をつかむ。
クリスは声を上げ、持っていた模造刀を落としてしまう。金属音があたりに響き渡る。
「はなしなさい!」
もう勝負は決まったといってもいいのだが、彼女は決してあきらめなかった。
俺の手を振りほどこうと暴れる。
「おい、もう勝負は決まって、ツッ!」
その時だった。俺はクリスの信奉者の一人が俺の足首を掴んだのが見えた。あまりにいきなりの事で俺も対処ができなかった。
そして、その信奉者は最後の力を振り絞り、勢いよく足を引っ張った。
俺は盛大に前のめりに体制を崩す。もちろん自分の目の前にはクリスがいるわけで。
「ちょっ! とぉ!」
クリスを巻き込んで盛大にこける。
俺は倒れた勢いで痛みで少し言葉が詰まる。いきなり視界が揺れたので、自分がどうなったのかもよくわかっていなかった。
もうクリスの手も放してしまっていたので俺は足で掴んできた手を振りほどいて、地面に手をついて立ち上がろうとする。その時だった。
手に生暖かく柔らかい感触があった。
わかりたくはないが、わかってしまった。引きこもりの俺だからわかったのかもしれない。なんというか、マンガとかでよくある展開だ。とくにラブコメもの、それもハーレムものに多いかな。
今までは二次元の出来事だから、実際には起こり得ないだろうと思っていた。
「ちよっ、ちょっと‼」
もちろん、その正体の主は倒れる前に俺の前にいるクリスなわけで……。
…………いわゆる、ラッキースケベ。
主人公補正もない俺がこんなことを引き起こしてしまうなんて、不幸の何物でもない。
次に何が起こるかも、もう読めてしまっていた。
「何、触ってんのよぉぉおおおお!」
顔を真っ赤にしたクリスが、怒りにまかせて平手を飛ばしてきた。
正直言えば避けることは簡単だ。怒りにまかせた一撃なんて見え透いている。
でも、俺は静かにタダ目を閉じた。
ここは素直に受け止めるしかないだろう。紳士として。たとえ俺に非がなくとも。
目の前に、手が迫ってきた。
ああ、こういうのって本当にスローモーションに見えるんだな。
俺は歯を食いしばる。刹那の時間にやってくる、その衝撃に備えて。
それは嘘偽りなく予想通りにやってきた。
俺の目の前に火花が散る。
ああ、だだ、ほんとに何とも言えないくらい柔らかいんだな……。