夕餉、そして戦(うた)う理由
「なんか、これが男の人の部屋っすか! なんか新鮮っすね!」
俺の寮の部屋は一ルームで非常に簡素的なものだ。キッチンとトイレとバズタブが申し訳ない程度にある。
俺はセリィを部屋に招き入れた。といっても引っ越してきたばっかりで簡素なものだが。大体は片付けたのだが、まだマンガやゲームが棚に入っておらず。段ボールに入れっぱなしである。懐かしいマンガが出てくると読んでしまう。気付いたら結構時間がたってるなんてマンガを愛する者ならきっと誰でもわかるはずだ。
「このベッドふかふかっすね!」
おい、異性のベッドにそうそうダイブするな。歌戦姫の部屋の方がもっと待遇がいいはずだろ。ばたばたバタ足をしてベッドに顔をうずめていたセリィだったが急にバット顔を上げこちらを見る。
「男子の部屋にはいかがわしいものがあると聞いたんっすが捜索してもいいっすか!」
「残念ながら、そのPCの中だ」
そういうとすかさず、セリィはPCのスイッチを入れる。本当に素早い動作だなと思う。
まぁ、PCをがさ入れしようという魂胆だろうが、甘い、甘すぎる!
「あ、あれ、入れないっすよ! これ!」
「俺は晩メシ作るから、せいぜいがんばれ」
俺のPCにログインするためには二〇ケタのパスワードを入力する必要がある。それも単語など皆無。その時に適当にキーボードをたたいて決めたパスワードだ。ちゃんと大文字小文字も区別して認証されるため。もうそれを突破するのは天文学的確率だ。
まぁ。優秀なハッカーさんは簡単に入れるだろうが、確実に目の前の大型愛玩動物には天と地がひっくり返っても無理だろう。
「むむむーっす」
PCの画面とキーボードとを交互ににらめっこしているセリィを放っておいて俺は晩飯の準備に取り掛かる。普段よりも米を多めに取り出して洗い炊飯器にセットする。
そして俺は冷蔵庫から一つのビニール袋を取り出す。それに入っているのは二度寝から覚めた時に仕込んでおいた鳥のモモ肉。半日寝かしたので調味料などがよくしみている。
単純に明日が休みなので口臭を気にしなくてもいいので少しニンニク多めな鳥のから揚げだ。特売のせいで多く肉を買ってしまっていたのでたくさん仕込んでいた。セリィに食べさせるのはちょうど良かったかもしれない。
俺はボール等々調理に必要な調理器具を取り出す。
「くぅーっす!」
ハハハ、せいぜい足掻くがいい! 己の無能さを嘆くがいい!
俺は鍋に油を入れ火をかける。
俺はセリィが苦悩している声をBGMにしてボールの中に卵を入れ鶏肉になじませるようによくかき混ぜる。そして頃合いを見て片手間に準備していた片栗粉を入れる。ここからは手で揉み始める。もちろん他人様が食べる為ビニール手袋をしている。
数分もかからずに、もう鳥を揚げられる状態になった。
「く~、惜しいっす!」
何が惜しいんだ! ヒント教えるような機能はないはずだぞ! 油を扱ってるんだ、びっくりさせないでくれ!
俺は鶏肉を鍋の中へと投入していく、気持ちいいぐらいの音が鍋から聞こえてくる、それと同じように良い匂いが俺の鼻をくすぐる。
「なんか、男の子なのにすごいっすな!」
「そんなことないよ」
早くもあきらめたのか、唐揚げの香ばしい匂いにつられセリィがすっとあらわれた。
正直俺が料理が上手くなった理由はあまり褒められるものでもない。作りたかったのではなく、『作るしかなかった』のだ。ただ生きる為に。
「炊事家事は妹に任せっきりっすから、ウチは全然っす」
おいそれ、笑いながら言うことじゃないぞ。
こんな姉をもつ妹はさぞ、しっかりせざるを得なかっただろうな。
「兄弟がいるのか?」
そう俺が言うと手を出して指を折りはじめる。
「一番上がウチっす。で上から順に、次女、三女、長男、四女、次男、五女、母のお腹の中に六女がいるっす」
いやいや、普通みたいに言っているがやけに子だくさんだな!
