4-31 呪われた短刀
まだダイスピザの開店までには時間があったので、梁子と千花は近くのファストフード店で朝食をとることにした。
注文を終えると梁子たちは近くの席にどっと腰を下ろす。夜通し事情聴取を受けていたので、疲労が半端なかった。時間的にはそろそろ腹が空くはずだったが、まったく食欲がわかない。梁子は一口だけハンバーガーをかじるとすぐにトレーに戻した。
「はあ……」
大きなため息をついて目の前を見ると、千花は黙々とポテトを口に運んでいた。ふと顔をあげて訊いてくる。
「あの、梁子さん。犯人をようやく捕まえることができたけど、このあとは……」
「あ、はい。まずは車を店長に返しに行って……」
「うん。そしたらすぐに例の科学者のところに、行くんだよね?」
「そのつもりですが……その前に一度家に帰ろうと思っています」
「えっ、どうして?」
『それはわしから説明しよう』
しゃがれ声が聞こえたかと思うと、梁子たちの周りに青白い結界が張られた。見上げるとサラ様が出現している。
『これからあの女科学者のもとへ行くが……その前にある「武器」を、手に入れなくてはならん。それは上屋敷家にあるのだ』
「武器?」
ジュースをちびちびと飲みながら、千花が尋ねる。
『ああ。わしがあの女科学者を仕留めた後、必要になる武器だ』
「仕留めた後? 仕留める前、じゃなくて?」
『ああ、そうだ。やつに使うわけではないのだ……。梁子もそれを使用するために一度、身を清めておかねばならん。とにかく、一度家に帰らせてもらうぞ』
「え、あの……サラ様? 今、身を清めるって言いました?」
思いがけない単語が出たので、梁子は思わず訊き返す。
『ああ、そうだが』
「そ、そんなの……聞いてません! つ、冷たい水をかぶるなんて! 春になったとはいえ、まだそんなに気温も高くなってないですし……あ、でも、絶対そうしなきゃダメっていうんならどうにかやってみますけど……でも……」
『何を言っておる? 普通に風呂に入れば良いだけだ。あとはできるだけ白っぽい服に着替えてくれ』
「え? そ、それだけですか? なんだ、良かった……」
梁子はホッと胸を撫で下ろした。今時、修験者の修行みたいなことをやらされるのかと思うと焦ってしまった。
いつのまにか、サラ様が儀式めいたことを要求するようになってきている、と思う。やはり……呪いによって人を殺すというのは一筋縄ではいかないようだ。
見ると、ポテトをパクついていた千花はなんだか不満げな顔をしていた。
「えっと……千花ちゃん?」
どうしたのかと心配になって、声をかける。
「事情は、分かった。でも、早くしないと……手遅れになる」
千花の言うことはもっともだった。たしかに、急がないと取り返しがつかなくなってしまう。例の計画をいつ実行するかは、あくまで相手の裁量次第なのだ。待つと言ってくれてはいるが……それが犯人を逮捕して一分後なのか、一時間後なのか、はたまた一日後なのかは誰にもわからない。
サラ様は深くうなづいた。
『たしかにあまり猶予はないな。向こうは梁子の目を通してすでに犯人が捕まったことを知っているはずだ。となれば……すぐにでもあの計画が実行されかねん。だが、こればかりはどうしてもやっておかねばならぬことなのだ。上屋敷家の今後に関わることだからな……』
「……」
「あの、どうします? 千花ちゃんもかなりお疲れのようですし。もしなんでしたらわたしたちだけで行きますけど……」
梁子は、千花を思いやったつもりだった。あまりに疲れてすぎていて、気持ちに余裕がなくなっていると思ったのだ。だがそれは逆効果だった。千花はとたんに嫌悪感を露わにする。それにさらに、鈴の音のような透き通った声が梁子の耳朶を打った。
『何をたわけたことを!』
「えっ?」
声のした方を見ると、怒った表情のトウカ様が空中に現れていた。トウカ様は千花同様、苛立った様子でこちらを見下ろしている。
『すでにお主らだけの問題ではないぞ! わらわたち大庭家も、家の存続をかけて、その女科学者を止めなければならぬのじゃ! それに……何百年と続いてきた上屋敷家の最期を、遠縁の親戚として見届けてやる義務もある。のう蛇の、お主……いよいよ消えるのじゃろう?』
そう言って、トウカ様がサラ様を見やる。
消える。その言葉に、梁子もサラ様もぴくりと肩を震わせた。
『……ああ。そう、なるな。うまくいけばだが』
