4-26 呪われた建物
Y字路の家まで戻ってくると、梁子は後部座席を振り返った。
宮間兄に声をかける。
「あの……たしか太郎さんとおっしゃるんですよね? あなたのお家の一階はガレージだとお聞きしています。すいません。この車、そこに入れさせてもらえませんか」
両手首を縄で縛られ、さらに脇をがっちりと真壁巡査に押さえられていた宮間兄は、あんなことがあった後だというのに気安く声をかけられて不快感を示しているようだった。眉間にしわを寄せたまま押し黙っている。
梁子は深いため息をついた。
「あのう……実はこの車、人から借りているんですよ。だから、このまま路上に置きっぱなしで駐車違反になったりすると困るんです。お願いします、中に停めさせてください」
梁子が根気よく頼むと、宮間兄は嫌々といった口調で返事をした。
「いいからすぐに警察に連れていけよ。そしたらそれで終わりだろ?」
「いえ、そういうわけにもいかないんですよ。アナタにはまだ協力してもらわないと……」
協力、という単語に宮間兄は首をかしげる。
「はあ? 俺に……何をさせるつもりだ」
「あの家に、どうしても入らせてほしいんです。そのためには……アナタの協力が必要なんですよ。ねえ、お願いします、太郎さん。少しだけでも家の中を見せてくれませんか」
「はっ、何かと思ったらそっちが目的か。いったい何がしたいんだよ。中には別にたいしたもんはねえぞ」
いぶかしげな目で宮間兄は梁子をにらみつける。
「別に……何かを盗ろうだなんて思ってませんよ。アナタは、あの家で暮らしていて何か異変を感じませんでしたか? 普段と違った気分になったとか……。もしそういう異変があったのなら、その原因を調べたいだけなんです」
「何言ってんだ? 異変?」
「あら、気付いてなかったんですか。あなたが殺人衝動を抱いてしまったのは、たぶんあの家が原因ですよ」
「なっ?! はあ?」
宮間兄は目を丸くした。どこからそんな話が出てきたんだといった表情だ。
「まだ詳しいことはわかりませんが……あの家にはそうした不思議な作用をおよぼす『何か』が、あるはずなんです。わたしはそれを調べて、できたらきれいさっぱりなくしてあげたいと思っています。でないと、アナタの次にあの家に住む人が、また同じような影響を受けてしまう……。ねえ、お願いします。家の中を見させてください、太郎さん」
「何を言ってる……お前、自分が何を言ってるかわかってんのか」
「はい」
「ふざけてる。頭おかしいんじゃねえか」
宮間兄は、さもばかばかしいといった態度で後部座席に背中を預けた。だが言われたことにまったく思い至らないわけでもなさそうだ。しかめっ面を崩さぬまま、真横の窓を見つめている。
たしかに、梁子の言ったことはかなり突拍子もない話だった。だが、梁子と千花、真壁巡査だけはその話の裏を知っている。この家がエアリアルの実験設備であり、住人に多大な影響を及ぼしていること、そして宮間兄がその被害を実際に受けていることを、理解しているのだ。
「太郎さん、変なことを言ってると思われてるでしょうが……どうか、お願いします。確認が済んだら、すぐ警察署にお連れしますから」
「なんだそりゃ。俺はできれば捕まりたくないっての。いったい今まで何人殺したと思ってる」
「それは……」
梁子が言いよどんでいると、かわりに真壁巡査が答えてくれた。
「合計四人、未遂は二件。お前に科される刑は決して軽くはないだろうな。普通に考えて極刑、か」
「そ。だから、どっちかって言やあ俺は今すぐ逃げだしたい気分なんだよ。捕まれば死刑……そんなのは誰だってごめんだ。お前らに付き合ってやってもいいが、その間にどうにかして逃げてやるぞ」
ニヤリと笑うが、梁子はそんな宮間兄の言葉をすっぱりと否定する。
「それは……真壁巡査が一緒にいますから、無理ですよ。それに万が一逃げ出せたとしても……わたしとこの子からは逃げられません」
梁子はちらりと横の千花に目くばせする。ハンドルから手を離して、千花は後方を向いた。その眼はとても昏く、視線の鋭さはとても十六歳の少女が放つそれではない。
真壁巡査と宮間兄はその迫力に思わず圧倒される。
梁子には、それが千花のものではなく、背後に潜むトウカ様からのものであることがわかっていた。梁子にも、いま同じようにサラ様からの気迫が加味されていることだろう。後方を千花と同じように見つめると、宮間兄は震えあがった。
「……わ、わかった。とにかく家に入りたい、ってことだな? 左のポケットに、ガレージの鍵がある。ガレージには……俺のバイクとこの車一台くらいなら停められるはずだ」
「……ありがとうございます。太郎さん」
お礼を言うと、さっそく真壁巡査が宮間兄のボディチェックをする。間もなくズボンのポケットから小さな鍵が出てきた。そこには小さな楕円形のプレートがついており、梁子はそれを真壁巡査から受け取る。
「じゃあ、開けてきますね」
車を出ると、後方には宮間の乗るバイクがすでに追いついていた。こちらを向くヘッドライトがまぶしい。梁子はガレージのところへ向かうと、シャッターを一つ開けた。
中は入って右側が2メートルくらい、一番左が6メートルくらいの奥行きで、横幅が10メートルほどというわりと広い空間だった。
台形というよりはほぼ三角形の敷地である。右手の方角はY字路の分岐点だ。