「そんなに子供がいたら食費が大変だろうな」
一人っ子アンド特殊家庭事情の俺にはあまりわかりそうにないだろうな。でも自分の料理を作っているからわかる。これをあと八倍作れって言ったら確実に拒否する自信がある。
「そうっすよ! だから頑張らないといけないんっすけどね」
俺はもう揚がりそうな唐揚げを見ながら違和感を覚えた。
なんで、セリィが頑張らないといけないんだ?
少なくとも、歌戦姫は手当てが出ているのだから、ある意味自立しているととっても間違いではない。なのになぜだ? そして俺は朝にも同じような引っ掛かりをしていたこと思い出した。そしてここである言葉を思い出す。
『いろいろと食べ盛りなんでかかるんっすよ』
これは自分に向けた言葉ではなかったんだ。バイト、そして大家族。まさかとは思うが。
「お前、家族に仕送りしているのか?」
そう思えばすべて納得がいく。いやそうとしか考えられない。
「そうっすよ」
セリィはそうとだけ答えた。俺は油を扱っている手前からそんなにも目を離せなかった。しかし、チラリとそのように言ったセリィの顔を見る。
それは優しい笑顔だった。
不覚にも見とれてしまいそうになるくらいに優しそうな顔だった。そして移動する音が聞こえ、その数秒後にソファがきしむ音が聞こえる。調理しているところからは見えないが、おそらくソファに座ったのだろう。
「ウチはここから遠く離れてる『貧困街』って呼ばれてるところの出身っす。歌戦姫の試合を見るのさえできないようなところっすよ、テレビどころか電気もないところっすから」
あまり明るい話とは言えなかった。でも彼女の声は暗くはなかった。懐かしむような声にさえ聞こえる。
「ウチの小さいころに父は早くに足をけがして働けなくなったっす。その時はお腹が毎日空いてたことしか覚えてないっすね。母も妹や弟を身ごもっても必死に働いてましたけど、そんなに給料は良くなかったみたいっすね」
俺は黙って彼女の言うこと聞いていた。
「そしてウチと一つ下の妹は少しでも親の手助けができないかと、少し遠くにある街に二人で来たっす。で、まぁ、子供を働かせるところはないわけですから浅はかだったっすね。でもそんなときにある光景が目に入ったっす」
俺は黙って耳はその声に傾け、揚がった唐揚げを油切の上に上げていく。
「自分達と同じような格好をした自分達と同じくらいの子が道の端でお椀を地面においていたんっすよ。そこに入っていたのは食べ物ではなくお金っす」
それが意味することは言わなくても分かる。
「でも、ウチはその光景に無性に腹がたったっす。でも、背に腹は代えられなかったっすね。だからウチは目の前の子たちと違うことをすることにしたっす」
俺は手際よく洗ってから切っておいた野菜を大皿の上に並べた。
「歌ったっすよ。ただそれだけっす」
俺はその野菜の上に、揚がった唐揚げをのせていく。
「無償で何かを乞うのではなくて、対価をもって何かを得たかったっす。ただそれだけだったっす。それでお椀に入るお金の価値が、両親をより助けられると思って」
油の満たされた鍋から唐揚げをすくい上げる。鍋の中に揚げている唐揚げはもうない。
「まぁ、それだけじゃ、家族の生活は変わらなかったっすけどね。でもある日、黒いスーツを着た人に声をかけられたっス。その人はこの学園のスカウトだったっす。そして、今にいたるっす」
俺は唐揚げを全て皿の上に載せると自分の部屋のテーブルへと運んでいく。
「……まだご飯は炊けてはないが、その間に少しつまんでろ」
俺はお箸を差し出すとセリィはにっこりと笑ってそれを受け取った。
「手当は高いとは言えないっすけど、その手当で貧困街から引っ越すことができたっすよ」
そう言ってセリィは口に唐揚げを一つ放り込む。
「まだまだこれからっすよ」