『で、あれば余計じゃ。「うまくいくように」わらわたちを連れて行かんとまずいじゃろう。のう、千花?』
「うん。倒しきれなかったら、それこそもっと大変なことになる。千花も、もう少しだけ頑張るから。だから……そんなこと言わないで。連れて行って、梁子さん」
「千花ちゃん……」
千花の健気な言葉に、梁子は胸がつまった。これからどうなるのかわからず、不安でいっぱいだったのだが、そんな自分の心に少しだけまた勇気が戻ってくる。
「ありがとう、ございます……」
『恩にきる、藤の。それと千花もな』
サラ様は梁子とともに礼を言った。
数少ない特殊な屋敷神を持つ者同士、これから困難な壁へと立ち向かっていかなくてはならない。決意を新たにすると、梁子たちはハンバーガーのトレイを片づけ、店の外へ出た。
* * *
午前9時……の約10分前。
梁子たちがダイスピザの裏口に到着すると、そこにはすでに河岸沢がいた。
「うおっ! お前ら……よく帰ってきたな」
梁子たちの姿を見て、そんな奇妙な声をあげる。
昨日は土曜日だというのに人手が足りず、いろいろと大変だったようだ。河岸沢の顔には梁子たちと同じくらい疲労の色が強くにじみ出ていた。
梁子はバイトを休んでしまったことを謝ろうかと思ったが、ふと思い直して首をふる。出かかった言葉を飲み込むと、当たり障りのない話をした。
「あっ、ええ、けっこう長くかかってしまいました。一昼夜ですか。意外とあっという間でしたが……。あ、あの、そういえば店長は?」
「まだ来てねえ。またどっかで道でも訊かれてんだろ」
「そうですか。車を返しにきたんですけどね……。あ、もう今朝のニュースとかでやってましたか? 例の殺人事件のこと……」
「ああ、大体的にやってたぜ。ついに犯人逮捕だってな。全局ほぼそのネタでもちきりだったが……やっぱり、宮間の兄貴だったのか」
「はい。六件目の事件を起こそうとしてて……そこを、わたしたちがすんでのところで止めました。そのあと警察に引き渡して……宮間さん、かなり凹まれてましたね」
「そりゃあ、そうだろうよ。勘違いで済めば一番良かったんだろうが……結局、事実だったってことだろ? ……ん? そういや、その肝心の犯人の弟はどうした」
そう言って、河岸沢はあたりを見回す。
「まだ、警察署です。ご両親たちもすぐ来るだろうからって。宮間さんだけ残られました。あと、真壁巡査も」
「ああ……あの警官か。あいつは立場上、そのまま帰らせてはもらえなかったろうな。お前たちと一緒に行動してたわけだし……。そうか。しかし宮間、あいつ大丈夫か? もし万が一テレビカメラにでも映ったら、犯人の双子の兄弟だってわかって面倒くせえことになるぞ」
「そうですね……」
なんとなく気分が重く、梁子はそれ以上口を開くことができなかった。疲れているという自覚はあったが、表情すらうまく取り繕えなくなってきていることに驚く。
そんな梁子に、河岸沢は急に近づいてきた。そして頬をいきなり片手で抑えられる。むにっと圧縮されると、梁子の唇はタコのように突き出された。とたんに河岸沢がゲラゲラと笑い始める。
「なっ? いっ、いきなり何するんですか!」
怒って手を払いのけると、河岸沢はお腹を抱えてくくっと笑った。千花は、なんだこの男の人はという冷たい視線を送る。
「いや、済まねえ済まねえ。すげー辛気臭い顔だったもんでよ、思わず掴んじまった。いやあ、まあ俺も似たような面だろうけどよ、お前も大概だぜ!」
そう言って笑い続けている。
「うっ、うるさいですね! 河岸沢さんとわたしたちでは疲労の意味合いが違いますよ! 一緒にしないでください」
「意味合い~? 別にそんなたいした差なんて無えだろう。そんなことより……これからお前、誰か殺しにいくのか? どうもそんな顔してるぜ?」
「……!」
急に真顔になった河岸沢に、梁子は言葉を失った。
河岸沢には、エアリアルのことはいっさい話していない。関わり合いになってほしくなかったから、言わなかっただけなのだが……ついに図星を指されてしまった。
「そ、それは……」
河岸沢の鋭い「感」はこんな時にでも発揮されてしまうのか。
なんでもお見通しなのかと思うと、梁子は背筋がうすら寒くなる。
「あ、相変わらず鋭いですね、河岸沢さん……。サラ様が、見えるんですよね? だから、そんな風に訊いてきてるんですよね? わたしの顔を見てそう思ったんじゃなく……。あの、見えるなら、そのことについて直接訊いてきたらいいじゃないですか!」
