4-16 両親の心配
「ただいま、戻り……ました?」
自宅に帰ると、パジャマ姿の両親が玄関で仁王立ちしていた。
梁子は気まずい思いをしながらも靴を脱いで中庭へ行こうとする。
「えっと……と、とりあえず、サラ様をお堂にお戻ししてきます……ね」
「待て梁子! それはあとでいい! それより今日! 何があったのか、今、ここで詳しく教えなさい!」
「はい?」
「わかっているんですよ、梁子さん。あなたの帰りがあまりにも遅いので……わたくしと大黒さんで『お堂に残っていらっしゃる方の』サラ様にお訊きしたんです。そうしたら、かなり大変なことになってるみたいですね?」
「えっと……」
その口ぶりだと、どうやらエアリアル博士のことや、彼女を殺す計画やら、いろいろ知られてしまったようだ。
どう説明しようかとぽりぽり頭を掻いていると、母親のゆかがさらに問い詰めてくる。
「大学から帰ってきたと思ったら、また夕飯の後に出ていかれましたけど……。たしかその時には『小泉美空さんていうお友達と、大庭家の千花ちゃんと三人で映画を観に行く』っていう話でしたよね? それがどうしてこんなに遅くなるんですか? もう、一時半ですよ? 午前様です! 映画にしたって少々長すぎませんか? いったい何があったんです」
「いや、それはその……」
しどろもどろになりながら話そうとすると、父親の大黒がぶるぶると震えながら叫ぶ。
「梁子! それよりも父さんはビックリしたぞ! 梁子に友達ができていただなんて……! 俺は今日、それを初めて知った! なんでそれをすぐに教えてくれない?!」
「え? そ、そこですか?!」
「そうだ。すごくめでたい話じゃないか。しかも大庭家の千花ちゃんともそんな仲に進展していたとはな。嬉しいことだが、俺はまったく聞いてないぞ! いつのまに……」
「大黒さん? ちょーっと、黙っててください……ね?」
ゆかが、がしっと片手で襟首をつかみながら天使のような微笑みを向ける。すると、大黒は急に大人しくなった。しゅんと小さく肩をすくめ、一歩下がる。
なぜだろう。
優しいいつもの笑顔のはずなのに、ゆかから立ち昇る威圧感が半端ない。
梁子はまた面倒くさいことになったなあと思いながらも、今日あったことをかいつまんで話すことにした。かくかくしかじか。
「……というわけです」
「そうでしたか。そのようなトラブルに見舞われていたのですね。それにしても、そんな事件が起こっていただなんて。美空さんという方は……本当に大変でしたね」
「ええ。わたしと知り合ったばかりに……巻き込んでしまいました」
「……」
また、弱音を吐いてしまった。
叱られるだろうか。それとも、千花たちと同じようにお前のせいではないと言ってくれるだろうか。
だが、ゆかが言ったのは意外な言葉だった。
「そうですね。あなたのせい、ですね」
「母さん……」
「あなたがその博士と出会わなければ、そして、その小人さんに出会わなければ、その美空さんとも出会わなければ……こんな悲劇は起こらなかったかもしれません」
「はい……」
「ですが、人は生きていればみなそういった出会いがあるものです。意図的に引き合わされることだって、あります。わたくしと大黒さんだって……サラ様に引き合わされたのですから」
そう言って、ゆかは大黒を愛しそうに見つめる。
「学校だってそうです。クラス割は教師が行います。誰と誰が同じ場所に集うかなんて、結局は誰かが決めてることなんです。会社もそうです。面接でその会社に受かるかどうかなんて、面接官の裁量ひとつで決まります」
「母さん?」
「つまり……『意図しない出会い』というものは、どこにだって転がっているということです。その博士の仕業だけじゃないですよ。そして……その出会いには必ず『責任』が付きまといます。梁子さん? あなたは仕組まれたことであったとしても、最終的にその家に行こうと決めたのはあなただったんですよね? だったら、美空さんとのことはあなたが『責任』を持たなくてはいけません。その『責任』さえ果たせるのならば、なにも悩むことはないのですよ」
「責任……ですか?」
「ええ。あなたは、あんなことになった美空さんのことを、もう自分とは関係ないと放っておけますか?」
