4-15 犯人の手掛かり
梁子と千花は、病院の外に出た。
そこには広いロータリーがあり、まるで駅前のようにタクシーをプールするスペースやバス停が併設されている。ここは地域住民の健康を司る重要拠点だ。そのため市民がアクセスしやすくなっている。
梁子たちは自宅方面へ向かうバスがあるかどうかを探した。
だが、あいにくと最終バスは行ってしまった後だった。
夜風が肌寒く感じる。
ロータリーの向こうには、市を南北に貫通する大通り《メインストリート》があった。その歩道に植栽された葉桜の大木の向こうには、大きな建物が群立している。それは梁子たちが通う巨大複合教育施設、大井住学園だった。
まだ学生や教授たちが残っているのか、いくつかの窓には明かりが灯ったままである。こんな遅くまで何に没頭しているかは知らないが、ご苦労なことだった。あのどれかに、エアリアルの研究室もあるのだろうか。
梁子はそれを忌々しい思いで見つめる。
「梁子さん、これからどうするの? 犯人を捜すって言ってたけど……」
ふいに千花が尋ねてきた。
「とりあえずは、美空さんの家に戻ろうと思います。何か少しでも手がかりを探しておきたいので……」
「うん、千花もそうしようと思ってた」
「では調査したそのあとは……いったん家に帰りましょうか。もう遅い時間ですし、千花ちゃんも疲れたでしょう。エアリアルさんとは一時休戦となってますから、しっかり休んで、明日から本格的な捜索を開始しましょう!」
「うん。なんか……探偵ごっこみたくなってきたね」
「ええ。ごっこじゃなく、本気でやらなきゃいけないやつ……ですけどね。あ、そういえば明日って日曜日……でしたっけ?」
「うん、そうだよ」
「いけない! バイトがあるんでした……ああ、それもお休みの電話を入れておかないと」
「はあ……本当、博士が憎たらしいね。こんなことになるなんて……」
「本当です。それじゃあ、行きましょうか」
ロータリーにはタクシーも来ていなかったので、梁子たちは歩いて小泉邸へと向かう。
30分ほど歩いて、ようやく見慣れた家の前に到着した。
小泉邸の周囲には誰もいなかった。黄色いテープで、門と玄関に規制線が張られている。
鑑識などのおおかたの捜査が終われば、あとは引き上げるだけである。
梁子は、そのテープを触りながらサラ様に話しかけた。
「サラ様。ここから、犯人の足跡ってたどれますか? 正吉さんを探したときみたいに」
『顔も背格好もわからぬ相手ではな……。一度でも目にしておれば違うだろうが』
「あの、梁子さん……」
急に声がしたのでそちらを見ると、バッグの中から小人のゲンさんがにゅっと顔を出していた。
まだ本調子でないのか頭を抑えながらこちらを見上げている。
「ゲンさん! 気が付かれたんですか?」
「あ、はい……。限界まで力を使っていたようで、少し意識を失っていました。あの……み、ミクは?!」
「ああ、大丈夫ですよ。奇跡的に一命を取り留めました。今は大井住市立病院で安静にしています」
「そ、そうですか! 良かった……」
ホッとしたのか、思わず目元に涙を浮かべるゲンさん。その様子を梁子と千花は感慨深げに見つめる。
「あの……ゲンさん、駆け付けたときはあまりお伺いできなかったんですが……いったい何があったんですか? 犯人は、いったいどうやって家の中に?」
「あ、はい。あの時……梁子さんたちが帰られてからすぐ、ドアチャイムが鳴ったんです。ミクは梁子さんたちが戻ってきたのだと思って、なにも気にせずに玄関を開けてしまいました。そしたら、ヤツが……」
「……!」
梁子はやはり、想像通りのことが起こっていたのだと知ってショックを受けた。
なんてひどい仕打ちだろう。美空は……何も悪くない。ただ自分たちが帰ってきたと思ってしまった。それが、ドアを開けた原因だった……。
一番悪いのは犯人だとはわかっていても、やはり心が痛む。
どんなに千花や真壁巡査がフォローしてくれても、それは変えようもない事実だ。
「犯人は……どんな人でしたか」