「……訊いても、いいのか?」
「どうして見えちゃうんですか……自分でその能力、ぶっ壊したって言ってなかったでしたっけ」
「壊したが、壊しきれなかったんだよ。お前らみたいな強力なやつが近くにいると、どうしても残った方のセンサーが反応しちまうんだ。……それで? いったいどういうことになってるんだ? 今度は何が起ころうとしてる」
「河岸沢さんには……関係ないことです。というか、知らない方がいいですよ」
そう言って梁子が冷たくあしらうと、河岸沢は顔をしかめた。
「ああん? 十分、関係してるだろーがよ! お前のせいでここの、スタッフの家族が! 重大事件の犯人として捕まっちまったんだよ! お前がこの店に災いをもたらしたんだ! それを棚に上げて、関係ねえとか言わせねえぞ!」
「……は、はい。それは、そうですね。すいません……」
梁子はすぐさま謝った。
まったく返す言葉もない。皆をトラブルに巻き込んでしまったのは事実だ。
だが、それでも……詳しい事情を話したら、よりひどい災難をこの店に呼び寄せることになるというのは目に見えている。
エアリアルは、実験のためならばどんなことでもしたがる人間だ。この河岸沢という男は、客観的に見てもかなり特殊な人間である。エアリアルにもし万が一興味を持たれてしまったら……絶対にただでは済まないだろう。
今も、梁子の目を通してチェックしているはずだ。
そう思うと……すでに遅いと言える。
だが、自分たちがエアリアルを倒せば、きっとどうにかなる。エアリアルにまつわる話をして付いてこられでもしないかぎり、今のところは大丈夫なはずだ。と、梁子はそう考えた。
「あの……悪いことは言いません。今は、お願いです。何も訊かないでおいてくれませんか」
「別に? 俺はこれ以上、この店に影響が出なきゃそれでいいんだけどよ」
「そ、それは……お約束します! ですから……」
「だがもし、誰かをお前のその呪われた神様で殺すっていうんなら……お前はあっち側の人間になるってことだ。それだけは……心しておけ」
「……」
やはり、この男は恐ろしい。
あっち側って、なんだ。
梁子はえもいわれぬ感情を押し殺しながら、車のキーを手渡した。
「店長に……ありがとうございましたって、伝えておいてください。それと……これが終わったらわたし……」
「伝えとく。だが、いいか? くれぐれも最後まで良く考えろ。いいな?」
「……」
梁子は無言でその場を立ち去る。河岸沢は、それ以上声をかけては来なかった。責めるような視線が代わりにずっと後をついてくる。
梁子はそれを振り払うようにして、千花とともに上屋敷家へと向かった。
* * *
「おかえりなさい、梁子さん」
「おかえり、梁子」
玄関には、またも梁子の両親がそろっていた。
説明が面倒だったので、梁子は半ば無視するように廊下を突き進む。千花は小さな声でお邪魔しますとだけ言ってついてきた。
「おお……千花ちゃん! ひ、久しぶりだな。あっ、ど、どこへ行くんだ梁子! ただいまも言わないとは! 父さん怒るぞ! あ、今日は……朝帰りだったな? いったい今まで何をしてたんだ!」
スタンダードな叱責を受け、梁子は父親の大黒に向きなおる。
「父さん、もうわかってるでしょう? わざわざ説明しなくても。わたしたちはこのあと、とても大切なことが控えているんです。もう行っていいですか? 急いでるんです」
「そうは言ってもだな……お前の口から直接聞きたいじゃないか」
「はあ……わたしはこの上屋敷家のため、あと、この街のためにこれからすごく重要なことをしなきゃいけないんですよ。今は一刻を争います。……千花ちゃん、もういいですよ、ほっといて行きましょう」
「うん」
「あ、こら、梁子!」
二人はすたすたと中庭のお堂へ向かう。大黒も、母親のゆかも足早に梁子たちを追ってきた。
お堂の扉を開けると、そこにはサラ様の本体である白蛇のミイラと、ご先祖様たちのたくさんの位牌がある。梁子はその前まで来ると、サラ様に声をかけた。
「ここに、あるんですよね? サラ様。いったいどこにあるんですか?」
『……ふん、察しがついたか。どことは明言してなかったのだがな』
サラ様は姿を現すと、ご神体のミイラの上に移動した。
『……ここだ。このミイラの中にある』
「えっ?」