自分の事を語るその眼は決して自虐ではなかった。
「歌戦姫でプロになってガンガン稼ぐっす。そして家族と大きな家に引っ越してみんな笑顔で暮らすっす。それがウチの」
正直意外といえば意外だった。一番考えていないように見えるセリィ。でも彼女の想いは嘘ではない。嘘ではないからこそ輝いて見える。
「戦う理由っすよ」
俺は彼女のように強い意志を持っていると言えるだろうか。
正直今回のことだって成り行きに従っているとしか言えないのではないだろうか。
だから笑顔で何事もないかのように夢を語れる彼女は眩しく思える。
「だから、カナメン、ビシビシ厳しくしてもらっても大丈夫っすからね」
「ああ、わかったよ」
俺はご飯が炊けたのを確認し、ご飯をお茶碗に盛った。そして適当に見繕ったサラダを持ってきて、昨日の晩の残り物を冷蔵庫から出してチンする。
そのすべてを机の上に並べる。俺とセリィはお互いに手を合わせ挨拶をすると、箸を動かし始める。お互いに三口ほど食べた時だった。
「誰かと食べる食事も久しぶりっす」
「ああ、俺もだよ」
誰かと食べたのはいつだっただろうか。記憶にあるのはこんな机にきちんとして食べてはいなかったときの事。幼いころの時だ。次の抗争へと向かう時の事だ。それも小型バスの車内。そこは飯を食いづらい場所だった。でも、その車内は笑顔で満ちていた。何を食べたかなんて今はもう覚えていない。
でもおいしかったのだけは体が覚えている。
数十分かけて俺達は机の上の物を平らげた。俺がすぐさま食器を洗う。引きこもりのプロは面倒くさい事は先に片付けておく。そして、あとはゆっくりとだらける。
その間セリィは再びPCのパスワードの突破を試みたり、本棚のマンガを寝転んで読んだりしてだらけていた。そして俺に話しかけたりもしていた。
「カナメンはチユリンの事どう思うっすか?」
チユリン? あぁ、チユリの事か。そこはかとなくおれと同じ匂いのするあいつか。
それがどうしたんだろうか。
「ちょっと気になるんすよね。なんでかといわれてもよくは分かんないっすけど。ただ妹によく似てるんすかね。性格が」
俺はいま一つ一つ言葉を紡ぎ出しているセリィの言葉を待った。
「不器用なんすかね」
出てきた言葉はその一言だった。
俺はチユリのプロフィールを思い起こす。
幻と言われるほどの歌。治癒の歌を歌える。その価値は絶大だ。
信奉者は抗争時、歌戦姫の加護を受けることだ出来る為、非常にタフである。
それはあくまでタフになっただけである。回復なぞしない。
つまりはHPを削られればそれまでだ。
RPGをしたことのある者ならわかりやすいだろう。回復呪文を持っている持っていないで敵のめんどくささが変わってくる。
だから、実際プロリーグのプロチームが彼女に声をかけている可能性はかなり高い。彼女がいるいないでだいぶ戦力は違ってくるのだ。
それほど彼女の価値は高いということだ。
「変なこと言っちゃったっすね。そろそろおいとまするっす」
おもむろに立ち上がりそう言った。がらにでもないことを言ったかのように恥ずかしそうに頬を掻いていた。
俺もその場を立ち上がる。
「近くまで送ってくよ」
「そんなぁ! 大丈夫っすよ! 学園内だから治安もわるくないっすし」
「そんなのかんけぇねえよ」
「なんでっすか?」
「女を一人こんな夜遅くに一人で帰らせるわけにいかないだろ。マナーの問題だよ」
そう言うとセリィは驚いたようにこちらを見ている。そんなにおかしいか?
「カナメン、意外と紳士っすね」
「意外は余計だ。意外は」
「じゃあ、お言葉に甘えるっす」
そう言うと俺の腕を引っ張る。
「お、おい、ちょっとまて」
俺は引きずられるようにしてその場を後にするのだった。
こうして休日の一日目は、幕を閉じたのであった。