「そ、そんなこと! できません! どうにかして犯人を捕まえて、謝罪させるまでは! 放っておくなんて、絶対にできません! 犯人には……あんなひどいことをしたのを死ぬまで後悔させてやります!」
梁子は強く首を振って叫んだ。
「良い覚悟です。であれば、あなたは責任をとろうとなさっているのですね」
「えっ? わたしが、責任を……ですか?」
「ええ。クラス替えで問題が起こったら、教師が。会社の新人が問題を起こしたら、その会社の人事が。家族の誰かが問題を起こしそうだったら、残りの家族が。その責任をとらなくてはならないんです。責任、というと堅苦しいですが……要は先行きを心配して、問題解決のために奔走するということです。あなたは……それをなさろうとしている。だから、大丈夫ですよ」
「母さん……」
「それをしようとしない人間は……誰かと出会っても常に自分とは関係ないと思う、人でなしです。わたくしは、梁子さんにそんな人間になってほしくありません。そのエアリアルという博士はそういう部類に入るのでしょうが……」
「なるほど。たしかに」
梁子はエアリアルの行動を思い出すと、ひとり納得した。
「わたくしと大黒さんだって、あなたのために責任を果たそうとしていたんですよ? まあ、親として、当然の行いですが」
そう言って、これみよがしに腰に手を当てて、ふんぞり返ってみせる。
そんなゆかを真似して、大黒も隣で同じように仁王立ちした。二人ともふんすと鼻息を荒く吐く。
梁子はすとんと胸に落ちた。
そうか。この両親は、ずっと梁子が帰ってくるまで寝ずに待ってくれていたのだ。それだけ心配していたのだと、自分にわからせるために。そして、梁子の行動がこれ以上行き過ぎないよう、何か一言釘でも刺そうとしていたのだ。
それが、この二人の責任のとり方……。
梁子は口元がほころびそうになるのをこらえて、深くお辞儀した。
「ありがとうございます! 父さん、母さん……。あと、ご心配おかけしてすみませんでした。でも……わたしがこれからやることは……どうかそっと見守っていてほしいんです。毎日どこで何をしているかも、できればサラ様に聞いてください。その……わかっているとは思いますが、今後詳しいことはいちいち報告できないんです」
「ええ、わかりました」
「絶対に連続殺人犯も捕まえるし、博士の計画も阻止してみせます! ですから……」
「もう、梁子さんたら。わかりましたと言ったでしょう! 本当に、おバカさんですね!」
「ああ。これじゃいくら心配したってきりがないな!」
「……え?」
顔を上げた途端、二人がぎゅっと抱擁してきた。
19歳になってこれは恥ずかしすぎる。けど、梁子は我慢した。
しばらくこのままでいてあげよう。そう思ったのは、なんとなく両親の気持ちがわかったからだ。
「気を付けてくださいね?」
「絶対負けるんじゃないぞ?」
励ましの言葉が耳もとでささやかれる。
「……はい」
母親と父親の腕の中で、梁子はそっと目を閉じた。心配かけた分だけ、かならずこれはやり遂げなければならない。梁子がそう決意した傍らで、すうっとサラ様が姿を現す。
『ゆか、大黒……案ずるな。梁子は、必ずわしが守ってみせる。この命に代えてもな……』
深い闇が広がる。
梁子はなぜかそう感じた。なぜだろう。どこも暗くないのに。玄関も廊下も明るいのに。サラ様から真っ黒なものが押し寄せてくる……そんなイメージを抱く。
相変わらず、美しい容貌だった。白銀に輝く豊かな髪、真っ白な着物。長いまつげ、陶器のように滑らかな肌。宝石のように碧く透き通った瞳……。それなのにどうして、その体から墨汁のようなものがにじみ出ているように見えるのだろう。
「サラ様?」
不安になって梁子は声をかける。
だが、サラ様はどんどんその黒いものに覆われていってしまった。
『ゆかもいいことを言うようになったわい……。わしも、その責任とやらを果たさねばな……』
冷たい汗が背中を伝う。
「どうしました? 梁子さん」
「梁子?」
両親の声で梁子はハッとした。サラ様はすでに姿を消している。今の声も、どうやら梁子にしか聞こえていなかったようだ。
「い、いえ……。サラ様を、お堂にお戻ししてきます」
言い知れない不安感を抱きながら、梁子はお堂へと向かった。