しっかりととぐろを巻いたそれは、幅が1メートルほどある。いったいそこからどうやって取り出すというのか。
『わしが死ぬ前に飲み込まされた短刀……それをこれから取り出す。梁子、これを解体しろ』
「えっ? 解体?!」
梁子はあまりにも恐れ多くて一歩後ずさった。その様子にサラ様が喝を入れる。
『やれ、梁子。あの女科学者を野放しにしていていいのか? お前の大切な者たちが、また犠牲になるかもしれんのだぞ!』
「わ、わかってます。でも……」
「良いと言っておるだろう。もう、これは不用なものなのだ……。いいから遠慮なく壊せ。そして、短刀を取り出せ! 梁子!」
「……わ、わかりました」
恐る恐る手を伸ばしミイラに触れる。カサカサしている感触に、おののいた。そもそもこれに触れることすら初めてのことだった。
力を込めれば普通に壊れそうだった。でも、直接手でやるのはやはり抵抗がある。梁子はふと近くの棚に入っている物を思い出した。それは、間取り図用の三俣紙を裁断するための鋏だった。それももう……サラ様が消えるのであれば、使わなくなる。であれば……。
梁子はその裁ち鋏を手にすると、ミイラの頭部めがけて突き刺した。
ざくっ、いう音を聞くと、どうにも罰当たりな気がして手が震えてしまう。だが、サラ様本人が許可しているのだ。梁子はためらわずに、二度、三度と壊していった。
しばらくすると、ちょうど頭の後ろの部分、喉の奥にあたるところから細長いものが出てきた。
「こ、これは……」
それは……わずかに錆が浮いた、抜身の短刀だった。
鍔はなく、柄には黒い紐が巻き付けられている、ひじ関節ぐらいの長さの刀だった。交互に捻りを加えながら巻き付けられた柄紐の内側には、サメ肌のようなざらついた黒い皮がある。柄の中央には白い蛇の金具が取り付けられており、持ってみると金属の重みがずっしりと手に伝わってきた。
「これが……呪われた短刀……」
『ああ、そうだ。それは何度も戦や暗殺に使用された刀……「鎧通し」という刀だ』
まるで出刃包丁のように厚みのある刀身を見て、梁子はぞっとした。
サラ様の言うことが確かならば、これはやはり、人を突き刺すことだけに特化したものである。刃の峰は平らではなく山形で、真横から輪切りにすればきっとひし形をしている。その鋭さを以て、人の体や鎧を貫通させるものなのだ。そういったことが容易に想像できた。
直接手にするとわかる。これは、確かに「呪われた短刀」だ。
『これを、一番最後に使う。それまでこれは……お前が大切に持っていろ』
「えっ、あの……鞘は、ないんですか? このまま持っていろと言われても……」
『鞘は紛失している。布でもなんでもいい。巻いて隠せ。そのままでは銃刀法違反で捕まるぞ』
「ええーっ……!?」
あまりの丸投げぶりに、梁子はげんなりした。
まさか、その処理をこっちでやらなくてはならないとは。サラシのようなものでいいだろうか……? そう思ってあたりをキョロキョロ見回していると、梁子はちょうどいいものを棚の中に見つけた。
「あっ、そうだ。これを使いましょう」
それは三俣紙を買うときにいつも持参する、筒状のケースだった。
「この中ならまあ、目立たないでしょうし。安全に運べますよね」
梁子は適当なタオルで短刀を包むと、ケースの中に収めた。あとは、身を清めるために風呂に入るだけである。
「梁子……まさか、そんな……」
一部始終を眺めていた大黒が、ようやく蒼白になりながらも口を開く。ゆかも驚きを隠せないまま、こちらを見ていた。
「ご神体を……壊すなんて……」
「そうか、やっぱり……やるんだな。梁子」
「はい。母さん、父さん……すいません。サラ様の呪いをこれから成就させにいきます……」
「わかった。このあとどうなるのかなんて父さんにもわからんが……きっと無事で、帰ってきてくれ。それだけが、願いだ。お前さえ無事で帰ってきてくれたら、あとは家がどうなったっていい。だから……」
「はい。必ず……戻ります」
「梁子さん、わたくしはもう何も言いません。この家の後継者はあなたなのですから。あなたが、決めたことなら……わたくしは……」
「母さん、ありがとうございます。あの……わたしがお風呂に入っている間、千花ちゃんを少しでも休ませてあげてくれませんか。終わったら……すぐに行きますので」
「わかりました」
そう言うと、梁子は風呂場に向かった。短刀を千花に預けて。




