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上屋敷梁子のふしぎな建物探訪  作者: 津月あおい
4軒目 犯罪者の棲む家
88/110

4-21 美空の両親

 夕暮れの空が、窓一面に映っている。

 梁子と千花は早足にその建物の中へと入っていった。六階建ての大きな建物、大井住市立病院――。廊下にある案内板の通りに進む。向かうは美空みくのいる『集中治療室』である。そして、その部屋の前には、ある人物が……。

 そう考えたところで、梁子はぴたりと足を止めた。


「どうしたの? 梁子さん?」


 首をかしげながら千花が訊いてくる。

 なんだろう、この胸の高鳴りは。急にドキドキしてきてしまった。真壁巡査の姿を一瞬想像しただけなのに。胸を押さえながら、梁子はそっと廊下の角の向こうを覗き込んでみた。


 ……いた。


 直立不動で部屋の前に立っている。

 真壁巡査は、廊下を行き来する人に視線を送って、目が合った人には時折お辞儀をしたりしていた。いたって真面目な仕事ぶりである。


「あ……なんでもありません。行きましょう、千花ちゃん」


 ふう、と気持ちを切り替えるようにして息を吐き、歩き出す。


「お疲れ様です、真壁巡査……」


 思い切って声をかけると、真壁巡査は晴れやかな顔でこちらを向いた。


「あ、上屋敷さん! お帰りなさい!」

「……なんだろう。なんだかうちの不二丸みたい」


 すぐに千花が隣でつぶやく。たしかに飼い主が帰ってきて喜ぶ犬のようだった。だが梁子はあえて聞き流す。犬、などと失礼なことこの上ない。相手に今の意味を知られたらいったいどんな風に思われるか……おそるおそる見ると、真壁巡査はよくわかっていないようで、きょとんとしていた。


「ん? どうしました?」

「ああ、いえ、なんでもありません」


 梁子はあわてて首を振る。すると、真壁巡査は急にぴしっと敬礼してきた。


「調査、ご苦労様でした。こちらは特に異常はありませんでした、ご安心下さい」

「そう……でしたか。ありがとうございます、真壁巡査。今までずっと、警備されてたんですか?」

「いえ。あのあと一度、派出所に帰りました。そして早朝また、こちらに戻ってきたんです。自分はそろそろ別の警官と交代になります」

「そうですか……」


 そこまで言って梁子は黙ってしまった。

 突如、真壁巡査の熱い視線とぶつかってしまったからだ。

 まただ、また妙な動悸がしてくる。それを隠そうとするのだが、うまくいかない。真壁巡査は何故かハッとして視線をそらしてきた。


「す、すみません……無遠慮に見てしまって」

「い、いいえ……」


 平常心、平常心と心の中で唱えながら、梁子は呼吸を落ち着ける。なんだかいつもみたいにうまく息が吸えない。いったい自分の体はどうなってしまったのだろう。おかしい、と思いながらどうにもできなくて焦る。

 

「あの、上屋敷さん……先ほどはメールでご報告ありがとうございました。まさか、犯人が上屋敷さんの身近な方だったなんて……驚きです。いったいどうやって見つけたんですか?」


 話題を向こうから提供してくれたので、梁子は助かったと思った。これ以上沈黙が続いていたら、きっと耐え切れなかっただろう。できるだけ冷静になろうと梁子はその話に集中する。


「ええと……それは、サラ様のおかげで……」

「え? サラ様? たしかその名前、昨日も……もしかしてそれが、上屋敷さんの家の神様なんですか?」

「はい」


 真壁巡査はまわりの人に聞かれないよう、小声で尋ねてきてくれた。その配慮が嬉しい。


「そのサラ様のお力で……つきとめたんです。犯人の姿も、素性も」


 正確にはもう一人の功労者、ゲンさんによるところが大きいのだが、そちらについては黙っていることにした。時間の妖精について説明しようとすると、必然的に美空とのことも話さなければならなくなる。梁子はまたひとつ嘘を重ねた。仕方ないこととはいえ、胸の奥がツキンと痛む。


「そうですか……そんなこともできるのですね。上屋敷さん、その『方法』について、自分は詳しく聞いておいた方がいいですか?」

「いえ。たぶん、お話しても真壁巡査にはよくわからないと思いますし……知らないでいた方が良いと思います」

「そうですか。でしたら……お聞きしません」

「すみません。とにかく、それでわかったことを、今日は確かめに行ってたんです。結果、よりその人が犯人らしいという疑いが強まりました」


 宮間のことを思うと梁子はつらかった。宮間の兄が犯人であれば、彼をまた傷つけてしまう。けれど、美空のためにも、みんなのためにも、梁子はその相手を捕まえないといけなかった。エアリアルの計画も阻止しなくてはならない。そのためにも……梁子は強くそう思いながら、真壁巡査を見る。


