4-23 5月6日
「あ、上屋敷さん! おはようございます」
私服姿の真壁巡査が走ってくる。
ダイスピザの前で待っていた梁子は、その姿を見つけると大きく手を振った。
「真壁巡査、こちらです」
「ここが……上屋敷さんの働いてらっしゃるところですか」
店の看板を見上げて、真壁巡査は感心したようにつぶやく。
梁子はなんだか親に授業参観に来られた時のように気恥ずかしくなった。配達中の姿をすでに何度も見られているのに、妙なものである。梁子は照れを隠すように先をうながした。
「あの……も、もう裏口にみなさん集まってますので、早く行きましょう。そこの通路の奥です」
「え? あ、ここですか? はい、あの……すみません遅くなってしまって。ちょっといろいろと準備していたものですから」
「準備?」
「ええ。万が一犯人と遭遇したときの装備というか……」
そう言いながら、真壁巡査は腰にぶら下げた縄の束を梁子に見せつける。
上は濃いデニムのジャケットに白いシャツ、下は同色のパンツと動きやすそうな格好だった。そのベルトの後ろの部分に縄が結わえつけられている。中くらいの太さの麻縄だ。
「手錠とか拳銃は持ち出せないので……せめてこれぐらいは、と。備えあれば憂いなしとも言いますからね。これ以外にも、いろいろ仕込んではいるんですが……あ、万が一ですよ、万が一。危険と判断したら対象に近づく前に応援を呼ぶつもりです。なので、自分が出張るチャンスはもしかしたらないかもですが……。あ、いえ、いざと言うときには頑張らせていただきますよ。その点はお任せください!」
そう言ってニヤッと梁子に笑いかける。
いつもの顔全体が崩れるような残念な笑みではなかったが、そのドヤ顔に梁子は少しホッとした。
この間言われたことが……脳内にリフレインしていた。それゆえ、相手の顔を長時間見つめていられない。梁子は、できるだけ平常心をこころがけようと以前の記憶をシャットアウトした。
「はい、あの……ありがとうございます。いろいろと準備してきてくださって。あの、時間の方ですが……ちょうど今9時ですし、遅れてはないですよ。みなさんが少し早すぎただけで。いつも店長が来る10分前には集まる習慣があるんです」
「そうですか」
「ええ。だから気にしないでください。あ、こっちです真壁巡査」
梁子は建物の脇をぬけて、裏口へと案内する。
そこには、濃い緑色のロリータ服を着た千花と、黒づくめの私服姿の河岸沢、そして青いチェックのシャツと黒いジーンズを身に着けた宮間がいた。
一同を見回して、真壁巡査はびしっと姿勢を正す。
「おはようございます、みなさん! 初めて見る方も……いらっしゃるようですので、改めてまた自己紹介させていただきますね。自分は大井住警察署の真壁、と申します。上屋敷さんとは……以前から知り合いでして。本日は休みをとって参りました。みなさんのお役に少しでも立てればと思っております。今日はどうぞよろしくお願いいたします!」
そう言って敬礼をする。
男たちはそれに対して微妙な反応を示していたが、そんな中、千花だけはトコトコと真壁巡査に近づいてきた。
「最終的に犯人を捕まえてもらえるなら、すごく助かる。ありがとう『真壁巡査』。こちらこそよろしく」
「い、いえ……」
ほぼ無表情の少女に見つめられて。真壁巡査は困惑した。助けを求めるように、ちらりと梁子を見やる。
「あの、たしかこの子……上屋敷さんのお友達でしたよね? 病院で会った……」
「ええ。大庭千花ちゃんと言います。あちらの河岸沢さんは……すでにご存知ですよね? あと、その隣にいらっしゃるもう一人の男性は……事件の犯人と思われている方の双子の弟さんで、宮間さんと申します」
「そ、そうですか。今日は……よろしくお願いします」
二人の男性に向かって改めて声をかけると、宮間は複雑そうな顔をしたが、会釈を返してきてくれた。一方、河岸沢はとても不愉快そうに顔をしかめている。