梁子は拳を握りしめて尋ねる。
「一瞬、見ただけですけど……全身真っ黒な服を着た人でした。上と下がつながったような服で、頭には黒いヘルメットを着けてました。オイラ、街で見たことありますよ。ああいう恰好はよくバイクに乗ってる人がしています」
「バイク……?」
「ええ。ミクが切りつけられてすぐ、悲鳴を聞いたオイラは玄関に駆け付けたんです。するとそこにいた犯人はびっくりして、すぐ逃げていきました。そりゃそうですよね。こんな小人がいきなり目の前に飛び出してきたんですから。異様な事態に驚いたんでしょう。でも、そのあとすぐ……外でバイクの走り去る音が聞こえてきました。おそらく、犯人はバイクを運転してきたのだと思います」
「そうですか……。ゲンさん、顔とかはわかりませんでしたか」
「はい……ヘルメットをかぶってましたので、あいにく。ただ、そのときの時間を再生させることができますから……実際に梁子さんたちに見てもらえば、背格好とか何かわかるかも……」
意外な提案に梁子は目を丸くする。
「えっ? そ、そんなこともできるんですか? ゲンさんって、時間を止めることしかできなかったんじゃなかったんですか」
「そんなこと……一言も言ってませんよ? オイラは時間の妖精。時間を『操る』能力を持ってるんです。ただ……時を遡るのは、止めるときとは少し違って難しいです。過去の時間を垣間見るためには、オイラや梁子さんたちの意識を、現在の時間から切り離さないといけないんです。つまり、体はここのまま。意識だけの逆行となります。この技は……それほど難しいんですよ」
「よ、よくわかりませんが……できるならやっていただけませんか。もしその犯人の姿がわかれば」
『そうだな。姿を見れば、わしが追跡できるようになるかもしれん』
梁子の言葉を受けて、サラ様がそう言い放つ。
その声は周囲にも届いていたようで、ゲンさんは感嘆したように大きくうなづいた。
「わかりました。やはりすごいですね! あなた方は……。頼もしいです。この『巻き戻し』の技は大量に力を使うので、またオイラは気絶してしまうかもしれませんが、それでもやってみる価値はありますよ。ではさっそく行きます!」
両手を前に伸ばして目を閉じると、ゲンさんが時間を操作しはじめる。
ぐにゃり、と視界がゆがむと、梁子たちは一瞬で数時間前の小泉邸の前にやってきた。
意識だけ逆行するということだったが、体は透けているでもなくそのままの状態だった。とくに先ほどとの差異は感じられない。だが、目の前にはもう一組、梁子と千花の姿があった。
「あっ、わ、わたしたち……です!」
「うん。千花がもう一人、歩いてる。不思議……」
二人は驚きの目でもう一人の自分たちを見つめる。
過去の梁子たちは当然、未来から来た梁子たちの姿や声に気付くことなく、目の前を通り過ぎて行った。そして姿が見えなくなったところで、左手から一台の黒いバイクがやってくる。
梁子はそのバイクになぜか見覚えがあった。
「あれ? あのバイクどこかで……」
考えがまとまらないうちに、その大型バイクは路肩に停まり、誰かが降りてきた。その人物は脇目も振らず一直線に小泉邸を目指して歩いてくる。これが犯人か、と梁子たちは身構えた。
すらっとした背の高い男だった。
体型や歩き方が、どう見ても女性ではない。「男」だということはエアリアルから事前に知らされていたが、この姿も梁子はやはりどこかで見た気がした。
「いったいどこで……どこでこの人……」
考えていると、その人物はすたすたと目の前を通り過ぎて小泉邸に入っていく。
やはりこの人物も未来から来た梁子たちに気付くことはなかった。追いかけようとするが、なぜか足が動かない。
「あ、れ? ゲンさん……う、動けないんですけど。これ、どういうことですか?」
「す、すいません……移動することはできないんですよ。あくまでここからの視点……です。まだ、あとちょっと見られますので、終わるまで話しかけないでください!」
「はい……」
集中力が切れると技が中断されてしまうようだ。