「あの、真壁巡査……。昼間、ご助言いただたときにも言いましたが、やはりこの件を刑事さんにはお伝えできません」

「えっ、ええと、それは……容疑者が上屋敷さんの仕事仲間のご家族だからというのと、警察に介入される前に片づけたい問題があるから、でしたよね? たしか」

「ええ、それもありますが……他にも言えないわけがあるんです」

「言えない、わけ?」

「はい。わたしたちはそもそも『時間的に犯人とは接触していない』人間なんです。犯人が美空さんの家を立ち去ってからわたしたちが駆け付けた……ということは、わたしたちは『犯人を見ていない』ってことです。それなのに、そんなわたしたちが犯人と思われる人物に心あたりがある、と言っても……有力な証言だとはみなされないでしょう。むしろ、逆に疑われます」

「疑われる?」


 オウム返ししかしてこない真壁巡査に、痺れを切らした千花がついに口を出してきた。一息に説明しはじめる。 


「そう。疑われる。千花たちは第一発見者。第一発見者というのは、そもそも容疑者の一人になりうるべき存在。今回は被害者が生存していたからたまたま疑われなかったけど、不審な点が多ければすぐさま容疑者だって断定される存在なの」

「ええっ! そ、そんな……いくらなんでもそれは……」

「ううん、ありえる。美空さんが命を落としていたら、確実に千花たちは容疑者になっていた。今も、さすがに実行犯だとは見られてないと思うけど、共犯者としての可能性は、まだ残っていると思う」

「そんな。だって、あなたたちは小泉さんのご友人でしょう? 小泉さんだって、あなたたちが犯人だなんて……」

「そう。誓って言うけど千花たちは犯人じゃない。でも、捜査するプロだってあらゆる可能性を捨てたりはしない。だから……」


 千花が梁子を見る。梁子はうなづいてその言葉の続きを言った。


「ええ、ですから、うかつなことは言えないんです。どうやって知ったかって訊かれて、答えられないようなことは……」 

「そうですか……わかりました。今日、刑事から呼び出しはありましたか?」

「いえ。来るかと思って待ってたんですが……一度も連絡はありませんでしたね」

「さっきまでやつら、ここに来てたんですよ。小泉さんにお話を伺ってました」


 身内だろうに、真壁巡査は梁子たちが疑われていることに腹を立てているようだった。わずかにしかめっ面をしている。


「美空さんに……ですか? まあたしかに、今のところ彼女だけですからね、犯人の姿を見た人物は。優先順位としてはわたしたちよりも上なのでしょう……」

「たぶん上屋敷さんたちは、明日以降だと思います」

「ええ、明日かもしれませんし、もっと先かもしれません。とにかく、刑事さんたちがこちらに来たというのなら、わたしたちも美空さんにお会いできそうですね……ちょっと、行ってきます」

「あ……はい」


 梁子は名残惜しそうな真壁巡査の顔を一瞥すると、集中治療室に入っていった。

 千花も後からやってくる。

 昨日と同じベッドに美空は横たわっていた。点滴の管が取り付けられ、相変わらず包帯が首に巻かれている。美空はこちらに気付くとベッドのリクライニングを上げて体を起こした。


「美空さん! 起きて大丈夫なんですか?」


 にこっと笑うと、美空は枕元に置いてあった小さな落書き帳とペンを取って、何か書きはじめる。


「筆談?」


 千花が尋ねると、美空は落書き帳を梁子たちに見せてくれた。


『しゃべると傷口が開くからって、先生が』

「無理しないでくださいね、美空さん」


 梁子の気遣いに、美空は軽くうなづいて笑う。

 

「本当にすみません、美空さん……わたしたちだと思ってドアを開けてしまったんですよね……ゲンさんから聞きました」


 落ち込む梁子の姿を見た美空は、急いでペンを走らせる。


『なんで梁子が謝るんだよ』


 梁子、の文字がきちんと正しい漢字で書かれていたこと、そして、美空の優しいフォローに思わず涙が出てきてしまった。


「だって……わたしと出会わなかったら、美空さん扉を開けなかったかもしれないじゃないですか。だから……」

『あなたが謝るのは、お門違いだよ。悪いのはアタシを襲った犯人だ』

「でも……」


 言葉を続けようとする梁子に、千花が言う。


「梁子さん、まだそんなこと言ってるの? もう、美空さんからももっとガツンと言ってあげて」


 美空は困ったような笑顔を浮かべると、さらさらとまた落書き帳に書きはじめた。それを梁子も千花も上から覗く。


『だから、あなたは何も悪くない! 悪いと思うなら、またうちの掃除してくれないか?』

「美空さん……そんなことでいいんですか?」 

『ああ。前の、とても助かったからな。それに今、家は誰もいないだろうし……戸締りとか見てきてくれる? 玄関のカギはリビングの』


 そこまで書いたところで、急に集中治療室に誰かが駆け込んできた。スーツをぴっちり着こなした中年の女性が、大きな荷物を重そうに運んでいる。まるで旅行帰りのような装いだ。