「俺ぁ今日は行かねえぞ。二日も店を開けられねえからな……あとはお前らでどうにかしろ。一応言っとくが、あの物件はろくなもんじゃねえぜ。せいぜい頑張れよ、上屋敷」
そう言い捨てると、立ったまま貧乏ゆすりをしはじめる。そんないつもの態度の河岸沢に梁子は深いため息をついた。
「はーっ。ホントに、なんていうか……すいません。ああ言ってますし、河岸沢さんは置いていきますね。向かうのはわたしと千花ちゃんと宮間さんと真壁巡査……この四人だけです」
「わ、わかりました。それで……上屋敷さん、その目的地ってのはどこなんですか? あと、どんなふうに行くんでしょうか。バスですか?」
「いえ。それについては……ここの店長にまた車を貸してもらう手筈になってます。真壁巡査、車の免許はお持ちですか?」
「えっと、一応」
「じゃあ、運転お願いいたしますね」
「わかりました」
しばらくすると店長の大輔が出勤してきて、車のキーを貸してくれた。
「すぐそこの駐車場に停めてあるんで、行けばすぐにわかります。白いワンボックスカーで……。あ、あの、お巡りさん」
「はい?」
急に深刻な顔をして声を落としてきた大輔に、真壁巡査は居住まいを正した。
「くれぐれもみんなが無茶しないよう、気を付けていてくれませんか。俺は、みんなが無事で帰ってきてほしいんです」
「……ええ、わかりました。必ず、みなさんを安全にお返しすると誓います。非公式な形ですが、警官として精一杯護らせていただきます!」
「そうですか。そう言ってくださって安心しました。では頼みましたよ、お巡りさん!」
バンバン、と真壁巡査の肩が叩かれる。
大輔なりに真壁巡査を鼓舞しようとしたのだろう。だが、やや勢いが強すぎている。毎日ピザを焼いているので、それなりに鍛えられているのか、かなり激しい打撃だった。
大輔はひとしきり叩くと、満足してくるりと踵を返す。裏口近くに突っ立っていた河岸沢を抱え込むと店の中へと消えていった。しばらくすると奥からは「よーし、今日はみんなの分もバリバリ頑張るぞー!」という気合の入ったかけ声が聞こえてくる。
「じゃあ、行きましょうか。みなさん」
梁子が微笑みながらそう言うと、一同は駐車場へと移動した。
※ ※ ※
5月6日。
それは、もう一度犯行が起きるならこの日だ、と千花が予見していた日だった。
当日になるまで、梁子は念のため監視を続けていた。
もちろん大学やバイトに行きながら、である。空いた時間を見つけては、ひっそりと例の建物を見に行った。サラ様にも手伝ってもらっていたが、結論から言うと日中はもとより、夜も怪しい動きは見受けられなかった。
ニュースでも例の事件の続報が流れることはなく、やはり一週間ごとの犯行周期なのかもしれなかった。
梁子たちは前回と同じY字路が良く見渡せる位置に車を停め、再度の監視を始めた。
満を持しての張り込みである。
今回は真壁巡査という警察関係者も加わっている。
これでしくじれば、また第6の被害が発生してしまう。一瞬たりとも気は抜けなかった。
交代で近くのコンビニにトイレ休憩に行く。
真壁巡査が車を離れる番になったとき、ふとこんな疑問を口にした。
「そういえば……自分が離れているときに動きがあったらどうするんです?」
梁子は前回のやり方を説明した。
「ああ、それは……千花ちゃんが代わりに運転して、追跡することになってます。この中で自動車の免許を持っているのは千花ちゃんだけなんですよ」
「へえ、見た感じとてもお若く見えますが……そのお歳で自動車免許をお持ちなんですか。すごいですね」
言われた千花は得意になって話しはじめた。
「ちなみに大型車の免許もある。16になる前から教習所に通って、16の誕生日を迎えた日に取得した」
「そ、そうですか……ゆ、優秀でらっしゃるんですね」
「家の仕事で必要だったし……新しい法律ができてから、ずっと挑戦してみたいと思ってたから」
「家の仕事、ですか? まあ近年、16歳からでも車の免許を取得できるようになりましたけど……まさかそれにすぐチャレンジなさろうとした方がいただなんて」
