4-29 浄化
サラ様は自らの体をかき抱き、必死に何かを抑えこんでいるようだった。
「だ、大丈夫ですか、サラ様ッ!」
梁子が駆け寄ると、サラ様は苦悶に満ちた表情でこちらを見る。
『梁子……わしはあの者に吸い寄せられようとしておる。「食べたくない」と思っているのに、だ。やつに取り込まれるぐらいなら、その前に取り込んでやろうと……思い始めておる。それに、ここにいる誰かを殺したいとも……。まずい、一刻も早くやつを倒さねば……』
「そ、そんな! 誰かを殺したくなるって……すごいヤバいじゃないですか!」
『ああ……。梁子、わしはもとより藤のやつも、今は手一杯だ。やつを倒せるのは……お前しかおらん』
「なっ? わ、わたし?!」
いきなり突拍子もないことを言われて、梁子は目を丸くした。
「わ、わたし、何にもできませんよ? 霊能力とか、不思議なパワーとか持ってないですし。何を、言ってるんですかサラ様!」
『お前に……「破魔の刃」を授ける』
「はっ、はまっ? なんですか、それ?」
『いうなれば……奥義だ。呪われた刃にわしの力を注ぎ、魔を裁つ刃とする……。これは、もともとわしが呪いを成就させた後の仕上げの技……だ。それがあれば、怪異を消滅させられる」
「な、なんかよくわかりませんけど、そんな便利な技があるんだったら早く言ってくださいよ!」
梁子が涙声でそう言うと、サラ様は困ったような顔をする。
『梁子……それでも、この技には弱点があるのだ。使用回数は一度きり。一度技を発動させればもうその刃は使い物にならなくなる』
「そんな……。そもそも、その「刃」ってどこにあるんです? そんなのわたし持って……」
そこまで言ったところで、梁子はハッとした。ポケットに入れておいたあるものを思い出し、それを服の上から触る。
「これ……」
『そうだ。あるだろう? 呪われた刃が……。本番の刃は上屋敷家にあるが、当座はそれで乗り切る』
「あの、これって……事件の重要な証拠品なんですけど?」
『いいから出せ』
「はい……」
梁子は、しぶしぶ宮間から取り上げたナイフを出した。だが、これをそのまま使うのはなんだか気が引ける。一応これ以上指紋が付かないようにハンカチで柄を包んでおいた。サラ様はそのナイフに手をかざし、なにやら呪文をつぶやく。するとナイフ全体が青白く光りはじめた。
『これで「破魔の刃」となった。あとは、これをあの付喪神に突き刺せ』
「えええっ? そ、そんな……無理ですよ! なんか黒い影がわらわらしてますし……あの人も絶対なんかしてくるでしょうし! 無事に済むはずが……」
『いいから、刃を前にして突っ込んで行け。あとは……どうにかしろ。頼んだぞ、梁子』
「そんな……」
『行け!』
「う、うううっ……もう、どうなっても知りませんからねっ!」
梁子は意を決すると、強く両手でナイフを握りしめ、一気にリオへと駆けていった。
「うあああっ!」
声高に叫びながら、サラ様の結界を抜けていく。
リオはそれにただならぬものを感じたのか、黒い影を目の前に配置した。だが、それらはまったく梁子の進行を阻めない。瞬時に霊は霧散し、リオはとっさに髪の毛で壁を作りだした。だがそれも、梁子の刃が切り裂いていく。
「なっ、うっ、ぐふっ!!」
気が付けば、リオの胸に深々とナイフが突き刺さっていた。
瞬間、跡形もなく消滅する。
梁子はがくりと膝をつくと、周囲をきょろきょろと見回した。
「や、やった……? やりましたよ、サラ様! サラ様?」
『大丈夫だ。それで、いい……』
サラ様から、弱々しい声が返ってきた。だいぶ無理を重ねたらしい。リオの影響でかなり消耗させられたようだ。梁子は心配になってサラ様のもとに駆け寄った。
「サラ様! だ、大丈夫ですか?」
『ああ。しばらく、休む……。あとはどうとでもなるだろう』
そう言って、サラ様は姿を消してしまった。代わりにトウカ様が梁子に近づいてくる。
『ふむ。なんとかなったようじゃの。ほれ、他のやつらも元に戻ったようじゃ』
しゅるしゅると光の蔓をほどき、真壁巡査や宮間兄弟を開放する。すると彼らはハッと我に返り、様変わりした屋上の様子に驚いた。
「な、なんだこれは……! つ、蔦だらけじゃないか」
「いつのまに……」
そんな中、正気に戻った千花が梁子の元にやってくる。
「呪いの元を……消してくれたんだね。ありがとう、梁子さん」