 部屋にいた看護師に案内される形で、その女性がこちらにやってくる。


「美空! ああ、美空! 大丈夫なの!?」


 急に大声で呼ばれた美空は目を大きく見開いていた。その様子に、梁子もハッとする。


「え? あ、もしかして美空さんの……?」

「あ、ああ……すみません、申し遅れました。わたしは美空の母の洋子と申します。もしかして、あなたたちは……」

「はい。ええと、美空さんの友達……です」

「ああ、やっぱりそうでしたか。あの、娘を助けていただいた方ですね? このたびは本当にありがとうございました。この子ったらいつの間にお友達を……ああ、それにしても良かった。ああ、美空……」


 アイボリー色のスーツを着た女性は、そっと美空の体を抱きしめた。いきなりのことで美空は目を白黒とさせる。梁子は美空のかわりに洋子にいろいろと説明した。


「あ、あのお母様。美空さんは今、首の怪我をされていて、しゃべれない状態なんです。なので……こう、筆談をされているわけなんですが……」

「ああっ、そうだったの。ごめんなさい。こちらの警察から連絡があって、すぐに飛行機に飛び乗って来たものだから。まだ気が動転していて……。本当に、家を空けている間にこんなことがあっただなんて。ああ、ごめんなさい。ごめんなさい、美空……」

「……」


 美空は複雑そうな表情をしていた。今までずっとひとりにされてきた恨みやら、それでも命の危機と知って駆け付けてくれた嬉しさやらが、ない交ぜになっているようだ。

 梁子はなぜかホッとした。

 ずっと放置はしていたものの、子に対する愛情がなかったわけではないのだ。


 久々の再開シーンを微笑ましく見ていると、そこへもう一人、見知らぬ男性が駆け込んできた。


「おい、美空! 美空はどこだ!」

「あなた……」


 スーツケースを抱えた、同じく旅行帰り風の男性は、洋子の姿を見つけると急ぎ足でこちらへやってきた。おそらく美空の父親だろう。


「美空……美空なのか? ずいぶん、大きくなったな……。すまない! ずっと仕事にかまけてしまっていた! その罰が、きっと当たったんだ……。だが、なんで俺じゃなくてよりにもよって美空に……くそっ! しかも、こんなふうにならなけりゃ帰ってこれないなんて……なんて俺はダメな父親だ! すまない、すまない美空……!」


 まさかこんな言葉が聞けるなんて、という顔で美空はぽかんと口を開けていた。あまりのことに頭がついていっていないようだ。

 父親は美空のベッドのそばに跪き、後悔のあまりか布団に顔を押し付けていた。だが、ふっと顔をあげる。


「あ、そうだ! その……君たちは、誰なんだ?」


 見知らぬ女性が二人そばにいるのを不審に思ったのだろう。梁子たちを見て首をかしげている。


「あなた、こちらの方々は、美空を助けてくれたお友達です。あなたからもちゃんとお礼を言って」

「あ……そ、そうだったか。すまない。私は、美空の父で……いや、父っていうほど父親らしいことをしてきてないが……小泉善行(よしゆき)と言います。今回は本当にありがとう。どれだけお礼を言ったらいいのか……」


 あまりに丁寧に腰を折るので、梁子たちは恐縮した。


「いえ……わたしたちは何も」

「そんなことはない。君たちがいなかったら美空は……美空は……」


 そう言って、善行は涙目で美空を見つめた。美空はそんな想いをうまく受け止めきれないようで、なんとなく視線を落とす。


「じゃあ、美空さん。ご家族で積もる話もあるようですし、わたしたちはこれで……」

『ちょっと、待って、まだ』


 さらさらとそう書いているのを見つつ、梁子たちはその場を離れることにした。どんな思いがあるにせよ、あとはあの家族の問題だ。梁子はバッグの中をちらりと見た。そこにはずっと隠れて様子をうかがっていたゲンさんがいた。


「美空、良かったですね……。ご両親はあなたを嫌いなんかじゃなかったんですよ……」

【新しい登場人物】

●小泉善行(よしゆき)――美空の父親。50代前半。海外に長く単身赴任している。

●小泉洋子――美空の母親。40代後半。善行とは別の国に長く単身赴任している。

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