1-7 父と母の場合
「さてと。とりあえずこの大荷物を置いてきますか……」
サラ様をお堂に還した梁子は二階へ向かった。
屋敷には南と北に二か所、階段があるが、梁子は自室に近い南の方をのぼる。
幅広のよく磨きこまれた木の階段を駆け上がると、南向きの大きな部屋が左手にある。
そこが梁子の部屋だった。
広さは16帖ほどとなかなかに広いのだが、入ってみると足元はチラシや本の山で埋め尽くされている。
「よいしょっと!」
その中央に乱暴に荷物を置くと、梁子はさっそくトートバッグからスケッチブックを取り出して机に向かった。
入り口が北だとすると、南側には大きな窓が三つあり、西側にはクイーンサイズのベッドが置かれている。
北から東にかけての壁には建物や間取りに関する書籍が天井一杯まで収納されていた。
机は部屋の中央に向けて置かれており、その上にもいろいろな本が山のように積まれている。
カリモクのゆったりとした椅子を引き寄せて、梁子はスケッチブックを開いた。
「うへへ、うへへへへ……」
何度見ても面白そうな家である。
今日訪れた奇妙な洋館。
梁子は、己の描いた絵に見とれているわけでは決してない。
あくまでどんな間取りなのかと、不気味な笑い声をもらしながら妄想しているのだ。
「ああ、そうそう。忘れないうちに記録しておかなくては。今日入ったのが裏口でしたから……位置的に通されたリビングがここですよね……あそこにはキッチンがありましたし……うへへへへ」
まっさらな新しいページをめくると、梁子は手早くそこに実際の間取りを描きこんでいった。
ほぼ正確な広さと、細かな特徴までどんどん書き足していく。
そして、その先は「想像」だった。
「4人お住まいでしたから、きっとあの方はこのあたりがお部屋ですね……あ、階段はこうなっているでしょうね……あと反対の部屋は……」
ものすごい速さで梁子の手が紙の上を走る。
その速さでもってしても線が乱れたり正確さが失われることは全くない。
あくまで丁寧に、そして恐ろしいほどの精密さで絵は完成していった。
狂ったように作画を続けていると、ピンポーンとインターフォンの音がした。
「ん? 父さんですかね?」
梁子はぴたりと手を止めると、席を立った。
玄関に行ってみると、はたしてそこには梁子の父、大黒がいた。
ゆかも出迎えにきており、大黒の上着を脱ぐのを手伝っている。
出かけた時とほぼ変わらないピシッと整ったグレーのスーツに、黒いコート。
細めの黒縁眼鏡の奥で光る目は、まるで殺し屋並みの鋭さである。
母であるゆかはいったいこの強面の男のどこにホレたのだろう。
梁子は甚だ疑問だった。
サラ様のおかげで起業した建設会社は成功し、収入は人並み以上、いやかなりあるといっていい方だ。
だが、自分だったらこんな体格も大きくて恐ろしそうな男の妻にはなれそうもない。
「おかえりなさい、父さん……」
「ああ、ただいま梁子。そうだ、今日はいいものを土産にもってきたぞ」
「なんですか?」
「これだ」
そう言ってスーツケースから取り出したのは、数枚の紙だった。
「社内のコンペで提出されたある施設の企画書だ。なにかお前の参考になればいいと思ってな。良かったら持っていなさい。本当は社外秘だが、すぐに世に出る物でもあるからな。一応、大事に『保管』しておきなさい。できるね、梁子」
「はい。ありがとうございます! うーん現場の生きた間取り……これでご飯三杯はいけます!」
「ははは、ご飯……三杯? まあ、喜んでもらえたようでなによりだ。さて。サラ様をお堂にお還ししてくるか」
「はい。では戻られたらお夕飯にしましょう、あなた」
「ああ」
「サラ様、本日もお疲れ様でございました。ありがとうございます」
「ありがとうございます、サラ様……」
ゆかと梁子は大黒の背後に向かって深くお辞儀をする。
大黒にもサラ様の分霊とも呼べるものが憑いている。
本体はお堂の中にある御神体であり、その精神が枝分かれして、それぞれ外に出る上屋敷家の者を守っているのだ。
なので、ゆかも買い物などで出かける際は、サラ様の加護を得るためにお堂に寄ってから出るようにしている。
このような特殊な屋敷神を持つ家は、梁子の知る限り、付近では上屋敷家とあと二、三軒ぐらいしかない。
全国の屋敷神は、その多くは稲荷神や山の神、土地の神などを祀っている。
しかし、上屋敷家のように蛇神と祖先の霊を寄り合わせた神というのは珍しい。しかも『秘法』を使っている。
梁子の親戚には、藤の木の精という自然霊を祀っているところもあるが、それ以外の特殊な屋敷神についてはいっさい謎だった。
秘法は秘法であるために、あまり広くは知られていない。
みんながみんなそれを行えば、富が自分のところだけに集まることはないからだ。
梁子や大黒は、富とそして家族の安全を手に入れる代わりに、自らの魂を死後にサラ様に献上することが決まっていた。
そして、その配偶者も……。
母は怖ろしくなかったのだろうか。
いくら死後とはいえ、自分という存在が吸収されてなくなってしまうのに。
その間、成仏とか仏教でいうところの輪廻転生などはありえない。
こんな家に嫁ぐことに、不安はいっさいなかったのだろうか……。
「わたしは、この家に生まれたから……この家のしきたりを受け入れてきたけれど……。他の家の、普通の人はこの家のことをどう思うのでしょう……? 母さんは……どうして父さんと……」
廊下の奥へ去っていく母の背中を、梁子はなんとなく見つめていた。
【登場人物】
●上屋敷大黒――梁子の父親。株式会社マルカミ建設の社長。見た目が怖い。
●上屋敷ゆか――梁子の母親。専業主婦。怒ると怖い。