「い、いえ。まぐれですよ! それより……大丈夫なんですか、千花ちゃん」
「うん。大丈夫。不甲斐なくてごめん。もっと千花がしっかりしてれば……」
「いいえ。わたしが影響を受けなかったのが奇跡的なくらいなんです。千花ちゃんは何も悪くありませんよ」
申し訳なさそうにしている千花に、梁子はなぐさめの言葉をかける。
すると、もう一人バツの悪そうな顔をした人間が話しかけてきた。
「か、上屋敷さん……す、すみません。俺……」
「真壁巡査! い、いえっ、いいんです。この建物がみなさんをおかしくさせていたわけで……ま、真壁巡査が謝るようなことは何も……」
「いえ! あの……む、無理やりしてしまいました。その……き、キスを……。す、すみません!」
「え、いや、その……」
梁子は正気でなかった間も記憶だけは残っているのかと驚いた。だが、それ以上にあの時されたことを思い出して顔を赤くする。
そう、あれは普通のキスではなかった、よりにもよってディープ……。
「あの、ちょっと、二人とも」
「えっ?」
「はい?」
梁子と真壁巡査が先ほどのことを思い返していると、そこに千花が割って入ってきた。
「見て。犯人が逃げそう」
「ええっ?」
指で指し示された方向を見ると、屋上の入り口でもみ合う宮間たちがいた。
どうやら宮間兄が逃げようとしているのを必死で引き留めているらしい。弟が、兄の腕にひしとしがみついていた。
「ま、待つんだ! 兄さんっ!」
「おい、見てただろう、一太。俺は……ここにいた化け物のせいでおかしくなっちまってたんだ。だから、俺は悪くねえっ!」
「そんなこと……警察が信じるわけないだろっ! 逃げたって、無駄だ。絶対捕まるよ!」
「うるせえっ、今、今逃げなきゃ、俺は……死刑だっつの。そんなの……そんなのたまったもんじゃねえ! は、離せっ、一太!」
「そんなわけにはいかない! 兄さん、お願いだから罪を、償ってくれ!」
「うるせえ! いいから離せ! 一太!」
「ダメだっ、兄さん!」
組み合ったまま押し問答を続ける二人に、梁子は冷静に声をかけた。
「お二人とも、待ってください」
すると、二人はぴたりと動きを止め、振り返った。
「なんだあ、嬢ちゃん。俺は『逃げるかもしれねえ』って先に言ってただろ?」
宮間兄はイラついたような視線を投げかけてきた。だが、梁子はひるまずに答える。
「ええ。そうですね。でも、逃げるのはやめてください」
「はあ? てかよ、お前はさっきから何なんだ。誰だよ。こいつの……知り合いか?」
宮間兄は、横にいた弟を見ながら訊いてくる。梁子はそう言えばまだ名乗っていなかったと気が付いた。
「失礼いたしました。わたしは……上屋敷梁子。そちらの、宮間一太さんと同じ職場で働いています。彼の後輩です」
「ははっ、あのピザ屋か。どうりでどっかで見た顔だと思った」
「……ウチの店に来られたことがあるんですか?」
「ああ。一度、な。一太が配達しているのを見てから、どんなとこだって見に行ってみたんだよ。スクーターに店名が描いてあったからな、すぐにわかったよ。わきあいあいと、まあ……楽しそうなもんだったな」
「そうですか……。そこにいる二人も、わたしの知り合いです。アナタを……どうしても捕まえなくてはならなかったので、協力してもらってたんです」
そう言うと、梁子は憎しみのこもった目を向ける。
「はっ、そうかよ。警官に? お子様までいるのはなんかよくわからねえが……俺一人のために大層なこったな」
「お、お子様……っ?」
千花は自分のことをそう評されて、頬をふくらませた。
だが梁子は、そこには触れずに話を続ける。
「わたしの……友人が、アナタのせいで大怪我を負いました。だから、逃げるだなんて絶対に許しません。罪は、必ず償ってもらいます!」
「ああ……たしか、一人殺しそこねたやつがいたな。そうか、そいつの」
宮間兄はふと思い出したようにそう言うと、ニヤリと笑みを浮かべた。そして不敵に言い返す。
「でもまあ、俺は……どうやらさっきの化け物に『そそのかされてた』ようだし? 俺だけが悪いわけじゃないんじゃないか? たしかに、証拠なんて無い。もしあったとしても、警察はさっきの化け物のことを立証なんてできないだろうよ。それでも……結果だけ見れば俺だけが悪いんじゃねえ。そうだろ? だから……それでも、憎いかよ、俺のことが」