壁はコンクリート打ちっぱなしで、いたるところに工具の入った棚が設置されていた。小さな流しや洗濯機、ロッカー、真ん中には上へと続く金属製の階段があり、全体的に雑然としている。
横幅がかなりあるのでシャッターは三つもあった。梁子はその二つ目も開け放つ。
「みなさん、いいですよー」
合図を送ると、宮間の乗ったバイクは狭い右端に停められ、千花たちの乗る車は広いスペースのある左端に停められた。
梁子は壁際に置いてあった棒を手に取り、人目を気にしながらシャッターを地面まで下ろす。室内は外からの明かりが無くなってほとんど真っ暗になった。バイクと車のヘッドライトだけが壁際を照らしており、そのわずかな明かりの中で梁子は電気のスイッチを探す。
「えっと……これですかね」
ぱちんと左手のシャッター付近にあったスイッチを押すと、天井の蛍光灯がついた。
あたりを見回すと、宮間がヘルメットを脱いでいる。
「あ、宮間さん、お疲れ様です」
声をかけると、宮間はバイクのエンジンとライトを消してこちらにやってきた。
「上屋敷さん……兄の家に来たけど、これからどうするの? 話をするとかって言ってたけど」
「はい、それもそうなんですが……まずその前に探し物があってですね」
「探し物?」
「はい。宮間さんのお兄さんをおかしくさせた何かが……ここにあるはずなんです」
「なにそれ」
「いやその、それは……」
説明しようとすると、車の扉が開いて千花たちが降りてくる。
「あ、太郎さん。協力してくれてありがとうございました。さっそくいろいろ見させてもらいますね」
「……ふん、勝手にしろ」
真壁巡査に引きずられるようにしてやってきた宮間兄は、相変わらず不機嫌そうに応じる。彼はまわりの誰とも視線を合わせようとしていなかった。特に弟である宮間を見ようとしていない。
「兄さん……」
宮間は心底哀しそうにつぶやいた。
「どうして、こんなことをしてしまったんだ? ちゃんと更生して、やり直していると思っていたのに……」
「ふん、俺だってどうしてこんなことになっちまったのかわからねえよ。この街に越してきてから……自分でも抑えが利かなくなっちまったんだ……」
「……」
そう言いながら、すでに異様な目つきをしはじめている。宮間をはじめ、周りの者はその様子に息をのんだ。
梁子は何気なくガレージ内を見渡す。
業務用のステンレスのシンクが、バイクの後ろにあった。その前の壁には四角い鏡がかかっている。そこに、何かが映ったような気がした。
「え?」
一瞬だったが、人の顔のようなものが映っていた。
だれも鏡の近くには立っていない。ガレージ内の人間はすべて梁子のそばにいる。角度的にそちらには、狭い右手の壁やひとつだけある小さな窓しか映らないはずだった。
梁子は背筋が冷たくなった。
普段からサラ様などの不思議な存在と接しているが、幽霊のようなものを見たのははじめてだった。いや、きっと見間違いだと自分を納得させる。
「どうしました上屋敷さん? 顔が真っ青ですけど……」
真壁巡査がすかさず梁子の異常を心配してくる。
「あ、いえ、なんでもありません。あの……太郎さん、あの流しは普段お使いになっているんですか?」
「ああ」
「そうですか……」
近づくのもなんだか嫌だったが、梁子は念のため何か変わったところがないか確認しに行った。シンクの上には取っ手付きのたわしや、見慣れない洗剤が置かれている。
見たところ、うす汚れた普通の流しだった。けれど、しゃがれ声が耳元でささやく。
『梁子……この汚れを見ろ、これは人の血だ。それも一人や二人ではない。かなり古いのもある。あの男の前にもこの建物に住んでいたやつがなにかしでかしていたようだな』
「え? 太郎さんの前にも……ですか?」
『ああ。詳しい時期や人数まではわからないが……すでにあの女科学者の被害者は、この男だけではなかったようだな。この建物は呪われている……。河岸沢というやつは来なくて正解だったな。来ていたら、入った瞬間にぶっ倒れていたぞ』
「河岸沢さんは……なにかいろいろ見えたり聞こえたりする人ですからね」
『ああ……全体的にひどく嫌な気を感じる。この流しもそうだが、問題は上だな』
「上?」
天井に意識を向けた途端、梁子はなんだか重くてドロドロした、吐き気をもよおすような気分に陥った。
「な、なんですか、これ……」
『おそらくこれがこの建物のカラクリだろう。梁子、無理しなくていいぞ。この家はきっと「うまくない」。わしはどうにも食べる気がせん……。お前が体調を崩してまでやることではないぞ。そもそも、あの女科学者からはここまでやれと言われていないだろう』
「それは……そうですが」
たしかに、エアリアルからは「犯人をどうにかしてほしい」としか言われていない。この実験施設の処分については特に言及されていなかったのだ。このまま放置しておいてもいいのに、そうできないのは……きっとまた別の人間が住んだらとんでもないことになるとわかっているからだ。
梁子は気持ち悪さをこらえて、流しから離れた。
「本当に、大丈夫ですか? 上屋敷さん」
真壁巡査が、宮間を引き連れながら心配そうに声をかけてくる。
「ええ。大丈夫です、真壁巡査……。では太郎さん、上にもお邪魔させていただきますね」
そう言って、梁子たちは金属の階段を上っていった。