梁子はそれ以上は邪魔しないことにした。
ゲンさんの証言通り、全身真っ黒な服に黒いヘルメットをかぶった男だった。犯人は、玄関のインターフォンを押し、美空が出てくるのを待っている。まもなく玄関のドアが開かれ……。
そこから先は見たくなかった。
だが、無情にも寸分たがわぬ惨劇が繰り返される。
男は、薄く開いたドアをこじ開け、中に押し入っていった。そして短い悲鳴があがる。男がまた玄関から出てくると、その手には血に濡れたナイフが握られていた。闇夜にキラリと光るそれを見て、千花が顔を覆う。
「ああ、美空さん……!」
その痛切な声に、梁子も顔をしかめた。
男はナイフをポケットにしまうと、あわてた様子で門のところまで走ってくる。だが、大きく深呼吸をすると急に何食わぬ素振りになり「ゆっくりと」歩き出しはじめた。
「こ、この人……! 連続殺人犯っていうだけのことはありますね。すごい手馴れてる……。普通だったら動揺して走り去ってしまうところなのに……そうしたら、それを見た人が怪しむってわかって……るんです。なんて人……。ああ、でもダメ。どうしても顔が見れません!」
男はヘルメットをずっとかぶったままだった。そしてバイクにまたがり、走り去ってしまう。
そこで急にまた視界がゆがみ、梁子たちの体の自由が戻った。
「ゲンさん!」
時間の逆行が終わったとわかると、梁子はすぐゲンさんに声をかけた。ゲンさんは、バッグの中でぐったりとうずくまっている。
「だ、大丈夫ですか?」
「りょ、梁子さん。どうでしたか……? な、なにかわかりましたか?」
力なく見上げて、尋ねてくる。
「ええ……か、顔はわかりませんでしたけど、バイクの形とか背格好はわかりましたよ。ありがとうございます!」
「そうですか。よ、良かった……」
そう言うと、がくりとバッグの中に倒れこむ。
「ゲンさん! し、しっかりしてください!」
「いいよ、梁子さん……そっとしてあげよう。疲れたんだよ」
「え、ええ……」
梁子がバッグの中に手を入れようとすると、千花がそれをやんわりと制した。
ふるふると首を振っている。
「それにしてもあの人……なんかやっぱりどこかで、見たことあるような気がするんですよね。サラ様、そんな気しませんか?」
『ああ、それはそうだろう。あれは……』
梁子の質問に、サラ様はゆっくりと答えた。
『いつぞやに石神井公園で見た、宮間にそっくりな男だな』
「ええっ?!」
言われて梁子は思い出した。
たしかに真壁巡査とデートしたとき、石神井公園のボート乗り場付近で宮間そっくりの男を見かけた気がする。「知り合いに見られた」と思って梁子はあたふたしたものだが、サラ様いわく「あれはそっくりなだけで別人」ということだった。
でもあれは、どう考えても宮間だった。それほどそっくりな男だった。
どうりで既視感があるはずだ。
なにしろ一度、この目で見ていたのだから。
顔こそ見られなかったが、背格好やバイクの特徴などからもなんとなく同じ人であると感じていた。
サラ様の証言で、それはさらにたしかなものとなった。
サラ様は、一度目にした人間はどんな変装をしたとしても一発で見破ることができる。そういった力をもった人間の家の間取りをかつて取り込んだことがあるからだ。
だが、宮間でないとしたら……あの男はいったい何者なのか。
「サラ様、その人……どこにいるかわかりますか?」
『以前にも言ったが、探すにはかなりの時間がかかる。それよりも、尋ねた方が早いのではないか?』
「え? 尋ねる?」
『その宮間という男にだ』
「……!」
別人、だというが、たしかに似すぎている。
もしかしたら、宮間はなにか知っているかもしれない。
もし、エアリアル博士の実験とやらで別人になりすますような「魔法」でもかけられているのだとしたら。犯人は……宮間なのだろうか。
考えたくはないが、サラ様の能力も梁子は信じたかった。
とにかく、今は少しでも情報が欲しい。
梁子は明日、ダイスピザに行ってみることにした。