「ええ。憎いです!」
梁子は一歩ずつ、ゆっくりと宮間兄に近づいていった。
「たとえ、さっきの怪異にそそのかされていたんだとしても、初めの犯行時におかしいと気付いたはずなんです。そして、罪を犯してしまったのならその時点で自首することもできたはず……。なのに、どうしてそれをしなかったんですか? そうすれば、わたしの友人も……それに、他の被害者も出ずに済みました。けれど……アナタはその殺人衝動に身を任せ続けた。それは……アナタ自身の責任だったんじゃないんですか?! 太郎さん!」
「……」
梁子の指摘に、宮間兄はぐっと言葉をつまらせる。
「図星、ですよね? この建物の怪異を知らなかったとしても、アナタはいつでも立ち止まろうとすれば、できたはずなんです。でも、繰り返し殺人を犯してしまっていた……それは、なんでなんですか? どうして……」
「うるせえっ! 何も、わかってねえくせに! 俺だって、更生の道を歩んでいたさ。なのに……どうしてこの街に一太が……。こいつさえ見つけなきゃ、俺は……!」
そう言って宮間兄は拘束されていた腕を振り切ると、階段に駆け込もうとした。だが、そこにはすでに真壁巡査が回り込んでいて、またしても捕獲されてしまう。
「くそっ、離せ!」
「もう諦めろ、宮間太郎!」
真壁巡査が低い声でそう告げると、宮間兄は徐々に大人しくなっていった。
「くそっ!」
「僕の……せいだっていうのか。兄さん」
地面に転ばされていた宮間が、むくりと起き上がる。その目はとても悲しそうな色をたたえていた。
「ああ、そうだよ! お前なんかがいなけりゃ、俺は……こんな目に遭ってなかった。お前さえいなけりゃな!」
「そんな……違う。僕の……せいじゃない。兄さんが、兄さんが悪いんだ! 自分だけが辛い目に遭ってるなんて思うなよ! 僕だって、どれだけ大変な目に遭ってきたと思ってるんだ! 更生してきた、って言ったな。でも、だったらわかるはずだ。まっとうに生きることがどれだけ大変か! それを、兄さんは簡単にぶち壊したんだよ。なんで、なんでそんなひどいことができるんだ! この、大馬鹿野郎っ!」
拳を握りしめたかと思うと、渾身の一撃が宮間兄のあごにめり込む。
真壁巡査に羽交い絞めにされていたので逃げようがなかったのだろう、宮間兄はその衝撃でがっくりと腰を落とした。
「ぐはっ、な、なに……しやがる……!」
「何度だって、解るまでやってやるさ。この馬鹿! 僕は……僕はどれだけ待ってたと思ってるんだ! 兄さんが更生して、また一緒に暮らせることを……僕は、願ってたのに……。ぶ、ぶっ壊しやがって! 馬鹿野郎、馬鹿野郎っ! もっと早くに兄さんと……会ってれば……。そうしたら、こんなことには……ううっ」
膝をつき、宮間は大粒の涙を流しはじめる。
拳は、もう宮間兄に届くことはなかった。こうしていても、もう元に戻らないとわかったのだろう。
「僕が……悪いんだ。父さんたちのいうことを真に受けて……兄さんと会わなかったから……だから……」
そうして、懺悔の言葉を吐き続ける。宮間は今までの行いをひどく後悔しているようだった。宮間兄はそんな弟の様子に激しくうろたえる。
「ば、バカ……なんでお前がそんな風に言うんだよ! 違うだろ! 悪いのは……」
「馬鹿って言うな、馬鹿! 馬鹿は……兄さんの方だって言ってるだろ!」
「そうじゃねえよ! 俺が……100%悪いだろ、つってんだ! なのにお前……。一太……。俺が、俺が悪いんだ。お前じゃねえ! 本当に……馬鹿な兄貴で、悪い……悪い、一太……」
そう言って、宮間兄も涙をあふれさせる。
梁子は複雑な思いを抱えながら、その光景を見守っていた。
もともと、犯罪を犯す気質が宮間兄にあったものの、再度の犯行のきっかけとなったはやはりこの建物が原因だった。
梁子はそんな影響を及ぼしたエアリアルを恨んだ。
まともに生きていこうとしていた人を狂わせた罪は大きい。
宮間兄だけではない、宮間も、美空や他の被害者たち、それに自分だって、深く傷ついた。
そして、これからももっと多くの人たちを傷つけていくのだろう。あの、女科学者は――。
例の計画はどうしても阻止しなくてはならない。
梁子は蔦が生い茂った屋上の中心で、遠くエアリアルの家がある方向を眺めた。