一瞬、千花の家のことについて疑問を感じたようだったが、真壁巡査はそれ以上に驚きが勝ったのか訊いてくることはなかった。
「絶対に物に衝突しない運転支援システム……それを開発した人は、本当にすごい。高齢者の事故も激減したし、何より千花の歳でも運転できるようになった。本来開発者っていうのは、こうして人の役に立つもの……なんだけど、ね」
「ええ、そうですね」
千花の言葉に、真壁巡査はもとより、梁子も深くうなづく。
三人ともエアリアルのことを考えていた。
エアリアルは……人々の役に立つようでいて、害のあるものを生み出そうとしている。それは科学者として、開発者として、あってはならないことだ。
宮間は何のことかよくわかっていないようだったが、真壁巡査はかまわず話を続ける。
「では、もし自分がいない間に何かあったら、大庭さんにお願いいたします。自分のことは遠慮なく置いて行っていいですから。あとから連絡いただければ、タクシーでもなんでも使って追いかけますし」
「わかりました」
「では、行ってきます」
そう言って、真壁巡査は車を離れていった。
そろそろ昼に差し掛かろうという時だった。梁子はお弁当を買って来てもらうのをはたと思い出して、後悔した。あわてて携帯端末で連絡をとろうとしたが、画面を前に手が止まる。
『どうした梁子。飯を注文するのだろう?』
サラ様が梁子だけに耳打ちをしてくるが、どうしても指が動かない。
あの声を……電話越しで聞いてしまったら。そう思うと急に動悸が激しくなってくる。以前、病院の前で言われたことを思い出す。
「この場で抱きしめたい」
あれから何度も脳内でリピートされてきた言葉だった。それがまたリアルな響きとなって甦りそうになる。梁子は顔を赤くして固まった。
「梁子さん?」
異常に気付いた千花が声をかけてくるが、梁子は何も言い返せなかった。
お昼は……次にトイレ休憩行く人に頼もう。
そう結論付けた梁子だった。
※ ※ ※
梁子がいままでしてきた五日間の調査で、宮間兄の行動はだいたい把握できていた。
仕事のある日は、朝から夕方まで出勤している。そして、毎週土曜日は一日休みという生活サイクルだった。試しに梁子は勤務先の新聞販売店にも赴いてみた。
サラ様の追跡能力で、その勤務先にたどりついたのである。
そこではひどく真面目に働く姿が確認された。
正社員ということでたまに遅くまで働いていることもあったが、おおむね同じ時間に出社し、同じ時間に帰ってくる。それだけみれば、弟とほぼ変わらぬ善良な市民であった。
今日はまだ、外に出てくる気配はない。
日がな一日、家の中でじっとしているのだろうか。そして、犯行の機会をひっそりと狙っているのか……。だとしたら、本当に嫌な性格である。陰鬱というか、それしかやることがないのかと言いたくなってしまう。
できればこのまま何も起こってほしくなかった。
宮間の兄が犯人だというのは、たんなる思い過ごしだった。そんな結果をつい望んでしまう。
だが、梁子たちの願いもむなしく……ついに動きがみられた。
時刻にして夜の7時きっかり。
一階のガレージがゆるゆると開いて、黒い大型のバイクが顔を出したのだった。
※補足「千花の免許取得年齢について」
2016年現在の道路交通法では、免許の取得可能年齢が普通自動車免許では満18歳以上、中型自動車免許は運転経験2年以上・満20歳以上、大型自動車免許では運転経験3年以上・満21歳以上となっていますが、この物語の舞台となっている20YY年では、車自体の性能が格段にあがっているため、両方とも16歳からの取得が可能となっております。
なお、自動二輪車については、車ほど性能があがっていないので2016年と同じ法律となっています(大型自動二輪車は18歳以上、その他は16歳以上)。
高齢者の事故、最近多くなってきましたよね……。自動ブレーキシステム等の性能がもっとあがって、早くこんな時代になってほしいものです。




